できるだけ自分に忠実に

 音楽を批評する、または音楽に客観的に光をあてる、このようなことの難しさについて、最近よく考えています。今、これだけ情報が氾濫していると、純粋に音楽だけ聴くということがとても困難なわけで、巷の音楽批評なるものがそういうことをちゃんと考慮しているのか、というと全然その点に注意が払われていないと感じます。

 僕自身が、よくそういう罠といいますか、ある情報による勝手な思い込み、で聴いていて、あとからしまった!と思うこともよくあります。最近だと、アバド、ベルリンフィルは凡庸な演奏ばかり、といった批評や情報を鵜呑みにして、そういう先入観で聴いて、それがかなり間違っていたということを、このブログでも先日書きました。これは、クラシックだけではなく、料理なんかでも思うのですが、これは素晴らしい、感動した、美味い、というのも、その人のその時の気分でどうとでも変わるもの。むしろ、そういうその時の感情や体調を排除して、完全なる客観性で、その上、すべての情報もシャットアウトしてなんて、はっきりいって無理なことでありましょう。

 ですから、音楽の理論や構造上の問題を批評することはできても、音楽の演奏自体がどうだ、こうだ、というのは主観的な見方がはいるのは当然なことなんですね。であればこそ、世の中の批評家たちがいっていることは、その程度のこと、つまり、あくまでもその批評家の好みや気分、またはその年齢などで変わってくることなんだ、と思っていたほうがいいのです。

 僕がいいたいのは、ようは批評家の耳はどうあってもその批評家の耳。僕の耳は僕の耳でいいんだということ。そして、情報(ここに批評家の感想などもはいってきます)はなるべく補足的なものとして、自分がいいと思うかどうか、ここに重点をおくべきなんです。ところが、クラシックだとよく、名盤うんちゃらとか、名演奏100選みたいな本がたくさんでていて、またある批評家がいいといったものが、そのまま世間の評価になってしまっていたりね。

 僕がサラリーマン時代に、よく社長のお供でCD屋に昼休みいくことがありました。僕がクラシックを多少知っているということで、連れ出されたわけですが、その社長はいつも自分の在庫CDリストを持っていて、CD屋にいくと僕に「いまねえ、ベートーヴェンの交響曲第七番がほしいのだが、この中だったらどれがいいんだ」とCD屋にならんでいるベト7を指差して言うわけです。僕としては、そりゃあどれか買って帰って、好きか嫌いかは社長が判断しろよ、と心の中で思っていたのですが、「え、どれがいいの、巷ではどれが評判いいのか教えろ」と。じゃあ、これなんかどうですかねえ、とテキトウに奨めると、後日「君ねえ、この本だとあの演奏はたいしたことない、とか書いてあるじゃないか」と怒られるはめに。うーん、自分の好みとか、この社長はないのか?人が権威付けしているものだけいいと思い込んで聴くのか、とあきれ返ったのを思い出します。

 まあ、これは極端な例でしょうが、そこまでではないにしろ、名も知れない指揮者の演奏を正当に自然に聴いて判断できるのか、どんなに有名で権威がついたものでも、自分としては合わなければノーといえるのか。ましてや、評論家が名盤だといっても、それに流されずに自分の耳で判断できるかどうか。

 また、簡単なことを難しく、と思われるかもしれませんが、僕としてはこれ、けっこう難しいことだと思っておりまして、裸の王様にならないように注意してできるだけ本質を抽出する、というのはこの情報化社会ではなかなか大変であります。あとは、それが自分の今の(まさに今です、午前と午後でも違うだろうし、お腹がいっぱいと空いているでも違うはず)好みにぴったりなのか、どうか、そこが真実なんじゃないだろうかと。

 最近、このブログでもちょくちょく取り上げておりますが、クラシックを十数年ぶりに興味をもち再び聴くようになっておりまして、あまり人の感想とか、情報とかに振り回されず、今の自分にどれがぴったりくるのか、それを探しているところです。思えば、中学、高校とクラシック小僧だった時分、レコード芸術なんぞを読んで、これがいいと書いてあるから、いんだろう、なんて思いながらレコードを買っていたこともありました。まだ自分の嗜好もよく解らない頃ですから、しょうがないことなんですが、さすがに40後半にもなれば自分の耳にわがままに、そして、それは絶対的なことでもない、という自覚をもって聴いていきたい、と思っております。

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問題

空欄に言葉を入れよ。(すべて、同じ言葉が入る)

ふたりは「          」

ふたりは「          」MAX HEART

ふたりは「          」SPLASH STAR

YES! 「          」 5

YES! 「          」GOGO!

