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二人の自分

 誰でも思春期から20歳ぐらいの頃、多感である意味センシティブですこしセンチメンタルにすべて物事を考えてしまう精神状態の時というのがあるのではないかと思います。

 僕の場合はその度合いが少し強く、今、思い出しても恥ずかしくなるぐらい自己陶酔がひどく、良く言えば純粋が故のナルシシズム、悪く言えば悲観的で厭世的なヒロイズムに酔っていた頃がありました。まさに高校から大学生の頃なのですが、原因はまだ自己というものが不全で確立に至っておらず、オイディプスコンプレックスもあり、また他者から見える自分、受け取られる自分を愛するという、もう一人の自分が、人からある行動によって得られた認証で安堵する姿を見てもう一度確認するという生き方をしていたと思います。

 ナルシシズムの典型的な特徴だと思いますが、もう一人の自分が常に客観的に自分を見ている、これは自己が確立した現在も僕にはどうも癖として残っているらしい。現在はナルシシズムはだいぶ抜けているし、厭世的な気持ちも昔ほど強くないのですが、なにかを行動する時にどこかに醒めた自分が見ている気がします。それは悪いことではないな、と最近思っているのです。

 特に顕著なのがいろいろなまだ未経験のなかに自分を放り込んでみて、自分はどういう反応をするのだろうか、というのを客観的に見ることがどうも大好きらしい。それは旅行だったり、仕事だったり、生活する場所だったり、非日常だったり。また実際にしていないのにそうなったらというシュミレーションをするのも好きなのです。ある意味、陶酔している、状況をもう一度外から見たいという二つの願望が交錯しているとも言えます。人前でジャズピアノを弾く、弾いていること自体も気持ちよいのですが、それをもう一人の自分が見ているのもけっこう楽しかったりする。これは僕がそうとう欲張りな人間だからなのか、またはナルシシズムがまだ影響しているのかよくわかりませんが、とにかくそういう欲求が常にあるようです。

 この外から見ている自分がある欲求のため、実際に事を行う自分を支配しているのだとしたら少し病的な感じもしますが、僕のはただそこに自分を放り込んでみたらどんな反応をするのか見たい、という点だけなのです。ですから予想のつくことは逆にべつに見たくないというか、経験済みなことはまあ、さほど客観的な見方をしないわけでとにかく自分にとって新しいこと(これは古い歴史でも自分が知らなければ新しいということ)、新しい場所、新しい考え方、新しい出会い、それに触れた自分、というのから何がでてくるのか、多分期待しているのでしょう。

 これ、最近いい考え方というか、いいやり方だな、と自分では思っています。僕にとって新たに入っていく世界というものにあまり怖さがないというか、むしろもう一人の自分が行け、飛び込めって後押ししてくれるから躊躇しないというか、楽なのですね。人に言われて何かするのではなく、あくまでも自分だけど、でももう一人の自分なのですよ。もう一人の自分が薦めるからじゃあ、行ってみるかと、そう思うと気が楽なんだなあ。でも人の責任にしてという後ろ向きじゃない、もう一人という外側にいるのだけれど、やっぱり自分なのですね。そう考えると、楽だし、ポジティブな場所に常にいることができる、と僕は思っているのです。

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