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2010年3月

リトナー→カールトン→

F  これで、ピンと来た人はかなりのフュージョン好きです。って、そうとうマニアックなお話ですが。

 リーリトナーというギタリストから、ラリーカールトンへ。解る人は解るでありましょう、フォープレイというボブジェームス、ハーヴィーメイスン、ネイザンイーストたちのスムースジャズバンドのギタリストであります。リトナーからチェンジして、ラリーカールトンが長いこと在籍していたのですが、なんとソロ活動に専念するために脱退だそうで。

 かわりに参加するギタリストはチャックローブ。なんか前の二人にくらべると地味な人になりましたね。チャックローブってステップスアヘッドのマグネティックというアルバムにはいっていた、というぐらいしか僕はあまり知りません。まあ、フォープレイのサウンドはボブジェームスサウンドの延長ですから、ギタリストが変わってもそう大差ないでしょう。実際、最近は僕もフォープレイ追っかけていないですし。ただ、リトナーが参加していたアルバムはまえに愛聴していまして、懐かしくてたまに今でも聴いております。今回、チャックローブのギターのアルバムはこれから録音に入るそうで、いずれ聴いてみたいものです。

高松宮記念2010予想

 今年はいきなりフェブラリーをばっちり当てて最高のスタートになりました。この調子で今回もいきたいものです。

 さて、高松宮は決めていた馬がいます。もうこの馬が連に絡まなければしょうがない。とにかく、エイシンフォワードを軸にします。この面子でこの馬の器用さはかなり通用すると思っております。

 問題は紐でして、手広く流そうと思います。予想は以下のように。

三連単フォーメーション

1着16

2着5,6,9,13,15,16,17,18

3着5,6,9,13,15,16,17,18

100円づつ42点4200円

1着5,6,9,13,15,16,17,18

2着16

3着5,6,9,13,15,16,17,18

100円づつ42点4200円

おまけで

1着6,13,15,18

2着6,13,15,18

3着16

100づつ12点1200円

1着16

2着15

3着6,13

200円づつ2点400円

以上10000円

とうとう大ブーム・・・ですね

Sb_2  なんか凄いブームなってきましたね、ラー油が。石垣島らー油から始まって、桃屋の具入りラー油が大人気らしいです。スーパーで品切れ続出だそうで。夕方のニュースでも大々的に具入りラー油の特集をしておりました。S&B食品からもこの写真のようなラー油が発売されたとのこと。

 店でも自家製ラー油を使った葱塩ラー豆腐、というメニューが人気なんですが、 前にもちょっとここで種あかしをしたのですが、自家製で作ったラー油に実はこの市販の具入りラー油を混ぜて、お出ししております。もちろん、ちゃんと具以外はしっかりと自分で作っているのですが、世の中、この具入りラー油すら手に入りにくくなるのであれば、じゃあ、すべて一から自分で作ってみようじゃないの、と今思っております。

 もう、頭の中にはレシピは大体ありまして、今のラー油が使い終わったら完全自家製具入りラー油、作ってみたいと思っております。それにしても、知る人ぞ知るラー油の新たな魅力だったのですが、ここまで一般的になるとはね。これだけ大手のラー油が安く手に入るのなら、石垣島ラー油も逆に手に入りやすくなるかもしれませんね。あれはあれで、ちょっとまねできない味わいのあるもの。まあ、自分のは自分流で美味いのが出来ればいいかな。しばし、お時間をいただいて研究してみます。

翌日にどっとくる

 ほんと40半ばにもなると疲れがとれるのに時間がかかりますなあ。昨日、朝5時起きして、ちっちゃいのが誕生日ということもあり、TDLに。仲の良い家族と行って来たのですが、夕方まで遊んで、その後僕は仕事。結局、仕事終ったのが午前2時半で、寝たのが3時半ごろ。

 朝は9時ぐらいに起きたのですが、現在もなんともしゃっきりしない。じゃあ昼寝すれば、とも思うのですが、それもどうももったいなくて。ですので、ぼぉーっと音楽を聴きながら読書なんぞしてましたが、とりあえず始動しないとと思い、これから風呂でも入って仕事に行くかなあと。

 年をとると疲れは翌日、二日後にくると聞いておりましたが、まさにその通り。一晩寝てスッキリという訳にはいきませんね。まあ、子育ては体力勝負。40過ぎてからは、そういう点はなかなか大変でありますなあ。よしっ、気合入れていきますです。