フレッシュ「          」!

ハートキャッチ「        」!

女の子を持つとこういうことに詳しくなるのであります。

(答えはウェッブで!)

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そうか、ブラ4も素晴らしい!

Brahms4  本日もクラシックネタ。先日、このブログで2回ほどクラウディオアバド、ベルリンフィルを再評価した、という話を書きましたが、さらにつっこんでアバド、ベルリンを聴いてみようという気になりました(ジャズ屋のおやじですが・・・なにか?)。

 クラシック好きのお客様のOさんは大のブラ4好き。ブラ4といっても、ブラジャーのサイズではありません。ブラームスの交響曲第四番のこと。僕も好きな曲でありますが、随分前からカルロスクライバー指揮ウィーンフィルが愛聴盤でありました。ところが、Oさんは最初クライバーの演奏を聴いてブラ4が好きになれなかったそうで。しばらくたってOさんは他の指揮者のブラ4を聴いて、それ以来ブラ4愛好者に転じたそうです。

 これ、説明しますとね、クライバーの演奏はかなり個性的なんです。このアルバムが世に出た当時は、かなり今までのブラ4とは違った演奏に聴こえ、ショッキングな感じさえいたしました。批評家たちもこぞって大絶賛でしたし。僕もご多分にもれず、クライバーかっこいいーと感じまして、それ以来他のブラ4をあまりじっくり聴いてきませんでした。

 さて、アバド、ベルリンなんですがブラ4、ちゃんと僕は持っております。が、しかし、やはり随分前に買ってはみたものの、なんかもの足りないと思ってしまい、あまり聴かずにラックの中で眠っておりました。アバド、ベルリンのマーラーの良さがやっと解ったと先日書いたとおり、アバドの演奏の認識が変わったのがほんとうなのか、じゃあ、今度はこのブラ4をじっくり聴いてみようとなったわけです。

 で、どうせなら、そのカルロスクライバー、ウィーンフィルともう一枚、バーンスタイン、ウィーンフィルの三枚を聴き比べて、45歳現在の僕にはどれがぴったりなのか、を考えてみることにいたしました。

Carlos  さて、最初にクライバーなんですが、久しぶりに聴いてみると・・・・これ、やはりかなり変わった演奏なんだ、ということがよく解ります。とにかく、アゴーギク(テンポやリズムを意図的に変化させること)の多様と、アクセントの強調がやたらと目立ちます。確かにリズミックで軽やか、舞踏的な感じがするところもありますが、細部、細部がやたらと目立ちすぎて、僕には鼻につきました。

 前回、自分自身が曲を細部、細部で聴くような耳から、全体を把握する耳に戻そうとしている、というようなことをかきましたが、そういう耳で聞くと、うーん、あんなにカッコイイと以前思っていたクライバーがケレンが強いように感じてしまうのです。そうか、若い時は尖がったものを欲しがるのに、今はその尖がったのが邪魔に感じるのですなあ。もちろん、僕個人の現在の嗜好がそうだ、というだけなんですが。

Leonard  次はバーンスタインですが、ヨーロッパで指揮をしていた晩年のバーンスタインは以前のヤンキーっぽさが抜けて、ほんと巨匠の演奏なんですね。このブラ4も実にどっしりとして、ドラマチックなむせ返るような熱を帯びた演奏。凄い、ほんとに熱演なんですが・・・・これも30代の僕だったら手放しで大絶賛なんだろうけど、現在は・・・いやあちょっと重過ぎるなあ。あまりに精神的にはりつめた空気感と、重厚な戦車のような厚み、エネルギーの放出、どこをとっても素晴らしいのは間違いない。でも、ブラ4ってここまで重厚な曲だったっけ。これはバーンスタインが人生の終わりにすべてを出し切った名演なんですが、僕にはまだその境地には達してないようで。終楽章のたたみこんでいくような迫力にちょっと怖気づいてしまう、今の僕なんです。

