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2006年7月

脱帽!

 7月も今日でラスト、梅雨も明けいよいよ夏本番ですね。あと二週間でお盆、そしてお店の工事、そのあいだに連れのお方の実家に帰省プラス小旅行と心ははや夏休みに向いております(もちろん仕事もそれまでは手を抜かずちゃんとやります、やります!)。

Akita_map  夏休みに秋田に行く、というのはここでもすでに書いておりますが、昨年初めて訪れた能代大館方面の大自然をまた訪れることができることは僕にとって無上の喜びであります。なんたって熊が普通に生活している山々なんですからどれだけ手付かずの自然かは押して知るべしでして「ある日、森の中♪熊さんに・・・」なんて日常茶飯事なのだろうなあと思っていたところ昨日の朝日新聞にこんな記事を発見いたしました。

熊に遭遇、右フックで撃退 秋田・大館の59歳男性

 ひぇー!場所はまさに連れのお方の実家の近くの大館市だそうで、それにしてもやりますなあ、走ってきた熊に右フック59歳!素晴らしい。僕の店の常連客に元ボクサーのMさんがいますけど、どうよ、熊にパンチ当てるのは。まあ、熊としては人間がいるほうが非日常なんでよほど驚いたと思いますが、都会暮らしプチ田舎育ちの(まあ、葉山も田舎とはいえまだまだ)僕としてはただただ唖然としてしまうお話であります。

 昨年は連れのお方の父上に山に連れて行っていただき案内してもらいましたが、今年も山にいくのかしら。でも森の熊さんにはあまり会いたくないなあ。僕の鍵盤で鍛えた細腕じゃあどうしようもないだろうし。

 さて、実際には「戦うべきか、死んだふりをするべきか、それが問題だ」、どうよMさん。

 

久しぶりのZAZIEジャズライブです

Yoshioka_7  お待たせいたしました。ザジのジャズライブ、詳細決定いたしました。9月23日土曜日、吉岡秀晃(ピアノ)沼上 励(ベース)デュオのライブをおこないます。

 昨年夏も出演していただきましたが、今年もファンキーで楽しいピアノを満喫できるとおもいます。沼上氏との息の合った掛け合いも見もの。これを見逃す手はない、必見必聴ですよ。

 今年はザジも5周年でして、そのためにお店をリニューアルしたりして少しづつ新しいザジをお見せしようとしております。今回は店リニューアル後初のライブとなりますので(たぶんね)ぜひたくさんのお客様に来ていただきたく思います。

 9月23日土曜日 7時オープン 8時から演奏2セット

 料金 3500円 ドリンク別 

電話予約、もしくはお店にて予約受付中。良い席はお早めに。

33894522 (営業時間中にお願いします)

僕はストーカー?

 一昨日はジャズピアノのレッスンがありまして、最近はちょっとスランプ気味。アドリブが弾けないというより、またひとつ壁の前で立ち止まり、という感じでありましょうか。まあ、やらなければいけないこと、そしてクリアしなければならない課題というのはやっと見えてきてはいるわけで、あとはまた日々の地道な訓練しか抜ける方法はないということもよく解っております。

 具体的にはというと、今僕のピアノで弱いところはずばりハーモナイズしていく力でありましょう。ハーモナイズというのは簡単にいうとメロディにコードをつけるということですが、もっというとコードの構成音を一度ばらばらにして更に再構築できる力、リハーモナイズを僕は勉強して身につけること、というのが課題ということになります。これが自由自在にできるとまたピアノを弾くとことがもっと楽しくなるはずなんだなあ。リハーモナイズができるということは瞬時にアレンジができるようになるということであり、歌の伴奏もすぐ弾けるわけであります。そしてそれがまたアドリブを弾く力になっていく。というか正直、ここまでジャズピアノをやってきてやっとそういうことの必要性がわかるようになってきたということなんですね。

 物事というのは最初からそういうことが頭で必要だと解っていても結局ある程度突っ込んでいかないと、またある苦しい場所を抜けないと本当には理解できないということはままあることです。今スランプといいながら課題は見えているし、それができた時の自分がどうなるかというところも見えている、ということはもうほぼ抜けているのといっしょでしょう。見えないときはどうあがいても見えないのですがね、それでも諦めないでしがみついているとやがては見えてくるものなんです。もちろん考えて現状をちゃんと分析しないといけないけどね。分析ができるようになるというのも、やはりしつこくしつこく試行錯誤していくからできるようになってくるわけでね、執着するというのは壁を越える第一歩でありましょう。まあ、人間でこれやるとストーカーとなりますが。こと、ピアノという彼女にはひたすらストーカーになってつきまとわないと上手く弾かせてくれないものらしいのです。

なにがなんでもいきます

Blad  僕が現代のジャズピアニストの中で最も注目し一度ライブに行ってみたいと思っているのがブラッドメルドーであります。ブログでも何度か彼のアルバムの素晴らしさについて書いておりますが、ついにトリオでの来日が決定。これは万難を排してもいきます。

日時、場所は9月16日(土曜日)、18時から東京オペラシティコンサートホールにて。今からすでに言っておきますがこの日は当然、店はお休みになります。僕が店を休んでまで行きたいという人はそうはいないのでお許し願いたし。

 というわけで、すでにネットにてチケット予約してしまいました。うーん、やっとメルドーに会える。ここのところソロコンサートでは来日していたのですがやはりトリオでどうしても聞きたかったので待っておりました。ちなみに、ベースはラリーグレナディア、ドラムはジェフバラード。息の合ったプレイが聴けることは間違いないでしょう。そういえば、このトリオの新しいアルバムHouse On Hill / ハウス・オン・ヒル(ドラムはホルヘロッシに戻っているらしい)も発売しているので買いに行かねば。しかも情報によると、なんとこの後にリリース予定しているのがパットメセニーとのコラボ!!いやあ僕が大好きな二人でCD作ったといったらこれも期待しないわけいきませんな。デュオとメルドートリオWITHメセニーの2枚が出る予定だとか。これも楽しみであります。

 やっと食指が動くライブが企画され嬉しいことこの上なし。そういえば百々徹ライブ以来外では聴いていないしね。(店ではライブしましたが)ジャズシーンの最先端のピアニストといってもいいブラッドメルドーのライブはやはりどうしても聴きにいかねばならないのであります。

正当or異端

 このブログで「僕がジャズミュージックを聴くようになった一枚」という題で書いていましたが、実はね、本当に最初の最初にジャズを聴いた二枚というのがあります。じゃあなぜ書いていないのかというと、これを聴いてすぐにジャズにのめりこんだわけではなかったので(どちらかというと最初グッときたのはフュージョンでしたし・・・)ジャズを聴くようになったと書くにはちょっとどうかと思いまして。でも、後から考えてみるとこの二枚の影響もかなりあったのだろうと改めて思っております。

Art  それでその二枚とはこれ。アートブレイキとジャズメッセンジャーズの「モーニン」とMJQ(モダンジャズカルテット)の「MJQ」。僕が小学生の5,6年生の頃に、このレコード二枚を父親がいきなり買って帰ってきたのです。それまでジャズを聴いていた父というのをあまり知りませんで(よく聴いていたのはシャンソンでしたし)ちょっとこのジャケットの異様さもあって子供心にびっくりしたようです。父にとっては若い頃に聴いた思い出があるらしく、これはいいんだといって聴かせてくれたわけですが、正直その時はなにがいいのかよくわからなかったのであります。当時はまだクラシックものめりこんで聞いていないし、音楽というものにそれほど関心がなかったのかも知れません。

Mjq  でも、そのあとご存知のとおり中学生になってからクラシックやフュージョンに興味を持つようになりそれから再びこのレコードを聞きだすようになりまして今では僕にとっても思い出の二枚となってしまいました。また、このブレイキーとMJQ,対照的といっていいぐらい両極でありまして、ブレイキーはごりごりのファンキーサウンド、MJQはジェントルで室内楽的な静かなサウンド、今思うとジャズ入門にはいい二枚なんですね。ジャズのソウルフルな熱さというのも味わえるし、逆にクラシカルでクールな感覚も楽しめる。僕は最初、クラシックに傾倒したというのもあり、MJQのクラシカルな演奏はすんなり入ってきたと思います。今、ジャズ側からMJQというグループを見ますと、実はそうとう変な音楽をやっていたということがわかるのですが。なんたって、当時黒人がアメリカで差別などに対しやるせないフラストレーションを音楽にぶつけてジャズを演奏していた中で、彼らだけタキシードを着て白人のクラシックに擦り寄っていった音楽なのですから。今となってはそういうクラシカルなジャズって理解できますが、そりゃ当時は変なグループだったと思いますねえ。

 ジャズとしてはブレイキーがある意味正当、MJQが異端なのですが、僕が最初に耳にした時は僕の中ではブレイキーの音楽が異端でMJQが正当に聴こえていたのですから面白いものです。まあ、クラシックにはまっていた頃と言うのはある意味権威主義的な聴き方をしていたのだろうなあとも今思いますね。どちらの側に立ってみるかによって(または俯瞰することによって)それまでのあり方が180度逆転するというのは色々な状況に見られることでありましょう。

なんだこれは!

