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完全回帰

Cwli  ここでも、ここのところ、クラシックネタが多くなっておりますが、ほんと20数年ぶりにクラシック音楽に没頭中。まさか、40歳後半にここまでまた、シンフォニーを聴くようになるとは思いもしませんでした。

 正直、ついこの間まで、ピアノ曲やバッハの無伴奏チェロ、バイオリンあたりは楽しめるけど、今更ブラームスやマーラーのシンフォニーはきついなあ、と思っておりました。それが、連日、伝票整理をしながらシンフォニー浸りでして、ほんとはまると一直線な性格の僕。

 今とりあえずはまったのが、ブラームスの第4交響曲。ブログでもアバド、バーンスタイン、クライバーの聞き比べについて書きましたが、また新たに凄い演奏に出会いました。

 クラシック好きのOさんに二枚ダブって持っているのであげましょうと、なんとチェリビダッケ、ミュンヘンフィルのライブのブラ4をいただきました。Oさんはちなみに春から仕事の都合で転勤になってしまい、しばし東京を離れるので残念なんですが、このいただいたチェリビダッケのブラ4、Oさんお奨めだけあって、いやあまいりました。凄すぎます。

 ここまで、細かいところに気を配って、繊細に演奏されたブラ4を僕はかつて聴いたことがありません。テンポはさすがチェリビダッケだけあって、超スロー。それなのに、退屈するどころか、聞かせどころがたくさんあり、目がというか、ミミが離せない。ものすごく、研ぎ澄ませて各パートすべてに目がいき届いており、それがモザイクのように絡み合い、見事な美しさを出しています。知性と情のバランスが実に気持ちいいのです。

 大げさにメロディを歌わせなくとも、切実な歌をちゃんと歌っている。感心、感嘆、感激であります。こういう演奏だとこんなにも聴きどころがある曲なんだと思います。じゃあ、僕が中学時代に聴いていたカールベーム、ウィーンフィルなんて、なんなのよ、なにも指揮者はやってなかったのか、とすら思ってしまうほど。あまりの、計算されつくし、それでいて、俯瞰して全体を把握している凄まじいまでの構築性、ただただ圧巻です。

 いやあ、これはチェリビダッケの他の演奏もこれから聴かねばなるまい。なにを今更、という人が多数でしょうが、まあそれだけクラシックから離れていたのと、その昔、チェリビダッケって幻の指揮者で、レコードほとんど出ていなかったのであります。聞くところによると、チェリビダッケは大の録音嫌いで、死後、遺族がライブ音源などのCD化をオッケーしたらしいですね。それで、巷に出回るようになったそうで、僕の若い頃は、海賊版ばかりでマニアが高値で取り引きしていたのでして、僕にはとても手に入れられなかった、という理由と、テレビなどで見て知ってはいたのですが、当時、まだ子供だった僕にはあまりにテンポの遅いチェリビダッケの良さが今ひとつ解っていなかった、ということもあります。やっぱり、子供は颯爽としてケレンたっぷりなのが好きだったのかもね。

 さて、今40後半でチェリビダッケの凄さがようやくわかったわけですが、やはり、これもクラシックを聴くための耳、というか、姿勢というのかな、それが若い頃と違ってきているからなのかもしれません。このあたりのことは、このブログで、何度か書いているので、詳しくは言いませんが、僕にとってはなんといっても、曲全体を俯瞰するということが、自然にできるようになったのが大きいです。まさに、このチェリビダッケでも、テンポがこれだけ遅くとも、その演奏に凄みを感じるのは、超スローに演奏しながら、最初から最後までの、全体像における構築性が明確に提示されており、些細なところも、すべてその構築された要素としての意味を感じ取ることができるのです。

 むしろ、そういう聴きかたでなければチェリビダッケの意図するところを理解できないのではないか、森と木の関係性がこれほど、しっかりと計算されて描かれていると、それこそがシンフォニーを楽しむ醍醐味ではないのか、と今は思うのです。

 そう、考えると、最近ブルックナーのシンフォニーにもとても興味がわいてきてまして、ブルックナーの曲はまさに、この森と木をどう描くか、に指揮者の腕が試されているといっても過言ではありますまい。実際、このことがわからずヤミクモに聴いていた中、高時代は、ブルックナーなんてなにが面白いのか、さっぱりわからなかったですし。(また持っていたのが、これもベームのブルックナー4番ロマンティック、僕のブルックナーに対する印象の悪さはベームのもやっとした演奏のせいも多分にある・・・と思う今日この頃)

 それで、ブルックナーをギュンターヴァントなどを聴いているのですが、やはりそういうことなんだと、ここでも同じことを納得するのです。なぜここでこういう表現なのか、それを全体を構築している一要因としての意味をいかに見出すか、もちろん、まったくそういうことに無頓着な指揮者もいるので、そこを聞き分けるのも面白い。なるほど、これができているか、否やでブルックナーの面白さは変わるのでありますなあ。まあ、これも僕の主観でありまして、こう聴かなきゃいけない、ということではありませぬ。ただ、今まで、面白いと思えないものが、面白く聴けるようになる、それにはやはり理由がある、ということ。だから、またクラシックに回帰した僕がいる、ということでもあります。

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