 そこで、登場するのが、アバド、ベルリンフィル。あらためて聴いてみると、やはりマエストロは解っていたのよ、この曲の持ち味を。解らなかったのは、僕の方で、まさにクライバーとバーンスタインの中間に位置するような演奏でありました。知性的で、優美で、そして軽やかな部分と重厚な部分のバランス感が実によろしい。とにかく、アバドという人は旋律を美しく歌わせる指揮者なんですが、とはいってもセンチメンタルに流されることなく、どこかに理性が働いている感じが僕には伝わってきます。その感じが、今の僕に実に心地いいのです。つまり、ケレンの強いのもちょっと嫌だし、とはいって精神性と情熱の重戦車も辛い。やはり冷静と情熱のあいだ?がいいのよ。それがまさにアバド、ベルインのブラ4でありました。

 あと、やはり一番録音が新しいですから素晴らしいベルリンフィルのオーケストラサウンドに酔えるというのもいいです。カラヤンの頃の優美ばかり前面に押し出している、というわけでもなく、内声の動きも隅々まで気を配っている精緻な演奏でありまして、こんなに素晴らしいブラ4だったとは、ほんと、思い込みというのは危険であります。オケのドライブ感も背中がぞくぞくするような気持ちよさ。そう、この気持ちよく聴く、という感覚を随分と長いこと見失っていたなあ。やはり木をみて森を見ずという聴きかただったのですね。

 うん、やはり、間違いない。僕の方が勝手にそう思っていただけで、アバド、ベルリンは素晴らしいのでありました。こうなると、アバド、ベルリン他の演奏もほんと聴いてみたくなりました。病気でサイモンラトルに常任を渡したアバドですが、カラヤンのあと、批評家たちが言うような、アバドにベルリンは重荷過ぎたというような見方や、アバドはベルリンでこじんまりした演奏しかできなくなったという評価は、やはり違うように思います。何度もいいますが、あくまで個人の好みではありますが、けっして腑抜けた演奏ではない!僕のブラ4の愛聴盤はこれから当分このアバド、ベルリンになりそうです。

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こういうおでんもあり

Oden_2   毎日、ほんと寒い日が続いております。どこが地球温暖化なんだ!というぐらい、昨晩なんてみぞれまじりの店の前でありまして、普通の人は店など寄らずに家に帰ってあったかいおでんでも食べるのでありましょう。はぁ・・・・そんなんで、心も身体も寒い今日この頃、僕もおでんでも食べながら一杯やりたいなぁ、なんて思っていたのですが、ふと、そっか!店でもおでんだせばいいじゃない、しかも、ちょっと普通と違うのを考えてみよう!とあいなりました。

 ちなみにおでんの定義は、もともとは田楽のことで、それに{お}をつけておでんとなったらしいです。そして今は出汁と醤油で煮た料理、というぐらいのゆるい定義で、煮るものはけっこうなんでもいいみたい。地方によってもかなりいろいろ違いますしね。ですので、コンソメで煮るというのもオッケー、と勝手に解釈いたしました。

 そもそも、よくお通しで大根をコンソメで煮て、それをバターでソテーしたものをだしていたのですが、それがけっこう評判がよかったので、それのバリエーションでいってみることに。まあ、この西洋風おでんはあるフレンチレストランシェフのレシピを参考にしたものなんですが、コンソメやブイヨンで煮るというのはポトフなんかがあるわけで、問題はなし。とりあえず、大根以外にじゃがいも、卵、そしてこんにゃくというラインナップにしました。

 大根は以前から美味なのを知ってましたし、じゃがいもにコンソメ、そしてバターは想像しただけでも美味そうでしょ。それに卵もコンソメバターの風味はばっちり。問題はこんにゃくなんですが、これがやってみると以外や以外、ほんと美味しかったのであります。むしろ、こんにゃく臭さがコンソメとバターで消えてしまい、試食したO氏によるとこれが一番美味いとまで言っていただきました。