Rimg0003_5  数日前、我が家のテレビのリモコンが壊れまして大変往生しておりました。テレビの前まで行ってチャンネル変えるって面倒くさいじゃないですか。いやあ、困ったなあと思っていたのでありますが、昨日連れのお方とゲームセンターの前を通りかけたところ、おもわず足が止まりました。な、なんとこのリラックマのテレビリモコンがUFOキャッチャーの中に。このキャラクターに目が無い連れのお方が欲しがらないわけはなく、なんとかゲット。

 さて、家に帰ってきて本当に使えるのだろうかと電池を入れて動かしてみるとこれが見事ちゃんと使えるのでありまして、あらまよかったよかった。それにしても、キュートというかお間抜けというか、このお姿、この大きさといい思わず苦笑。一人で暮らしていたらまず絶対にこのリモコンはありえなかったでありましょう。うーん、これでいいのか。

食の感受性

Rimg0001_19  素晴らしいメロンを中野のカレー屋さんのオーナーSさんに頂きました。Sさんは北海道富良野の出身でありまして、その名もずばり「ふらのメロン」であります。果肉はご覧の通り、赤い色、味は糖度が高く甘くそして芳醇な香と、実に高貴な果物ですね。この赤い果肉のメロンはもともと夕張メロンがはじまりだと思いますが、今では大変高価な夕張メロンも最初に市場に出た時(1960年代)はこの果肉の赤色がかぼちゃに似ているということで安く買い叩かれて評判が悪かったそうです。時が変われば評価もかわりこの赤い果肉だからこその甘さは絶品ですな。

Rimg0003_3  僕はこの赤い果肉のメロンを子供の頃から食べていまして、といいますのも僕がお金持ちの子供だったというのではなく、父親の北海道の知人が毎年毎年夕張メロンを送ってくれていたのです。まだ全国的にも有名でない頃からこのメロンが届くのが楽しみで、今でもこの香と果肉の色を見ると子供の頃を思い出します。まあ子供時代の思い出が夕張メロンとはなんとも贅沢なことでありますね。

 子供時代に強烈な印象を受けた食べ物というのは一生忘れることが無いようでありまして、僕にとってはこの赤い果肉のメロンというのもその一つなのです。僕が食べ物に執着してしまうのはどうもこういう子供の頃の体験がひとつひとつはっきり刻まれているからなのでしょうか。そのひとつひとつが時々ふと思い出すかのように体から出てくる、なるほどこれは食の感受性というものなのかもしれません。ただ美味しいと思うだけではなく食にもそこから広がってくる深い世界がある、ふと思い出すストーリもある。毎日毎日、口にいれるものではあるけれど、それぞれに世界があり、そこから豊かな時間にも繋がっていく。食べ物からも感じる心、それはやはりファーストフードやコンビニのものでは養うことのできないものであるようです。

海にも隠れる場所はある

 大工さんと海の家は大変だろうなあ、と思うこの長雨、飲食の仕事の僕らにもあまりいいものではありません。やっぱり夏はカーッと日差しが照っているほうがどんなに暑かろうと夏らしいというもの。入道雲と青い空に強い日差しという光景にはやくなってもらいたいものであります。昨日の江ノ島なんて1500人しか人がいなかったそうで。確かに寒い海じゃあねえ、気分も盛り上がりませんな。

 僕の実家はその江ノ島から三浦半島に向かった海岸線沿いの町、葉山でありますが子供のころの夏の思い出といえばやはり海。家族でもいきましたが、当然子供たち同士でも海には小さい頃から平気でいっていました。親もあまり心配してなかったのですかね、台風の前だろうと大きな波が面白いって行ってましたが別に止められなかったです。まあ、葉山の海岸って外海じゃないので台風といってもわりと穏やかですから、しかも親たちも今みたいに過保護というわけじゃなくほったらかしのところありましたしね。

 そう考えると子供っていうのはある部分、親から完全に離れた場所で学ぶことも必要なんですね。親には知らないところである意味危険なこともしながら学んでいく。もちろん、親は見てみぬふりしているのかもしれませんが、そういう部分もないと自立した気持ちってなかなか育たないのではと思うのであります。もちろん、まだ子供だから幼稚きわまりない行動も取るからね、そうなったら大人がぴっしゃっとストップかけたり警告だしたりするのも必要ですが。それにしても、思い出してみると自然の中で放任というのが良かったのでしょう。あくまでも自然から学んだ部分の大きさは今になってわかるのです。ここまでやると死ぬなとかね(海でマジで何度か溺れかけてますからね、窮地を脱することができたから良かったですけど)、またこれは触ると痛いから次回は気をつけようとかとりあえず試してみて解るわけですよ。子供は危なくても触るし、手をだすのです。でもね、それを危ないからってやらせないと痛みがわからないから本当になぜ危ないかが理解できないのですね。今になればあの時ゴンズイでも電気くらげでも触っておいて良かったと(よく触ったよほんとに)思えますです。

 またね、それって自分で発見したんだっていう(もちろん大人は知っててもね)子供ならではの自負に繋がるのですよ。大人も知らない(と思っている)秘密基地を子供は持ちたがるのはね、大人から離れて僕たちだけでもできるんだっていう自立の第一歩かもしれないんだな。また海育ちの僕らは海水浴といっても砂浜には行かないでね、岩場の普通の人が近寄らないところに集まるわけ。これはね、僕らだけが知っているその岩の先の海底はは深くえぐれていて岩一つ無いのをわかっていて底から3メートルぐらい下の海に順番に飛び込むわけです。これは傍から見ていたらひやひやするだろうけど、僕らは理解してるのよ、ここは大丈夫だって。しかもそれを自分たちで見つけたんだぞってね、ちょっと得意になってったのです。そうやって子供は子供から大人になるための準備を始めるのでありましょう。そんな場所で自由にできた僕の子供時代はやはり幸せだったなと改めて思えるのでして、なんでもかんでも親の目の届く場所ってのも窮屈なものなんだろうとも考えるのです。

 海は広くて大きいだけじゃなくて、隠れ場所だったんだ、ということを大人になってから知りましたがあの秘密の岩場、今も地元の子供はそこで遊んでいるのでしょうか。

 

 

得なんてしないでいい

 これは僕が最近自分自身に言い聞かせていることです。どういうことか、と言いますとね、テレビ、新聞、ネットのニュース見てますと毎日のように不正、汚職、賄賂、インサイダー、その他ズルイ、汚い、卑怯と言うような話ばかりじゃないですか。そんな問題ばかり見たり聞いたりしていたら、それってみんな自分だけ良けりゃいいって奴等の話なんだということなんですね。そりゃ僕だって少しは生活のために得したいなあと思うことはありますし、都民住宅に申し込んだり、JRのお得きっぷ買ったり、馬券や宝くじ当てたいと思って買ったりしますけどね、でも人を出し抜いたり裏で舌出してという訳ではないですから。

 じゃあなんで「得なんてしないでいい」、と思うようにしているかというと、例えば最近の話だと赤坂の議員宿舎が一等地なのに数万円で住めるとかね、またその宿舎建て替えの間の仮議員宿舎が超高級で何十億円も予算があるとかね、てめえらだけ特権使っていいところ住みやがってなんてばかり思っているとさ、自分も立場変わればそういう特権使って住みたいのかって自問自答するのですよ。そりゃいいとこ安く住みたいとおもうのはみんないっしょだろうけどさ、税金使ってある意味国民騙してね、痛みとともに改革!なんていっている御仁のお住まいがその一等地だなんて凄いブラックジョークじゃないですか。僕はそういう良心をなくした感覚になりたくないと強く思うのでして、そう思うとね、得なんてしなくていいんだ、得しよう得しようと思ってるとそんな奴等といっしょになっちまうぞ、って子供を諭すように自分に言い聞かせてるのであります。