あまおう100%

あまおう100%
イチゴジュース。これは凄い。高島屋地下にあるフルーツパーラーにて。

緻密、ゴージャス、虚無

Saito  どうも僕は小澤征爾という指揮者があまり好きではありませんで、過去に聞いた演奏がなんとも真面目は真面目なんだけど、仕事きっちりやってます的なスタイリッシュなだけという感じがして、つまらないと感じていたのです。ですので、サイトウキネン・オーケストラという日本のトップクラスの演奏者で作られているオケが凄い、とは聞いていましたが、今まで聴いたことがありませんでした。(まあ、この20数年、クラシックからほとんど遠ざかっていたせいもありますが)

 一度、ここらで小澤とサイトウキネンを聴いてみないとなあ、と思っていましたら、中古屋で激安のショスタコーヴィチの第五番を発見。早速聴いてみました。

 なるほど、これは今までの日本のオケの音じゃないですね。厚みのあるストリングス、朗々と鳴る金管群、なめらかで表情豊かな木管と、どこをとってもこれはスーパーなサウンド。ほう、日本人のオケがここまでの音がだせるとは、驚きでありました。

 小澤のショスタコの解釈は、ちょっと僕の好みではないですが、それでも緻密な音作りはさすが。明快で繊細な気配りのある演奏です。これは丁寧に音楽を作っているなというのが実によくわかります。ショスタコの5番はロシアの泥臭さと、ソビエトの緊張感といいますか、お国柄の大変出る曲なんですが、この小澤、サイトウキネンは良くも悪くもまったく泥臭さや思想的の匂いがない、まるで現代音楽のようなアプローチです。一回目聴いた時、なんだこれは、と思い、これはショスタコの5番じゃないな、と思ったのですが、二回目聴き直してみて、これはこれでありかも、と思いなおしました。

 というのも、小澤とサイトウキネンという、クラシックの土壌である西洋の文化が出自でない人たちの演奏が極める地点、というのはこういうところなんだろう、と思ったからです。ましてや、サイトウキネンという斉藤秀雄門下生の集まり、技術力で西洋文化の頂点に肩を並べるには、こういう演奏になるしかない。つまり、西洋的文化というバックボーンがないハンデキャップを見事に克服して、聴かせるスタイルを作っているとも言えると思います。

 ましてや、ショスタコーヴィチは半分現代に足をつっこんでいる作曲家ですから、現代音楽的虚無感というのがでても全然問題はないでしょう。そう、確かに終楽章のフィナーレに入る前の静けさを木管パートが奏でるところの虚無感は、最初はなんだなんだと思ったのです。あまりに、無表情で、でも音はなめらかに綺麗で、テンポはゆったりとながれ正確に刻まれ、それは不気味なぐらいの虚無感。ラストも他の演奏ではみられない遅さで、まったく思想の無い、純粋に音がゴージャスに分厚く鳴り響き終わる、これは小澤とサイトウキネンという組み合わせじゃないとむしろできない演奏だろう、とすら思えました。

 なるほど、小澤の演奏をどうして今まで好きになれなかったのか、そしてサイトウキネンとはこういうオケだったのか、いろいろこのショスタコの5番から僕なりにわかることがありました。じゃあ、この組み合わせのショスタコを僕は好きなのかと言われると・・・・。うーん、ありだとは思うのですがねえ、この気持ちのよい響きは。でもやはり、ショスタコってこういうゴージャスな響だったり、意味のもたない美しいパートバランスだけで作られる、というのは、やはり僕の好みじゃないようです。最後には十分別の意味で楽しめたCDではありましたが。

これは欲しいジャズ新譜

Mehldau_new  どうも最近ジャズでこれは絶対聴かねばというCDがなくて、クラシックに傾倒していたわけですが、久しぶりに今月発売の2枚のCDはどうしても聴きたいです。

 一つはブラッドメルドーのニューアルバム。今回は室内管弦楽団が加わっているらしい。しかも、ジョシュア・レッドマン(テナー)も参加。これは必聴でしょう。僕の中でブラッドメルドーは、でれば必ず聴かないとと思う数少ないミュージシャンの一人であります。まあ、一筋縄ではいかない人ですから、今回もどんなアプローチなのか興味があるところ。現代のジャズのある姿を追求しているピアニストとして、僕はまだ彼を追い続けるつもりであります。