 このおでんなら、焼酎やビールだけではなく、白ワインやハイボールなんかも合いそう。まさに僕の店っぽいメニューじゃないですか。かつおと昆布の出汁のおでんもそれは美味でありましょうが、この新発想おでんもなかなかいいじゃないですか。寒い夜はこのコンソメバター香る西洋風おでんと白ワイン、なんていうのもお洒落でいいですなあ。

 特に女性に食べていただきたし、自信を持ってお奨めいたしますです。

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2月の新メニュー

2月の新メニュー
西洋風おでん。コンソメで煮た大根、こんにゃく、タマゴ、じゃが芋をバターでソテーしてお出しいたします。一皿500円。これは美味い!

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この時代錯誤な大作はまるでドンキホーテ

Patorc  いったいパットはなにがしたかったのか。パットメセニーを今まで悪く言ったことは一度もなかった僕ですが、さすがに今回の「オーケストリオン」というアルバムはどう評価してよいやら。はっきり言ってこの壮大なお遊びともいえるアルバム、パットご乱心と思ってしまうのは僕だけでありましょうか。

 どういうコンセプトのアルバムか、といいますと、パットのギター以外、ピアノから、マリンバ、ドラム、ベース、ヴィヴラフォン、チューニングされたガラスの瓶にいたるまで、特注で作り上げた自動演奏装置で演奏されているのであります。つまり、機械が演奏してくれるとってもお金がかかった生バンドカラオケみたいな感じ。はっきりいって、このデジタル時代にこんな大仰な装置でやることが、まるでドンキホーテ的。ギター一本もって風車に突入するパットの図を思い浮かべてしまいました。だってこんなことは、今の技術ならもっと簡単にコンピューターとサンプリングで全く同じことできるわけだし、どうせここまでやるなら、人間のアンサンブルの方がはるかにいいのに。

 そりゃ、パットの曲は今回もレベルは高いし、アレンジも緻密で度肝は抜かれる演奏ではあります。だけど、自動演奏させている、ドラムやベースのリズムはあきらかに人間に比べて硬直化してますし、どうしたって単調さはぬぐえないでしょう。何度もいいますが、パットの曲とギターは文句のつけようがないだけに、なぜ、なぜ、こんな愚行といってもいい方法を選択したのか。この演奏は人間では再現できないから、というのなら話は多少わかりますが、はっきりいって、パットメセニーグループでまったくおなじことは可能なはず。むしろ、そのほうが、音楽として命がはいったもっと活き活きとしたものになるのに。これじゃまるで、博物館の標本みたい。

 こんな壮大なしかけはパットじゃなけりゃやろうとも思わないでしょうし、凄いことだとは思いますよ。でもなあ、よりによってパットがなあ。だってパットの良さって、ヒューマンで人間臭く暖かい音楽、血の通った熱のある演奏だと僕は思ってたのよ。これじゃ、「どうだ、俺すごいだろー」というだけで、ぜんぜん血の通った感じがいくら聴いてもしないのです。そりゃそうだわな、パットのギター以外が時代錯誤の自動演奏装置なんですから。とほほ・・・だよ、これは。

 パットだからこそあえて言いたいのですが、なんでこのスタイルを今回とったのか。まあ、考えるに、無邪気な人なんでしょう。子供の好奇心のように、面白そうだー、と思って突き進んだのだろうなあ。そんな、パットという人間はとっても好感をもてるのですが、さすがに、このアルバムは何度聴いても理解できない、といったところが正直な感想であります。

(あくまでも個人的感想なんであしからず)

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やっぱり変な店だなあ

 昨晩は寒い夜でありました。お客様はさほど多くはなかったのですが、なかなか濃い話で盛り上がりました。最初は、お客のU君と好きな映画はとか、昨年のワースト映画はとか、邦画は今後どうなるのか、芸人ばかりが監督をやる現状はなど、映画話で盛り上がりました。ジャズバーなんですが・・・・。