 損して得取れ、じゃなくて損しっぱなしでもいい、それでも守らなきゃいけないものってあるはずなんですよ。それが美学というものだし、昔の日本人にはあきらかにそういう上品な、それでいて気骨のある人たちが生きていたはず。それがいつのまにか馬鹿首相の下、盲目的に自己の欲求ばかり優先する人たちばかりになってしまった。そして誰よりも自分だけ良けりゃ他人がどうなろうとかまわないという人の集まりがこの国になってしまった。手を差し伸べるなんて馬鹿げたことといわんばかりにね。「お金を儲けることがそんなにいけないことなんですか」と訴えた男がいたが、「いけないなんてこと言いませんよ、どうぞご自由に」と僕は言うでしょう。もうそんなことがどうこうなんて次元にこっちが付き合うのが馬鹿らしくてね。つまり、彼には凄いことと思えることと僕が凄いと思うことは、もう天と地の開きぐらい違うということなんですよ。それに彼がいる場所だってお金はあってもそんなに素晴らしい場所に見えないしね。

 むしろ美しい生き方というものがこの世にあるとするなら、たぶんその生き方はそんなにお得なことばかりではない気がしますね。むしろ、人から見たらなんであんなひどい状況なのにあの人はいつも毅然として前向きで笑顔をたやさずどの人に対しても優しい気持ちで接しているのだろう、というような生き方ね。もちろん、そんな生き方するのは大変なことだけどそういうところを目指していこう、という向上心があってもいい。子供たちが少しでもそういう気持ちになれる世の中にするためにもさ、先ず僕らから「もう得なんてしないでもいいさ」ってさらっと言えることが大事じゃないかな、って思っているのです。

今は遠い海

 夏かあ、子供はもう夏休みになったのですね。僕もこの前まで夏は海によく遊びにいったのですがいつの間にか海からは遠い生活になっちゃいました。これは生活が変わればしょうがないのだけれど、考えたらもう5年近く海に入っていないかもしれない。ダイビングももう6年ほどやってないし、なんか寂しい気もします。

 子供の頃は海の町で育ったので夏に海に行くのは当たり前でしたし、社会人になっても鎌倉でヨットなんぞをやってましたしね、香港ではダイビング三昧、海とは切っても切れない仲かなと思ってたら結構縁遠い間柄にいつの間にかになっちゃった。まあ、東京で生活するとはそういうことになっちゃうのでしょうね。なにかが始まると何かが終る、人生ですべて今のまま変わらずというのもつまらないものだろうし、変わるということはそういうことなのであります。今は海からは遠いけどまたいつの日か海が近くにあったらいいなあ、いやきっと近くにあるのだと思っています。

思いがけず深夜のテレビで

Billy  深夜にテレビを見ていたらその時間にやっている番組と言えば通販関係ばかりなのですが、そこでビリージョエルの古い映像が流れCDをコマーシャルしていました。思わず時間が止まってしまったかのようにテレビに釘付けになってしまった僕でして、ああ懐メロだよ、これは、まずいなあと思いつつ密かに疼く感傷に少しだけ浸っておりました。あんまり感傷に浸って昔を懐かしむのをちょっと控えようと思っていた矢先だったのでねえ。(こういうことが増えると絶対に老け込みそうな気がするのよ、最近特に)

 僕はジャズ、クラシックは山ほどあるのにほんとうにポップス、ロック関係のCDとかレコードをほとんど買ったことがありません。まあ、あれほど中学からクラシック、ジャズ関係のレコードを買っていればロック、ポップスまで手が回らないというのもありましたが、まわりの友人と同じものを聞きたくないという天性の天邪鬼気質もありほとんど聞かなかったのです。しかし、その中学時代に唯一といっていいほど繰り返し聞いたポップスのレコード、それがビリージョエルのこの「ニューヨーク52番街」であります。

 なんでこのレコードだけジャズでもクラシックでもないのに持っていたのかといいますと、中学時代の親友の江口君から誕生日プレゼントにもらったからです。当時、LP一枚って月のこずかい全部かそれ以上になってしまう高価なものでしてそれを親友だった彼からもらったのはかなりの驚きと喜びでありました。そして僕もそののち彼にボストンの「ドントルックバック」のLPを誕生日にお返しにあげたのですが、今から考えると微笑ましいというか、かわいいというか。

 そういうこともあって、毎日毎日その時はビリージョエルのこのLPを聞きまして実際かなりはまりました。「ニューヨーク52番街」はビリーの中でもかなりジャズ色が強くバックミュージシャンもブレッカーブラザースやフレディハバードなど当時名うての人たちが参加していてそれも大好きになった理由の一つです。でも一番は楽曲の良さ!ジャジーな味付けをしてある曲が多いこのLPは僕にとってはビリーの最高傑作であると思っているぐらいです。

 「マイライフ」「オネスティ」とビッグヒットの曲もあり、また「ザンジバル(特に好きな曲でした)」や「ビッグショット」など名曲揃いでして、このLPだけはいつのまにか僕の中でどうしてもはずせないものになってしまったのですね。あの当時ロック、ポップスほとんど聞かないのにこのLPには出会う運命だったというのも不思議な気持ちがね、するのですよ。これだけジャジーな要素が強いのはビリーでもこのLPだけだしね(このあとのビリーはどんどんロック色が強くなって僕は嫌いになってしまったのです)、また僕が他に好きなロック、ポップス系というのがみんなジャジーな匂いのするものばかりだし(スティーリーダンとかアルジャロウとかね)。やっぱりどこかにそういう匂いのもの匂いのものに当時から惹かれていったのでしょうね。

 このLPをくれた江口君は今はどうしているのかなあ。そんな思い出もあって今でもこのLPは実家のどこかにあるはず。そういえばCDで買いなおしてなかったなあ。ああまた無性にききたくなってきた、ということでこれからまた買いに行ってこようかな。(こうやって思い出すたびにCDを買いにいきたくなるというのはもはや病気でありこれが結局感傷に浸ることになっちゃうのかしらん。それなら元の木阿弥だなあ)

あきらめちゃいけない

 僕の店の常連はやはり僕と年が近い人が多く、30代40代のお客様が中心であります。この世代で会話される中でよく話題になるのが30から40になるにつれて毎日、毎年が加速度がついて早く過ぎていくというよくある時間の話。もう、誰もが当たり前のように感じ、また日常茶飯事で30後半から40代以上が感じることでありまして、みんなぼやきのように「なんかまた一年あっという間にたって夏なんだねえ」とか「そうこうしているうちにもう人生半ばまできちゃったよぅ」とか、または「学生まではあんなに時間が長く感じだのに、最近は一日一週間が気がつくとすぐ過ぎちゃってるのよね」などなど。

 これは裏返せばもう若くないと自分から認めているようなものでありまして、確かに若い時はこんなこと考えもしないし時間なんていくらでも無限にあるように思え、おじさんおばさんになるなんて夢にも思わないわけですからしょうがないことではあります。だが、しかし、これ呪文のように言っているとたぶんさらに加速度がついて老けていくようにも思うわけで、なんか諦めの言葉のようでいかんですよ。

 なにしろ、時間がすぐ経っちゃう理由として「最近刺激もないしさあ、毎日毎日同じことの繰り返しだからねえ」なんてこと言ってたりする(ねっ、そこの貴方!)。そりゃ、確かに大人になればなるほど刺激的なことは経験済みでだんだん鈍感になってくるのは当たり前。だったら意識的に刺激的なことや興味にわくわくすることを常に探さないといけませんな。それも40過ぎてからは肉体的な刺激と言うより、どちらかというと知的好奇心に作用する刺激を求めるほうが良いようで、これはあとになってボケ防止にもなるんですから(ええ、後の血祭りにならないようにね)。映画でも本でも音楽でも、または新しい勉強を始めるでもいい、自分から求めないと時間はやはりあっという間に過ぎていくようであります。

 これある学者さんが言っていたと思うのですが赤ちゃんの頃の時間というのは一日とってみても初めて体験することの連続でありものすごく目まぐるしい世界だそうです。だから毎日毎日がぐったりするぐらい動いて観察して吸収してと、忙しいのですね。それが成長するにつれ経験してわかることも多くなるとその一日、一日がだんだんと目まぐるしくなくなってくる。そうなると逆に時間がはやくすぎていくように感じ出すようなんですね。

