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余韻

 実にくだらないことですが最近発見したこと。僕はコーヒーが好きで一日に何杯も飲むのですが、店に出ているときもちょっと飲みたくなって向かいのコンビニでブラックの缶コーヒーを買って飲むときがあります。サントリーやJTなど各社出ているのですが概してまずい。しょうがないからホットのやつを買ってくるわけですがどうも普通のコーヒーというわけにはいかないですね。

 ところがあることをすると割と(まあ割りとということですが)飲めるようになることがわかりました。それは缶からコーヒーカップに移して飲む、というだけなんですがこれでかなり味わいが変わるのです。まあ缶コーヒーというチープなイメージからの脱却、というのもあるでしょうが缶のままだと出てこなかった香などもありそれなり(それなりですが)に楽しめます。

 なるほど、ここで逆に家でドリップしていれたコーヒーをどうやって飲んでいるか、ということを再確認。そう、マグカップについだコーヒーは口をつけて飲むちょっと前に先ず鼻から香(アロマっていうとカッコイイかな)を吸い込みつつ、飲むという行為に移るのね。だから香が先に鼻腔から広がったところに口からの味わいを楽しむ、ということになっていて、これが缶コーヒーだと鼻から香の部分がなくて口から味と香、ということになるのね。実際に普通に入れたコーヒーを鼻をつまんで口に入れて、その後つまんだ鼻をはなして飲み込んでもぜんぜん美味しくないということも検証いたしました。やはり、この先に香がありそこから味という順序でコーヒーを美味しく感じるのであります。

 考えてみれば当たり前のことでね、ワインにしても大きなグラスにいれて飲むとはそういうことだし、ウイスキーにしても外出時にスキットルで飲む以外はやはりグラスにいれて香を楽しむものでありましょう。しかし、最近この香、というものに疎くなっているというか、なんでも無臭がいいみたいなね、そういうのって人間の感覚を鈍化させているように思うなあ。考えてみるとファーストフードってこの香をできるだけ遮断しているものが多いように思うのです。マックを香を楽しんでから口に、ということはないでしょ。ドリンクだってストローから液体を流し込むだけだし。コンビニの前にしゃがんで食べているのだって、鼻を使わずにただ流し込んでいるだけにみえるしね、ペットボトルからじかに飲むのもそうだしなあ。そのくせ、香水だけはつけすぎなぐらい派手につけてね、これも実は香に対して鈍化している表れなのかも。

 なにがいいたいかというですね、この鼻から香を吸い込むという行為、僕にはこれが鈍化すると人間イライラしてこないのかしら、と思うのです。深呼吸にしてもそうだけど鼻から香をかぐ、というのは(もちろん嫌な香は避けたいけど)とてもリラックスするという状況を生むように感じるのでして、それは香をかいだ後に身体に染み渡る余韻、ここが心や身体の緊張状況を解いていくように思います。この余韻、ここがあるからイライラした気持ちがすっと消えていったり、なにかを考えることのきっかけを生んだりするように、逆にこの余韻を感じないということは余裕がないということに繋がっているように僕には思うわけでして概して衝動的になりやすいのではとも思うのです。

 結局、香を感じること、余韻、 余裕、ゆとり、ということなんですが、そのゆとりに辿り着くには人間の側にそれを感じる受けいれ口がないといけないのでして、それなのに香をかぐということを鈍化させるようなことをしていると余韻を感じることができず、余裕も生まれず、ゆとりとは程遠い世界、っていうのは大げさかもしれませんがね、缶コーヒーの飲み方を変えてみるといろいろな考えも湧いてくるのでありました。

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コメント

こんばん~わ~

缶コ~ヒ~でも~
ゆとりの心で~美味しくいただけるかもしれないけど~

やはり~ コ~ヒ~とは 認められないなぁ (笑)

ひょっとしたら 器 を 手作りにしたら いいかも~

いやあ、コーヒーと呼べるほどのものじゃないですけどね。それでもだいぶまともになりますよー。

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