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春の到来

Debussy 刻み続ける時間。それは今一瞬、一瞬をあっという間に過去にしてしまう流れなのでありましょうが、その時間がまるで流れを止めたかのように、空気の微粒子までが動きをやめそこに点描画のように刻印されたような、35年間経った今も瑞々しく鮮やかに甦るピアノの録音があります。

 アルトゥーロ・ベネゼッティ・ミケランジェリ、彼が残したこのドビュッシーのイマージュ(映像)は僕にとって中学の時に受けた鮮烈な印象は今も変わることなく、そしてこのイマージュはミケランジェリの演奏でなくてはならない(他のピアニストではいけない)、ものになっています。思春期に聞いたために音楽とともに胸の奥底に刻み込まれてしまったその当時の空間、香、印象、光はミケランジェリのこの録音がその時間とともにそこに存在する一切を封じ込めたように、このイマージュによって今も甦ってきます。

 静寂の中から立ち上がるミケランジェリのピアノのタッチは神秘であり、その繊細さはまるでシルクの肌触りのように音が滑らかに流れていきます。ある意味、このピアニストは常軌を逸した神経の持ち主だろうと思わせるぐらいの神経の細やかさが全体を覆っている演奏であり、ミケランジェリのために作られたのではないかと思わせるぐらいにこのイマージュは孤高の輝きを、この21世紀でさえ色褪せることなく放っているとおもいます。 

 水面に春の日差しがきらきらと反射し、そよ風で微妙に揺れる水の動き。僕の中ではドビュッシーのこの曲を聴くといつも浮かぶ光景であります。その水面に羽虫がとてもささやかで静かに飛んでいることで陰影に微妙に変化があるように、そんなミクロの単位での動きがこのミケランジェリのピアノから見えてきます。それは冬から春になる淡い光であり、空気の質量がすこし軽く感じるような微妙な動きにすら僕には思えてくるのです。 ですので実際にはいつの季節をドビュッシーがイメージして作ったのかは知らないのですが、僕の中では冬が終わり春をつげるように風の香が変わる頃になると無性に聴きたくなる音楽なのであります。

 今年もこのCDを無意識にとりだしていました。もう季節は春になっていたのですね。

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