 また別の学者さんが言うには時間とは、体重の大きさによって違うと言ってます。どういうことかというと例えばねずみの心臓と人間の心臓と象さんの心臓は体重の大きい順に脈拍の時間が遅くなっていて、それは心臓だけではなく時間というものが体重の四分の一乗に比例しているかららしいです。簡単に言うと10倍の体重だと時間が1.8倍長くかかるということだそうで、体重の小さいものほど時間が早いのです。エネルギーの消費も時間と体重の関係で言えば、小さいものほど早く動くので(ねずみを思い浮かべるとわかりやすい)たくさんのエネルギーを消費するわけでして、エネルギーを多く消化すればするほど時間がはやく流れるそうであります。これはさっき言った赤ちゃんは時間が長く、大人は短いという話の逆説に見えますが、そうではなく子供はそれだけ早い時間の中で動いているから一日や、一年という単位ではものすごく長く感じるわけで、大人は逆にゆったりと流れる時間の中にいるため、一日や一年という単位ではあっという間に感じるということが生じるのだそうです。

 だからやっぱりある意味しょうがないことなんですね、大人になってしまった以上。でも、こういうことから考えるならじゃあ諦めちゃうというより、その時間どれだけ納得して充実させようかって意識的に考えたほうが楽しいと僕は思いますね。もう、子供のように無意識に生きて充実ってわけに行かないのが大人なんですから、やっぱり大人としては頭使って(それだけ経験した頭が誰にもあるんだからね)日々刺激をうけつつ人生を謳歌していきたいじゃありませんか。それはあと時間がどれだけという計算より、今日、一日一日を自分が納得できる生き方を探していく、その探していく過程もまた充実であり刺激であり、そんな方法で自らをわくわくさせて生きていけたらいいじゃないですか、ねえご同輩。

恒例行事

Rimg0001_18  バジルがものすごく育ってしまったので一気に収穫いたしました。今年はたくさん育てましたので豊作、豊作。これだけのバジルだとボウルに収まりきらないでこの状態。部屋中がバジルの良い香に満たされまして、収穫の喜びに今年も浸れたことをまた嬉しくおもうのであります。

 肉厚で大きく、そしてこの色、スーパーで買うバジルではこのフレッシュ感はまず味わえないでしょう。早速、お店に持っていきすべて保存がきくペストジェノベーゼに仕上げます。

Rimg0003_2  松の実とパルミジャーノレジャーノチーズをふんだんに入れてそこにニンニクとオリーブオイルを入れフードプロセッサーでペースト状に。これだけの量ですから3回ぐらいに分けて作りましてこれだけたくさんのペストジェノベーゼの完成です。

 ペストジェノベーゼはもちろんパスタのソースには最高ですし、肉をソテーした時のソースにしてもよし、ポテトサラダや魚介のサラダに和えてもよし、バゲットに塗って焼いてもよし、ほんと万能ソースであります。しかも自分で育てたバジルなら美味しさも一段とよし、もう市販のバジルソースなんて口にできませんぜ。

Rimg0002_15  さて、収穫の終ったバジルですが、まだまだこれからもうひと花、いやもうひと葉?咲かせていただくわけでありまして、現在はこのようにすっかり丸坊主のようでありますが夏の強い日差しと毎日の水やりでぐんぐんと再び葉をつけていくことでありましょう。毎年毎年バジル栽培はお手軽で、手間いらずで、そして観賞もよし、食べてよしといいことばかりでしてこのペストジェノベーゼ作りも僕の中での恒例行事となっております。

 都会に暮らす我々にとってともすれば四季や流れゆく時間を感じることをおろそかに過ごしてしまうなかで、毎年こうして季節を感じどこかで土の感覚、水の感覚、そして光や風を肌で感じることができ、そして自然の摂理と時間を自分にもう一度引き寄せることができることをあらためて嬉しく思います。

今年もとってもお得!

 七月も半ばに入り今年も夏の旅行の計画を企てまして、結局昨年同様連れのお方の実家、秋田に向かうことに決定しました。お店は八月十三日(日)から八月二十日(日)まで9日間お休みとなり、その間にリニューアルの工事になるわけですがその途中の十五日から十八日までの4日間、東京を離れ心の洗濯に行ってまいります。

 さて、今回もただ秋田(鷹巣方面)に向かうのではつまらないので列車の旅に決定。東京から角館まで新幹線で、そして角館から実家の在る合川まで秋田内陸縦貫鉄道に乗っていこうと思っております。先月ブログに書きましたがこの路線に一度乗りたいのでして、先ずここを使うという方向で連れのお方を説得。そして合川の実家のあとは、函館に一泊して帰ってこようかと思っております。函館には先ず青森まで特急で向かい、そこからスーパー白鳥という新型特急に乗って向かいます(これがまた楽しみ楽しみ)。帰りはやはりスーパー白鳥で函館から八戸まで。八戸から東京まで新幹線という、すべて陸路での旅となるのですがこれが結構安く収まってしまいます。

 なぜかというと、二人の北東北、函館きっぷ というJRのお得きっぷを使って行くからでして、これは夫婦、カップル(男女限定)で使うと大変割引率が高い切符でありまして4日間どれだけ東京から北東北、函館まで乗り倒しても、48,000円(二人)ぽっきりなのであります。これは凄いきっぷでね、僕らのこの行程(内陸縦貫鉄道を除く)をまともに購入すると二人で48,000円の倍近い金額になってしまうわけで連れのお方の実家が秋田にあって良かった!と思えてしまうほどお得なのです。しかも函館まで行けるのだから使わない手はない、ということで今回は北海道まで足を伸ばすのであります。

 昨年もこのきっぷ使って五能線のリゾートしらかみに乗ったりしたのですが、今年も我ながらなかなかいいプランだと自画自賛。最近,Yさんという列車旅好きのお店のお客様の影響もあり、自分も実は列車旅大好き人間であることを自覚しだしました。やっぱり空飛ぶ鉄の塊なんぞに乗ってするのは旅ではありませんな。今年も楽しみであります。

朝っぱらから

Image0331  本日、月曜日は祭日のためお店お休みさせていただきます。

 連れのお方は休日にもかかわらず出勤だそうで、僕は朝からフリー。夜はお店のお客さんのYくん、Yちゃんカップルと連れのお方と4人で中野の美味しい中華料理屋さんに行く予定であります。

 どうも貧乏性なのかなあ、今日は一日まるまるお休みと思っているとこんな朝早く起きちゃいまして(ただ今7時)なんだかね、子供みたいです。これからシャワー浴びてどうしようかな、また寝るのはもったいない気もするし、どうしようか考えているのもまた楽しですね。さて、どうしよう。

幸せってなんだっけ

 僕がお店を始めてこの仕事は面白いなあと思うことは様々な人の生き方を見ることができるということです。もちろん、僕のお店にいらっしゃるお客様と言うのはやはり僕のお店だから集まる人たちということでそれなりに個性的な人が多いようでありまして、その人たちのそれぞれ興味を持っていることを聞き、またお話できることはとても楽しいことです。

 もちろん共通の話題で盛り上がることもありますが、僕にはない趣味をもっている方のお話はまた興味深いものがあります。その人なりの幸せの在り方というのでしょうか、人はそれぞれ個別に幸せになれるわけでみんなと一緒に幸せになることだけが幸せな世の中という訳じゃない。

 その人たちがそれぞれどういうことで幸せを感じるかというのはここでは触れませんが、僕の店の(特に常連の方々は)それぞれちゃんと自分だけの幸せになれる方法を持っている、そしてまた他者の幸せの在り方をちゃんと認めることができる人たちでありまして、こういう状況がまたいいなあと最近思っているのです。

 なぜ、こういうことを思うのかと言いますと、世界、特に今の日本社会が全体主義的な幸福論から各々個別の幸福論へ、そしてその多種多様な幸福論の共生というのがとても重要だと考えるからです。もちろん、福祉や税金の問題、教育や住居など生活環境での幸福論というのではなく(こういう問題は個別にどうの、ということでもないでしょうし、もちろんこの中にも個別に考えるものもあるのですが)、あくまでもこれからの人間の生き方においての幸せとはということです。