Cover_2  もう一枚はやはり僕のマイフェイバリットピアニスト、南博トリオのニューアルバム。前作の「Like Someone In Love」が素晴らしかったですから、これも期待大。南氏のピアノはほんと美しい。タッチの一つ一つに神経が行き届いていて澄み切った音色が大好きです。これもはやく聴きたいですなあ。ジャケットも前回同様に素敵。

 やっと、ジャズを聴こうかという気にさせる2枚であります。ほんと、世の中売れりゃなんでもいいだろうというような、くだらんジャズCDばかりですが、これは間違いない、と思いますです。

 

さすがに気が抜けた

 ほんと燃え尽きました。数週間にわたって伝票のことしか頭になかったものですから、終ってみれば軽い燃え尽き症候群のような感じ。うーん、もっと開放感があっていいのに、なんともねえ。とりあえず、今年の伝票2ヶ月ちょっとの分を今からやろうと、ちょっとさわっておりましたが、やはり気が乗らず。うーん、これはシャキッとしないといかんのですが、今日はなんかお疲れ気味でした。とりあえず、少し、ゆっくりと考えますか。

終了

Joe  燃えたよ・・・まっ白に・・・燃えつきた・・・まっ白な灰に・・・

(ついに確定申告終ったぜ・・・・)

いよいよゴールは近いか(確定申告)

 いけねえや、右目がかすんできやがった。でも、どのみち、こっちはやけっぱちの青色申告者さ(伝票整理の疲れでだいぶファンタジーが見えているようです・・・・)

ガス抜きに

 伝票整理中のため、ちょっとフラストレーションがたまってきたので、ここでガス抜き勝手にします。

 ここ最近アホかあぁーぼけぇー!!と思ったこと。

1. アカデミー賞のドキュメント部門で、日本のイルカ漁の映画が受賞したらしいが、ほんと知的レベルの低いヤンキー、もう文化もへったくれもなくアホなことぬかすな。日本人には核爆弾落としたり、人の国へいって爆弾バンバン落としているくせにイルカが可哀想だと!てめえらが絶滅させた動物どれだけあると思ってのか、ふざけんじゃねぇー、エゴイストのどあほぅが(すみません、筆者ちょっと疲れていて、言葉遣いが乱暴になっております)。

2. トヨタ、プリウス問題でやたら騒ぎまくっているアメリカマスメディア、てめえら、でっちあげや嘘の情報いままでもさんざん垂れ流して、イラク戦争だってまったくの根拠なきデマを本当のことのようにいって世論操作しやがって。トヨタが好きなわけじゃないが、今回のは明らかにてめえらの国の車が売れない腹いせでやってるのがミエミエじゃねえか。てめえらの国の車がまともに走らん、燃費が悪い、図体でかくて非効率、だからぜんぜん売れないというのは、誰の責任なんだ、ごらぁ。馬鹿も休み休み言え、このすっとこどっこいの大馬鹿野郎め、おとといきやがれ!(すみません、相当疲れがピークにきているようで、御見苦しい点、お詫びいたします)。

3. なにやってんだ!新潟市の美術館。クモが展示品のまわりからわんさかでたり、カビが大発生って、美術品扱う場所がどうなってんだ!館長や学芸員はテキトウにやって昼寝でもして、遊んでいたんだろうが。こんなアホな美術館に貸す美術品なんてあるわけなかろうが。税金で運営されているにもかかわらず、いったい美術に対する意識はどこにいったんだよ、えっ!ああ、ほんと頭くるわ。公務員体質丸出しの美術館なんていますぐつぶしちまえ、解体しちまえ、燃やしちまえ!!(すみません、もう限界に近いようです、気分の悪くなったかた誠に申し訳ございません)