 その後、音楽好きのOさんがいらして、今度はクラシックのシンフォニーの話をえんえんと。ブックナーの何番のシンフォニーが好きかとか、マーラーだったら何番とか、ブラームスの四番のカルロスクライバーの演奏は好きか嫌いかとか、とにかく、マニアックなクラシック話で盛り上がりました。とりあえずジャズバーなんですが・・・・。

 そのあと、深夜にいらっしゃるお爺さま(といったら怒られるかしら)Eさんが参入。Eさんがこれまたクラシックからジャズまで幅広い知識をもっている賢人でありまして、三人でマタチッチの指揮が、とかチェコフィルは素晴らしいとか、一番技術が高いオーケストラはベルリンか、クリーブランドか、はたまたシカゴかとか、またまた深ーいクラシックの話で大盛り上がり。ええ、たしかここはジャズバーなはずですが・・・・・。

 すると、今度はOさんと入れ替わりに、時々顔を出してくれるHくんとその友人の二人が店に。そのHくんはプロの歌手なんですが、彼はポップスから演歌、そして1600年ごろの初期バロックの歌曲まで歌うというハイレベルの人。ここからは、Eさんが、古楽にかなり精通していて、HくんとEさんとで、モンテベルディがどうのとか、カメラータがどうのどか、この時代はベルカント発声法ではおかしいとか、えらくマニアーックなお話で盛り上がっておりました。Hくんはピアノで古いイタリア古楽の曲を歌ってくれまして、それは見事でありました。そうそう、ここ、きっと、たぶんジャズバーじゃなかったのかなあ・・・・・。

 最後はCDで流している音楽まで、ジャズではなくベートーヴェンのハンマークラーヴィーアというソナタをかけながら、閉店まで。うーん、これでいいのか、そう、これでいいのだ。

 

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ああ、ややこしい

 音楽配信も、いまや、かなり一般的になってきたようでして、iTunesで音楽ファイルをダウンロードするのも当たり前の世の中でありますね。僕も、CDが廃盤になってしまって手に入らないようなものをたまに音楽配信サイトでみつけてダウンロードしたりもしますが、ちょっとややこしい事情があるのです。

 ご存知の方も多いでしょうが、僕はついこの間、えっそうなの?と思ったことがありまして、それはwmaファイルでダウンロードしたものにdrmというコピーガードがついていてCDに焼くことは不可能だったのであります。まあ、焼かないでPC上で楽しめばいいじゃない、と言えば元も子もないのですが、これはCDに焼けないだけではなく、iTunesに落とすためにaccファイルにも変換できず、つまりwmaファイルにdrmがついているものはipodでは聴くことができない、という不便なことになるのです。

 もちろん、このdrmをはずすとなれば、それは法律違反だそうで、だったらなんで音楽配信のファイルを統一してくれないのかなあ。これとは別にソニーはATRAC3というファイルで配信しているし、mp3でも配信がある。そして、問題なのは、こっちが探している廃盤になってしまった音源が、iTunesになくて、ATRAC3にあったり、wmaファイルであったりするということなんですよ。

 それ知らずにwmaにdrmのかかったファイルをおとしたものだから、そういう現状を知ってかなり驚きました。

 問題点は二つなんですが、とにかくファイルに互換性がないために、ユーザー側がとてもめんどくさいことを強いられるということ。もう一点は、配信されているファイルがaccとwma、ATRAC3、mp3とばらばらになっているということ、でありましょう。

 とにかく、コピー防止はやむを得ないと思いますが、ファイルの互換性はねえ、まったくお客のことを無視しているとしか思えません。それに、もしウェッブ上に出すのなら、すべてのファイルで出してもらって、こっちがどの形式で落とすかを決めさせてもらいたいもの。書いていて、馬鹿馬鹿しくなってきますが、あったりまえのことだと思いますがねえ。

 本当にこのあたりを解消しないと、これだけ世の中がネットの利便性を追求しているのに、音楽配信はいつまでたってもダメダメな感じでいくような気がいたします。

(ついでに、音楽配信で望んでいることを書くなら、各レコード会社はすべての音源をネット上にだすべきでしょう。廃盤となって眠っているものも、ニーズがあるわけで、全部だしてダウンロードで金取ればいいいのに。さっさとやればいいのになー)