 長いこと日本人は全体主義的に幸せを追求してきたわけで、みんなで車を買って、みんなで家買って、みんなで海外旅行行って、こういう追求がある時期までは成長に貢献してきたわけでして、また国としても全体としての幸福論を操作して近代化を成しとけたともいえると思います。ですのでそのことをどうのこうの言うつもりもないですが、さすがに状況は変わってきたのがこの21世紀、もう大多数の満足できる、しかも共有できる幸せの在り方というのは難しいというか、むしろ多種多様な幸せの在り方をお互いに認め合い生きていくほうが、またそういう環境のほうが今の時代幸せな状況というものだろうと思うのです。

 もちろん、日本人は長いこと集団の中で個を認識することに慣らされ回りの目を気にせずに自己の幸せに身を委ねることが苦手な人も多いかもしれません。また、他者の幸せにばかり目がいきそれを排除したくなる衝動を持つ人もいるかもしれません。そしてそのやり方が身についてしまって逆に抜けれなくて不安やストレスがたまる人々が増えているかもしれない昨今、みんなと同じなら幸せという世界はすでになく、それでもしがみつこうとすればするほど幸せどころか辛い状況になるような気がするのです。

 つまり、もう高度成長後の成熟社会においては全体主義的幸福論では幸福を享受し満足を得ることができなくなってしまったということであり、これが正しい幸せというものも各々にはあっても絶対的なものではなくなってしまったということでありましょう。そのためにそういう一元的幸福論は無意味なものになりそこに意味を見出そうとするなら宗教的なことに向かうしかないのでしょうが、その宗教ですら各々幸福論がありそれを主張するがあまり対立するという図式になってるのあります。

 僕は宗教がどうのといっているのではなく、その一元的幸福論ではなく多元的な幸福論といいますか、それぞれ幸せに思っている領域はよほどのことが無い限り、干渉したり排除しようという考えになってはいけないと思っているのです。というのも最近、マスメディアの論調などを見ますと大多数の支持するもの、それだけが優先され世論を作っている気がしてならないわけで、そこにはどうしても一元的な、全体主義的幸福論に持っていこうとする強引さが見えるのです。なぜなら、全体主義的世論は莫大な利益に結びつくわけでありまして、みんなが一つの方向を向いてそれがあったら幸せとなったらそこに関連する企業はぼろ儲けなわけです。しかし、前述しましたように、社会の構造がもうすでに全体主義的な幸福論では前に進めなくなっている、そこにいまだ全体主義を煽るということがどれだけ人々の生活に歪みを生じさせているか、ここが問題なわけであります。さらに、その一方でマイノリティの幸福の追求や行き方が不当な扱いや、差別を受けているという問題もある。そして、それが全体の中でしかいきられない人にとっての不安の解消ということにはなるでしょうが、果たしてそれが幸福な生き方といえるのか。

 このことは書き出すと延々続きそうなのでこのあたりにしますが、やはり僕が望む幸せとは全体主義的で一元的なことではなく、僕の店でそれぞれのお客様が語ってくれ、またそれをみんなが認め合っている、これに尽きるのではないかと思うのです。

ソウルフード

Image0301_4  昨日のランチは先週わざわざ宇都宮まで行ってお土産に買ってきた餃子を焼きました。たかが餃子ですがやっぱり美味いのよ、なぜかこの宇都宮餃子。別に奇をてらったものではないのですが、正統的にしかもリーズナブルで美味いと三拍子そろった餃子でありまして、ニンニクの味も強くないですし、野菜が多めに入っているヘルシーな(感じがする)一品であります。

 僕がかなりのカレー好きなのはご存知でしょうが、餃子も負けず劣らず好きでありまして、普通この二つ嫌いって人はあまりいないかもしれませんね。思い起こせば実家で母親の作る餃子は二種類必ずテーブルにのりまして、一つは父親用のニンニク抜き、もう一つは僕と弟と母親が食べるニンンク入りでありました。やはり子供の頃、餃子だと嬉しかったのだと思いますが母親が起用にあの形に包んでいくのを見るのはとても好きでわくわくしたのです。

 その後、大学時代に台湾に留学しそこで本場の餃子にふれまして初めて餃子が中国では水餃子があたりまえだと知りました。焼き餃子は鍋貼といいまして水餃子に比べると一般的ではありませんでして、しかも餃子の中にはにんにくは入っていません。その当時、台湾の餃子などをだす店ではテーブルに山盛りにもった剥きにんにくがあり、そのにんにくを生のままかじりながら水餃子を食べたのであります。そして餃子をだしていた小さな店ではご飯をだしていなかったので、外でかったご飯を持ち込んで僕ら日本人留学生はなまニンニクをかじりつつ、水餃子にご飯を食べたのでした。(今から22年まえぐらいのことです)

 社会人になっても餃子好きは変わらず、駐在でいた香港でも点心の餃子を7年間で山ほど食べました。これはこれで美味いのですが、日本人には食べ続けると飽きがどうしてもくる。さすがにもう点心の餃子は見たくないと思ったのですが帰国して食べた日本の餃子はやはり別格。これはもはや日本料理であり、ソウルフードといってもいいかもしれません。ビールに餃子、これがあればどこでもかんばっていける(んじゃないかな)と思わせる食べ物なんですね、僕にとっては。

入り口が変わると

 今後の予定として書きましたお店の入り口のリニューアルの準備が着々と進行中。打ち合わせもほぼ終わり、お金も払い後は工事を待つだけ。(お盆の8月13日(日曜日)から8月20日(日曜日)までの9日間がお休みとなり工事期間となります)

 入り口が変わるというのは店の顔が変わるということ。これはお店の集客やイメージに凄く影響するのですよ。つまり、野球やサッカーチームであればユニホーム、うら若き乙女であれば髪型、美人(巷でいう)ジャズピアニストのCDであればジャケット写真、最近のもてるお笑い芸人ならば眼鏡、というぐらいに大切なものであります。

 つまりシンボリックな部分がその中身への興味を誘い、記号化されたものがあるステレオタイプ的な認識を生じさせるということになりましょうか。そういう一般化された認識って僕は実は大嫌いなのですが(あっ言っちゃった!)商売はそういうものを抜きにはできませんねえ。まあ、そのシンボリックな部分で損をしている可能性があるならなおさらでありましょうか。「俺は外見で判断されたくねえってんだ。中身で勝負よ」と江戸っ子ぶってみたくもなりますが、それでは銭の花は咲きませぬ。ある程度のわかりやすさがあり、そしてちょっと気になるという他との差別化、そして冒険しているように思わせておいて実はそれほど自分のテリトリーから逸脱していない安心感、こんな具合がよろしいようでありますな。

 これはいろいろなことに実は言えるのです。僕は30代半ばぐらいまで「解るやつだけついてこい」なんて嘘ぶいていましたが、やっぱり解ってもらう努力も必要なわけでね、そのとっかかりとしても、自分をどう先ずはシンボリックに相手に見せるかということも大事だったりするのです。というか、嘘ぶいていてもさ、ピアノを弾ける自分とかをちゃんとアピールしてたりしてて「俺は外見で判断されたくねえ」と言っていて実は判断されたがってるじゃん、と後で解ると赤面ものだったのであります。

 まあ、人は意識したりしなかったりしてそういうシンボリックな行為をしてコミュニケーションするものなんですから当然なことでありますね。最近もアイドルになりたかった放火魔の女というまさにこれぞ、シンボリックな話がありましたねえ。重要なことはそのシンボリックな部分から推察できることが真実なのか、幻想なのかということ。商売は幻想をある部分売っているわけですからそれを利用したりしてもいいですがね(悪徳商法もありますが)、人はその幻想でだまされないようにしたいものです。

 やっぱりカッコイイユニホームより実力のあるチームだろうし、かわいい髪形だから性格がかわいいかは別だろうし、綺麗なお顔のジャケットだからいいプレイをしている訳はないだろうし(というかこの場合は大半が綺麗なお顔だとだめですな)、お洒落な眼鏡だからネタが面白いなんてことはないのです。だってアイドルが実は放火魔だったりする今日この頃なんですから。

偵察

Image0051  早く引越ししたい。それが今一番の願いであります。前にご報告しましたとおり、都民住宅の優先入居権を持っているのですが、来年の六月まで一年間に空きがでればということになってまして待機中であります。

 とりあえず、空きがでればすぐにでも引越しできるその場所を先ず偵察に。物件自体はまだ築10年となかなか新しく外観はきれい。中は見ることは当然できませんがかなりよさそうなマンションであります。

 問題はその場所でありましてすぐ近くを環七がありましてかなり騒音は免れないかと思われます。まあ、家の中にいればちゃんと防音してあると思いますけど。やはり車の通る量ははんぱではないので空気と音はしょうがないところであります。

Image0101  まあ、この暑い夏に引越しするより秋になってすこし涼しくなってからというのが理想ですがここまできたら頼むから空きがでてくれ、と願っておりますがどうなるでしょうか。

 

やはり今年はくる!来日緊急決定!

