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コモンセンス

 この間書いた「これぞ浪漫」で取り上げた「ヒゲのウヰスキ-誕生す」川又一英著を読んでなるほどと感心したことなのですが、それは竹鶴政孝というニッカの初代社長であり、国産初のウィスキーを作ったこの人にはしっかりとしたコモンセンスを持っていたということ。

 コモンセンス、それを「常識」と訳すこともありますが、むしろもっと根となる通念、公共での個の秩序のある振る舞い、他人への気遣い、さらに文化や慣習までに配慮した人間としてのあり方まで含む意味であろうと思います。つまり、人としてどういう行動をするのか、どういう生き方をするのか、そういう問いが最初に自分の中にあって、そこから何かを始めていく、そういう考え方はコモンセンスと密接に結びついていくのでありましょう。

 竹鶴氏はただウィスキーを日本で作って売ればいいと思っていたのではありません。スコットランドの文化を尊敬し、愛せばこそ、当時流行していた(売れていた)ウィスキーに似せたまがいものの製造をガンと拒み、そのため値段が安くできず最初他社に遅れをとりながらも本格ウィスキーの製造で勝負をしていた心意気、それは世の中に間違ったものを認識させてはいけない、ちゃんとしたウィスキーの味を伝えなければいけないという自負あってのこと。これはみんながまがいものを作って売れているなら今はそれでいいという安直な考えをせず、こんな状況はあきらかに間違いだから将来のために今からしっかりとした本質を追求する、こういう考え方をコモンセンスとして持っていたということです。

 みんながそうだから、そうしているから、それがコモンセンスになるのではないのです。むしろ、人として、社会として、文化として、ほんとうに本質からずれない、子孫のために間違った道に導かない認識、それこそがコモンセンスではないのでしょうか。竹鶴氏を知ることで彼の生き様の素晴らしさについて考えるのですが、その素晴らしさとは日本人で始めて国産ウィスキーを造ったという偉業のことではなく、そこの貫かれている彼の頑固なまでの本質を追求する姿、愚直なまでの人間主義、そしてその考えの基礎になっているのがしっかりとしたコモンセンスなのであります。

 いまさら今の日本でなにがおこっているか詳しくは書かなくてもお解りでしょうが、コモンセンスなんて考えはないし、コンプライアンス、モラルハザードなんてことを問題にしなければいけない世の中になってしまいました。ばれなければ、見られていなければなにやってもいい、お金させかせげれば人としてどうあるかなんてどうでもいい、そんな日本になってしまったのを、竹鶴氏は天国で嘆いているにちがいありません。

 僕らはもういちどコモンセンスとはなにか、そこから始めないといけないのではないでしょうか。

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