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俯瞰する視点

 最近、音楽を聴いていてあることに気がつきました。実は言葉にして説明するために、論理的に考えをまとめようとしたのになかなか漠然としていて掴みづらいことだったのですが、やっとはっきり理解できたということがあります。どういうことか、といいますと、長いこと音楽を聴いてきて特にクラシック、ジャズについて、聴きかたの変化とでもいいましょうか、音楽をもう一度楽しむための方法、そんなことに繋がる話であります。

 マーラーの交響曲の聴きかたが、年をとって変わったということを先日、このブログで書きましたが、そこからつらつら考えていて、ジャズでも同じことをはっと気づいた、のでして、それは全体を把握する耳、ということなんです。全体を把握、それは曲というものを大きな枠組みでとらえる、といいますか、構造を瞬時で捉えてる、そこまで大げさに言わなくてもいいのですが、要はその全体のバランスを読み取るということであります。

 音楽をマニアックに聴くということは、つまり細部、細部に神経を張り巡らして聴いていく、枝葉の部分まで耳を研ぎ澄まして情報を拾い集めていく、ジャズでもクラシックでも、長年聴いてくるとそういうことをしている人は多いはずです。僕もそういうところまで聴いてこそ、本質に近づくのだ、と信じて疑ってこなかったようです。ところが、ここに大きな落とし穴がある、ということがわかっていませんでした。

 その落とし穴とは、木を見て森を見ず、ということでして、あまりに細部に神経がいくことで、音楽の大きな流れをすっかり見落としていたように思うのです。アバドという指揮者のマーラーが以前はつまらないと思ったのに、今は楽しめるようになった、それは、マーラーの交響曲の構造を少しはなれたところから俯瞰しつつ、全体像がどう作られているかを(つまり指揮者がどう料理したのかを)自然に受け止めることができるようになったということだと、論理的にも理解できたのです。

 そのことはジャズでも、そうなんだとあらためて気づきまして、たとえばある演奏家のライブを聴いたとして、即興ばかりに耳がいってしまい、どう展開するのか、とかこのフレーズは斬新だということばかり気にしていて、ドラムとベースが作っていく大きな流れや、うねりみたいのことを、もっといえば、やはりジャズの曲がもつテーマからアドリブ、エンディングまでのおおきな枠を見失っていたといいましょうか。

 これね、音楽を楽しむ、ということって、もちろんいろいろな楽しみがあるのですが、やはりその大きな枠組み、曲の基本的な構造というものをまず捉えないと自然な楽しみ方というのはできないのです。つまり、ジャズ、クラシックはそれだけ複雑な音楽だともいえるのですが(ストレートに構造だけで勝負する音楽というのではないからね)、だからといって、細部ばかりに目を(いや耳か)をとられていると、それこそ本質を見失うという本末転倒なことになると思います。

 それにね、ここ数年、ジャズもクラシックもどうも心から楽しめていない自分というのを感じていたのも事実。それが、この落とし穴、にはまっていたから、というのもすべてではないですが、一つの理由だったと思います。

 では、今、どんな聴きかたになったか、といいますと、先ずは曲のもつ元々の構造ね、つまりメロディーだったりリズムだったり、自然に耳にはいってくるものをバランスよくリラックスして聴こうと心がけています。そして、その全体像を捉えつつ、その中で細部を抽出していく、というのがどうもいいようです。そして、全体にそのバランスがとれているからこそ、そういう音楽というのは心地よかったり、なにかが伝わってくると思いますし(それはフリージャズや現代音楽でさえね)、言い換えれば、筆のタッチや塗り重ねた色ばかり見ていては、モネの睡蓮はまったくわからない、ということと一緒なんだ、ということだと思います。

 結論としては、やはり俯瞰した視点がないと、本質を見誤るということでして、うーむ、僕はそれがいつのまにか、すっぽり抜けていたのかもなあ。でも、今それが解るとまた、音楽がちょっと楽しくなってきた、のであります。

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今日の晩御飯

今日の晩御飯
ハタハタとしょっつるを使ったパエリア。秋田とスペインのコラボ、うんまかったー。

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