Joaog  なんとボサノヴァの神様、ジョアンジルベルトの来日がまたまた決定。2003年2004年につづいて3回目の日本公演であります。とにかくボサノヴァという言葉はそのままジョアンを指すというぐらいの人でありまして、初来日は父親と、2回目は連れのお方と聴きに行きまして今回も必ず聴きに行こうかと思っております。そのギターワークと歌の織り成す彼独特のアレンジはまるで美しいモザイクを見ているかのように、そしてそれが万華鏡のように様々に変化し神業としか思えない前回前々回のコンサートでありました。 昨年は音沙汰無くジョアンを聴く事ができるのはもう一生ないかなあと思っていたら、また来日するというわけでどうも彼はすっかり日本好きになってしまったみたいですね。だってここ2年ぐらい世界のどこでも演奏したという話を聞きませんし、まあそうとう変わった人ではありますから。

 さて、今回の日程は11月4日(土)5日(日)8日(水)9日(木)の四日間、東京国際フォーラムホールAでの4公演。S席12,000円A席10,000円これとは別にミラクルシートという24,000円の席!!も売り出すらしい。前から4列までの99席だけということらしいですが値段が高すぎるなー。ちょっとやりすぎだよね。国際フォーラムなんてでかいホールなんだから。

 まあS席はとりあえず取らないと!やはり聞き逃せないコンサートではあります。

突発的プチ飲み旅行

 先週の土曜日の深夜につれのお方と馴染みの寿司屋で飲んでいたのですが、翌日、日曜日になにをしようかと話しているうちに酔った勢いで僕の友人のO氏といっしょに飲みたいということになりました。とはいってもO氏は再来月からまた東京に帰ってくるというらしいのですが、今はまだ浜松に転勤中でありまして、じゃあ日曜の昼にとりあえず浜松に電話してみるかとなったわけであります。そして電話してみると、なんとO氏は横浜にいた!彼は土曜日に釣りに伊豆に行ってそのまま友人の横浜の家に来て泊まっていたとのこと。おおっシンクロニシティだな、とこれ幸い新横浜から帰る前に引き止めとりあえず新宿で待ち合わせることに。彼は月曜朝(といっても昼らしいが)から浜松で仕事があるとのことなので東京で飲むのはちょっと辛いというので、じゃあ真ん中とって熱海で美味い魚で飲もうという企画に決定となったのであります。

 まあ、このO氏とは10数年来の腐れ縁でありましてこういうでたらめで行き当たりばったりの旅や飲み会をずいぶんと一緒にしてきました。あるときは僕が香港駐在から一時帰国したその日にそのまま岩手県にいって、翌日水沢競馬場に行ったとか、土曜の仕事が終わりほとんど寝ずに日曜朝から新潟に夏競馬を打ちに行き、翌日なぜか佐渡に渡っていたとか・・・(競馬ばかりですが)。最近はなかなかこういう機会がなかったのですが、ひさしぶりにお馬鹿プチ旅行となりました。今回は連れのお方も一緒であります。

Rimg0001_17  とりあえず東京駅でビール、缶チュウハイを買ってこだまに乗りましてすっかり遠足気分。約一時間、あっという間に熱海であります。行ってみると日曜の夕方ではありますが、ちょっと寂しい閑散とした雰囲気。一時期の活気のある熱海とはだいぶ違うようであります。今回は温泉にということではないので、駅に近くて安いビジネスホテルにまずチェックイン。そしてあとは熱海の街で飲んだくれようというのでありまして、新幹線の中でガイドブックからチェックした地元で取れた魚を料理してくれるという店に向かいます。

Image0231  これが当たった!まだ開店して1年足らずという綺麗なお店でして、刺し盛りも豪華、みな新鮮で美味かった!ひらめとか、鮑とかね、そりゃあ熱海まで来たかいがあるというもの。そして連れのお方が愛してやまないきんめ鯛を煮付けでもらいまして、この大きさ、そして美味いのなんの。酒が進みひさしぶりのO氏との馬鹿話も盛り上がりいい感じであります。熱海は東京からの近さを考えると今ならけっこうこういう使いかたもいいかもしれません。普通は料理つき温泉宿にいかれる方がほとんどでしょうがこんな熱海の夜も悪くないですなあ。

 そのままいい調子で酒を飲み、じゃあカラオケボックスでもいくかと店を出たのですがいけどもいけどもカラオケボックスは見つからない。それでしょうがなく普通の居酒屋にはいり店員に聞いてみると、カラオケボックスは熱海に2件しかないらしい。ここではまだカラオケはスナックで歌うものなんですかね、まあ若い人はあまり多そうではないしそういうものかもしれません。で、我々はその居酒屋でまた酒を飲み続けぐだぐだになってホテルに戻り、O氏は翌朝はやく浜松に帰っていきました。(お疲れさん)

Rimg0003_1  連れのお方と僕は翌月曜日はちょっとだけ観光をというので熱海ハーブアンドローズガーデンというところにいきましてそこで休憩。ここは観光ホテルで成功した会社が山の斜面に作った広大な庭でして海を見下ろす絶景な場所に薔薇やハーブがいたるところに植えてありました。なかなか目の保養になりましたがかなり蒸し暑かったのも事実。途中にあるティールームでローズアイスクリームとローズティーを。なかなか美しく、良い香が楽しめました。

Rimg0009_8  自然を満喫したら腹がまた減ってきたので熱海の町まで戻ってランチタイム。絶品の干物をだしてくれる店があるというので入ってみるとこちらも大当たり。僕はかますと鯵の干物の定食で連れのお方はまたまたきんめ鯛の味噌漬けを焼いた定食で。これが目の前で焼いてくれるどちらも地元ならではの素晴らしい味。干物は身がふっくらとして、塩加減も上品で美味いったらありゃしない。きんめも分けてもらいましたが実に味わい深い味噌漬けでありまして、この店にランチ食べにくるだけも十分熱海にくる意味がありますです。(写真はきんめの定食)

Rimg0011_3  帰りにお通しで使うために熱海で手作りの練り物屋さんでお土産を。何種類も綺麗に並んでいるので目移りしてしまいます。ここの揚げ物、練り物もいい仕事をしてまして美味しいものでありました。

 ほんといきあたりばったりでふらっと行ってきた割に充実の熱海一泊二日となりまして、もっと熱海湯河原あたりは気軽に行ってもいいですねえ。とにかく美味い魚をリーズナブルにいただけて幸せな2日間でございました。(昨日はちゃんとそのあと仕事もいたしましたです)

極上干物定食

Image0291_1 鯵、かます美味。腹も満たされ東京へ。

なぜか今熱海

Image0251_1 初島を臨む。

心地よい地獄

Inf_2    この前りんごがまるまる一個入っているカルヴァドスをここでご紹介いたしましたが、これはなんと超特大唐辛子が2本入っているウォッカ、その名もインフェルノ、ペッパーウォッカであります。毒には毒を、夏の暑さには辛さをというわけで今お店においてあります。

 味はかなり刺激的なウォッカになっておりまして、これでブラディマリーやモスコミュール作るとなかなかビシッとしたキレのあるやつができるのです。インフェルノですからね、地獄、焦熱という名前のウォッカですから、これで作ったモスコミュールはデビルモスコとか名付けましょうか。特にザジのモスコはジンジャーエールをウィルキンソンの辛いのを使ってますから、さらに相乗効果でばりばり辛いやつに仕上がっております。夏のひととき、このインフェルノ、ペッパーウォッカを使ったデビルモスコで心地よい地獄を味わってくださいませ。

聖地巡礼

Rimg0001_16  「ある朝僕が不安な夢から目覚めると、自分がベッドの中でとてつもなく餃子が食べたくなっているのに気がついた」・・・・のであります。よかった虫じゃなくて、というか昨日、朝から無性に餃子が食べたくなりふと気がつくと電車に乗っておりました。そして着いた場所は宇都宮!新宿から100キロ、はるばる餃子の聖地に。なんたってこの街には70件以上の餃子屋があり、一度行かねばなるまいと思っていたのですがついに決行してしまいました。

 ちなみに宇都宮湘南新宿ラインで新宿を出たのが12時28分で約90分で宇都宮14時2分到着。仕事があるので帰りは同じく湘南新宿ラインの15時39分に乗って帰らなければならず、滞在時間はわずか1時間半。このあいだに餃子屋2件をまわろうというミッションであります。

Rimg0002_14  でも、いきなり来たはいいが僕はまったく宇都宮には土地感がありません。とりあえず観光案内所にいくと餃子マップなるものが!これを頼りに駅から歩いて10数分の街中にある有名店2件を攻略することにいたしました。それにしても、地方都市って決まって駅前が閑散としていて繁華街はすこし離れた場所にあるのですねえ。暑い中、餃子を目指して歩きましたよ。とにかく時間がないのでわき目もふらず真っ直ぐにまず一軒目にたどり着きまして、そこでいきなり驚きました。なんと餃子一皿170円。しかもメニューには焼き餃子と水餃子しかなく、それ以外なにもなし。ビールもライスもないのであります。なんとストイックな餃子屋なのでありましょうか。お客は水だけで餃子を食べているではありませんか。とりあえず焼きと水餃子を一人前づつ頼んでみましたが合計で340円!!でも味は野菜の甘みと皮の甘みが絶妙の美味さ、あっさりとしていながら後をひく味で写真を撮るのもわすれて気がづいた時はこの写真の状態でありました。恐るべし宇都宮餃子。

 あまりにも安すぎて会計で340円払うのが申し訳なく、つい御土産30個入り800円を2箱購入。これは本日のお通しにも使おうということであります。それでも160円保冷の袋つけて2100円なり。ここのおじさんの言うことがまた人がよくて、「今度来る時はこの保冷袋持っておいでね。そうしたらそれに入れてあげるから」とこんなに値段が安いのに160円取ることを申し訳なさそうに言うのです。僕は飛馬のように心の中で泣きましたよ。「俺は今猛烈に感動している!」

Rimg0005_4   そして、その店をでてわすか十メートルぐらい歩いたところにもう一軒の超有名店が。名前は大阪の餃子屋といっしょですがぜんぜん関係はないという、県外でも有名な店の本店であります。ここはさすがに餃子以外にライスとビールあり。ただしやはりその他のメニューはなし。この潔さはいいですなあ。ここでやっとビールにありつけまして、店のおばちゃんが餃子に合うビールがあるといってだしてくれたのが、このご当地ビール「餃子浪漫」。これがなかなか味がしっかりしていて美味かったのです。それにしても「餃子浪漫」とは、聖地はどこまでも餃子ストイシズムが貫かれているのであります。

Rimg0004_3  こちらでは焼き餃子2枚を頼みまして、一人前220円。さっきの店よりは若干高いとはいえ、2皿で440円ですからね。もうひれ伏して餃子食うしかないのであります。こちらは先ほどの餃子より味がしっかりあり、ごま油の香も。ビールに合う美味さ。よくこの料理はこのワインにとか、マリアージュがとか言いますが、フランス人にはこのビールと餃子という究極のマリアージュを理解できまい!デリシャス、ブゥオーノ、ホウセック、ハオチー、マシッソヨというわけで、それにしても平日昼からのビールと餃子は背徳の匂いがありましてたまらんですな。しかもここは宇都宮の昼下がり。いいシチュエーションであります。

Rimg0007_16  すっかり一気に2人前の餃子をたいらげ、ビールでほろ酔いかげんになりここでも御土産2人前を買っていい気持ちで外に。15時39分に間に合わせるためにまた駅まで歩き、ほぼ無駄な時間なくまた電車に乗り発車。考えてみると2件での餃子プラスビール代が1180円。御土産代がやはり2件で2180円。しかしよくよく考えてみると、中野から宇都宮までの旅費が片道1890円で帰りはグリーン車だったのでトータル4730円と御土産代入れた餃子代より旅費のほうが高くつくことが発覚。いくら餃子が安くてもこれはまた酔狂な話であります。そんなこんなのミッションは無事成功し、18時前には中野 に帰ってきたのでありました。めでたし、めでたし。

Rimg0006_2  今年もすでに半分が終わりもう夏に突入。だんだん暑い日になってきましたが、いまだ梅雨はあけず。この湿度も高いというのはやはり人にとっては不快極まりないのでありまして食欲も落ちるというもの。

 お客様には外から店に来た時にまず涼を感じていただきたい、そう思いまして最近凝っているのがお通しでだす冷たいスープであります。ヴィシソワーズは香港時代もちょくちょく作っており僕自身がこの季節に飲みたくなるのでして、いろいろその応用のスープも試しております。この間はソラマメの冷たいスープをお出ししましたし、昨日のお通しはこの黄色が美しいカボチャの冷たいスープでございました。

 ショットバーでへんなお通しがいつもでてくるので有名な?僕の店でありますが、この冷たいスープがお通しで酒を飲む前に一口というのはちょっと粋じゃありませんかね。見た目にも涼しげでこの湿度の高い今の季節に喉にすっと入っていく気持ちよさ!食前酒ならぬ飲前汁(読みにくいなあ)でありましょうか。

 かぼちゃのこのスープもお客様には好評でして隠し味にベーコンを入れて味にアクセントをつけております。ちなみにこの器は韓国の李朝時代の骨董らしいですね(いただきものなので詳細わからず)。なかなかこういう器で冷たいスープというのもいいでしょ。初夏のちょっと洒落たお通しにはぴったりであります。

これぞ美食

Rimg0001_15  地元の人たちと一部の食通の人しか知らない竹の子が連れのお方の実家から今年も届きました。これは笹竹(または姫竹)といいまして、秋田の山奥、断崖を超えた地元の人しか入れない場所にある大変貴重なものであります。この缶詰は連れのお方のご両親が自分で収穫したのを地元の缶詰工場で自分たちだけの缶詰にしてもらったものだそうです(委託加工品とありますね)。知らなかったのですが、自分の家の缶詰を日常茶飯事で作っているとのことで、この笹竹は採ったらすぐに水煮にしないとだめになってしまい、長期保存するために缶詰に必ずするそうです。ちょっとかっこいいですねえ、マイ缶詰っていうのもね。

 ちなみにこの笹竹の缶詰、ほとんど流通にのっておらずなかなか手に入りませんがもし買うと一缶1000円ぐらいする高価な缶詰であります。聞くところによると銀座の料亭で使われるとも言われてまして、この4月から6月ぐらいが毎年シーズンであります。

Rimg0002_13  普通の竹の子とはちがったポリポリとした食感と独特の味わい。これが実に美味なんであります。これは連れのお方が御作りになった味噌漬けでありまして酒の肴には最高でした。秋田県内の人でもなかなか口にすることができない珍味を東京でいただけるというのは大変な贅沢でありましてどんな高級グルメよりもほっとする味といいますか、ありがたく思うのであります。なにしろ、僕の口にはいるまでに、あの秋田の奥深い自然の中でひっそりと自生している笹竹が、連れのお方のご両親の手で缶詰にされてこの東京まで送られてきたということがなにより嬉しいことですし、人の温かさもいっしょに詰められているわけです。旬のものを食べさせたいと思ってそれを届けるって、なにか食の原点だなあと改めて思うわけで、東京でふんぞり返って偉くなったと勘違いしたシェフ(まあいろいろいますがね、最近も事件起こしたのいるでしょ)が作った料理を食べることがグルメ(食通、美食家)だとは決して思いません。人の心があってこその食だと思いますし、僕はこの笹竹をありがたくいただけることこそ本当のグルメじゃないかと思ってしまうのです。

理想の生活

 最近、インターネットでショッピングを立て続けにしました。一つはブログにも書きましたがこの前の日曜日のパーティに使用するためにイベリコ豚を購入。そして昨日のブログの二本のレアウィスキーもインターネットで探して注文、購入。また、先日愛用のサングラスを失くしてしまったためにやはりインターネットでおなじようなカルバンクラインのサングラスを格安で購入。手元に届きましたが本物のいい品物でありました。

Jazz_standard_1  そして 本日届くのが輸入版のCD、PETE ZIMMER QUINTET BURNIN'LIVE AT THE JAZZ STANDARD であります。なぜこれを注文したかというと今個人的にはまっているジャズピアニスト百々徹氏がこのクインテットに参加しているからで、まだ日本では売っていない超マニアックなこんなCDまでインターネットで簡単に手に入ります。凄い時代だと改めて感じますねえ。だって肉、酒からサングラス、CDまで全部インターネットで探すことができて、購入できてしまう。キーボード叩けば簡単に入手できちゃうのですから。ちょっと自制しないとあっという間に衝動買いの山となりますから注意が必要でもありますが。

 これ東京でも山の中の過疎地でもインターネットが繋がっているなら同じようにできるわけでこれだけレアでマニアックなものがどこでも手に入るというのは考えたら恐ろしいぐらいであります。イベリコというスペインの高級豚とスコットランドの超レアなシングルモルトとブランド品のサングラス、そして発売されたばかりのアメリカのマニアックなジャズのCDがいっぺんに届くのだからねえ。世界は一気に小さくなってしまった感じすらしてしまいます。まあ、ある意味ありがたみが薄れるといったこともあるでしょうが、上手くネットを使えば僕のような人間にはとても便利で重宝でありまして、もはや使えない生活は考えられなくなってきたということでしょう。

 これなら東京にいる意味すらだんだんそれほどのことはなくなってくるように思いますね。そうなったらもっと自然のある田舎に引っ越しちゃってもいいかも。おっと、それにはお金がいるんだった。仕事も田舎でできること考えないといけないし。でも、都会から離れた自然の中の自宅の庭で、日差しを浴びながらサングラスかけて、ジャズのCD聴きながらシングルモルト飲み、イベリコ豚を焼く、なんて理想の夢の生活なんだよなあ。

ハイランドの珍しいモルト2本

Image0201  今月入荷のモルト2本ご紹介。一つはバンフ21年。レアモルトセレクションの57.1パーセントのカスクであります。蒸留所は1983年に閉鎖。建物自体が取り壊されているのでそれ以降新しい酒は造られておりません。ですので今となっては貴重な酒であります。この酒は1982年に蒸留。独特の風味を持つドライフルーツのようなフルーティーさとオイリーなやわらかさ、かすかな甘みと香ばしさのある味わいであります。

 今月のお値打ちモルトとしてこのバンフを通常2000円のところ1500円でお出しいたします。夏に少しライトな、それでいて香の豊かなモルトをお試しあれ。

それと今月は珍しいのをもう一本。グレンタレット16年、キングスバリーのこのラベルのものを。現在では入手は難しいとおもわれるこのシリーズですが味には定評があります。グレンタレットはスコットランド最古の蒸留所と言われており、1775年創業であります。生産規模は小さくポットスチル2基あるのみ稼動。バニラのような香で味はりんごのようでありナッツや麦芽も感じるようです。こちらは1ショット2000円になります。

 バンフ、グレンタレット、どちらも夏に向けてライトでスムースな味わいのモルトとおもいます。ぜひ。

宴の始末・・・ではなく顛末

Rimg0004_2  久しぶりに香港駐在時代の仲のよい友人たちと日曜日にホームパーティ。友人のO君夫妻にお誘いいただきまして昼間から楽しい宴となりました。昼から泡のでるお酒を飲める幸せというのはまさに休日満喫であります。そして9人の仲間とこうして時々会って美味しいものを飲み食べ語らうというのは僕らの恒例行事となってきまして、これからも続けたれたらいいなあと思うのです。

 さて、O君の奥様のいつも美味な手料理の数々や、最近すっかり料理にはまってなかなか凝った、しかも美味しいレシピをいろいろ知っているMさんの自慢料理数皿(今回はなんとデザートまで!)と次々とテーブルに並びます。

Rimg0005_2  そして僕は一点豪華料理、どーんとイベリコ豚2.7キロをオーブンで焼いてローストにするというこれぞパーティ料理というのを作らさせていただきました。このスペイン産のイベリコ豚、一度食べたらやみつきになること間違いなし、とにかく仲間に一度食べてもらいたかったのであります。結構有名になってきた高級豚肉でありますが、昨日のメンツは僕と連れのお方以外誰も食したことないというのでこれは作りがいがあるというもの。

Rimg0010_3  前にも書きましたがイベリコ豚についてちょっとウンチクを。イベリコ豚は3種類に等級がわかれていまして、一番高級なのがべジョータで、1ヘクタールあたり1頭から2頭ぐらいのひろびろしたスペースで放し飼いにされ、どんぐりの実だけで成長したもの。その次のレセボはべジョータと飼育は同じですが、どんぐりだけでは体重がみたないものをその後飼料で育てたもの。そしてビィエンソは飼料だけで育てた豚を指すそうです。つまり、最近イベリコ使ってます、という店の中でビィエンソ使ってそう謳っているのがあるそうですが、ビィエンソとレセボ、ベジョータでは味がぜんぜんちがうらしいです。そりゃどんぐり食べているというのイベリコのイベリコたる点ですからね。もちろん、値段もぜんぜんちがいますし。

Rimg0011_2  今回使用したのはレセボでありまして、限りなくベジョータに近いレセボだと購入先は言っておりました。ローストは以前に作っているので時間の計算はばっちり。180度50分のローストで20分休ませて、仕上がりはご覧の通り切るとピンク色で実に美しい。もう、味は言うことなし、脂身はまったく臭くなくそして上品に甘くてこれが豚なのかと驚きの声が仲間からあがりました。そして2.7キロあっという間にみなさまの胃袋の中に。大絶賛、感嘆の声が最後まで続き、僕はご満悦でありました。当然美味いもの好きな人たちですから、すぐにどうしたら購入できるのかと聞かれましてMさんにいたってはすぐにでも購入して使いたいとおしゃっておりました。確かにいい値段ですけれど、自分で料理して食べれば外で食べること考えればとても安い!(今回のレセボで100グラム約660円ぐらいです)こんな美味なローストポークはそうそうありませんですからね。お酒もすすみ極楽極楽。やっぱり美味いものは自分で作って仲のいい仲間と食すこれに勝る贅沢はありませんです。(次回はまたなにかを企んでやりたいですな)

 本日は友人のO君の家にお呼ばれ。久しぶりに酔狂な友人たちが顔をそろえます。僕はイベリコ豚(レセボ2.7Kg)を持っていきローストポークを仕上げようとたくらんでおります。先ほど、冷凍のイペリコが宅配で到着。準備は万端です。宴の全貌は明日を待て。では出陣。

僕がライブを好む理由

 本日はこれから下北沢にまた演劇を見に行ってまいります。ここのところ、お客様で役者のN君のお誘いもあり3ヶ月たて続けに観劇となりました。やはり、演劇の良さは生というかライブなところですね。テレビとか、映画と違って目の前に舞台があって、そこでリアルタイムに表現がありダイレクトに見るものに伝わってきます。役者さんの熱が肌で感じられるし、一回一回が勝負という緊張感もいい。もともとテレビも映画も無い時からこういう形で人々は表現をして何かを伝えていたのか、と思いながら見ますとまたなにか感慨深いものがありますし、この原初的表現手段は音楽だとジャズに近いなあとも思います。

 ジャズという音楽はまさにライブでこその音楽だと思いますし、最初にレコードがあって(今ならCD)というものではありません。ライブハウスで毎夜くりひろげられるセッションというのがジャズの原点であり、目の前で繰り広げられる各プレーヤーの丁々発止のやりとりを聴き、そして見るというのがジャズライブの醍醐味であります。ジャズを好きで長年聴いてきて、店でもライブを開催している自分がなぜ演劇的なものにも惹かれるのかというと、そういう共通点、ジャズプレーヤーや役者と同じ場所で同じ空気のなかでその表現を受け入れてなにかインスパイアされたい、という願望が常にあるからなのでしょう。やはり、ダイレクトになにかが伝わり、人のエネルギーが放出されていく様を感じられるライブが僕は好きなんだと思うのです。

 人がなにかを表現したくなって、なんらかの手段を使って人に何かを伝えていく。それは人間だからこその生の証であり、まさにライブであり、生きるというリアルがそこにあると思います。さらに突き詰めると人というのはコミュニケーションをなくしては生きていけないのかもしれない。人と人のつながりや、そこでの自分と他者のあり方、というものを見つめなおすにはライブなものに時々ふれるというのは大事なことかもしれないのです。今日もそれをこれから確かめに行ってきます。

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