4. 茨城空港開港だと。近くに成田も羽田もあるじゃねえか。このご時世に気が狂ってるとしか思えん。土建屋と一部の利権をもっているやつのためだけに、ほんと無駄無駄無駄なものつくりやがって。どう考えたって採算なんてあうわけないじゃないか。小学生だってわかるだろうが、おらぁ。しかもソウルへいくのが一便あるだけって、そのためにどれだけの維持費やもろもろの費用がかかると思っているのか。21世紀にはいって未だに、我が県にはまだ飛行場が無い、建設こそ悲願、という化石のような考えもっている馬鹿ども、はっきり言ってやる、だから田舎者扱いされるんだよ。場所を差別してそういう言い方をしているんじゃない。空港や新幹線の駅など、箱物行政べったりのやり方を未だに盲目的にいいと思っているから田舎者なんだ。いいかげん、目を覚ませ。目が覚めないのなら、そんな地方の行政は、その馬鹿でかい借金とともに、破産しちまえ、ずぶずぶに沈んじまえ、陽なんか二度と当たらないようにしてやれ!!(ああ、もうこんなことしている場合じゃありません、これだと、ガス抜きどころか、余計にガスがたまりだしましたので、このへんで・・・・)

ワンコインで最高級の満足を手に出来る方法

Berlioz  確定申告未だに終らず。ひたすら仕分けの毎日ですが、とにかく単純作業を楽しくやるには音楽が大事。とっかえひっかえクラシックのCDを聴きながらの作業であります。

 さて、クラシックってクラシックというだけあって、もともと古いものでありますから、CDも新しければいいというものではありませぬ。10年前にでたCDだって、聴き所満載のものがごろごろ。そしてそれがものすごく安い値段で中古CD屋にあるのですから、これはたまらんです。

 なんたってこのロジャーノリントンの幻想交響曲もギュンターヴァントのブルックナーの第五交響曲も500円で売っておりました。ほんと申し訳なく思うほど安い。だって、500円って昼飯だって食えるかどうかと言う値段なのに。パチンコならわずか数分で消える玉のお値段、タクシーのワンメーターにすらいかないという、500円玉でありますよ。

Wand_2 なんか、前にも500円でなにが買えるか、というような話題をしたような気もしますが、クラシックはその中でも破格なんですなあ。この2つのCDは好き嫌いはあるでしょうが、どちらも一応名演とされているもの。ノリントンのは幻想を当時の演奏されていたスタイルでやったという有名なCDですし、ヴァントのブルックナーも、巨匠晩年のベルリンを振った重厚な一枚。どちらも入っている情報量の多さでいったら500円というのはありえんです。

 まあ、世の中不景気ですから、このお値段で最高級の娯楽が味わえるというのは素晴らしいことではあります。ましてや、ノリントンとヴァント、まったく違うタイプの指揮者ではありますが、曲の持ついろいろな面に光をあて、きめ細かい表現をし、その構造というものをくっきりと浮かび上がらせるという点では、聴き所がいっぱいある二人。そのCDから読み取れる情報量としては、ありきたりの指揮者のレベルではありません。ですので、500円でカツ丼にカレーライスとラーメンつけて、さらにサラダとデザート、コーヒー付というぐらい満腹になれるのであります。(いや、それじゃ失礼だな。松坂牛のステーキにフォアグラ乗せて、その上からトリュフのソースをかけたぐらい・・・・といった感じってこれ美味いのか?)

 ですので、こんな世の中だからこそ、このワンコインでできる最上級の贅沢をしようではありませんか。たぶんこれにかなうコストメリットのあるものはなかなかありませんぜ。

僕が今、クラシックを求めている理由

 なぜ、クラシック音楽に今、自分は回帰しているのか。ただ漠然と、年をある程度とったから、またクラシックを聴ける余裕ができたとか、さんざんはまっていたジャズに少し飽きてきたからかとか、そんなとこではないだろうかと思っていました。もちろん、ここで数回書いたように、クラシックを聴くための方法論というものも、若い頃と変わったというのもあります。でも、実はそれは外的な理由でしかありませんでした。もっと、内側ではやはりクラシックを希求していた衝動があったようです。

 これは、僕がクラシックに最初にはまった中学、高校時代に遡ってみてはっきりしたのですが、僕が当時も今もクラシックを求める理由、それは西洋文化における個人としての在り方に対する憧れと、集団や組織にアイデンティティを求める日本人的在り方からの脱却(いや、願望であって当然完全には脱却できないのですが)、そして自己アイデンティティの再確認なんだ、ということです。

 たまたま、最近読んでいるクラシック関係の本の作者、鈴木淳史氏(そうとうひねた評論で、しかも反権威主義者的あまのじゃくな文章を書く人で、自分と同じ匂いを感じます)もクラシックを求める理由に、自分の文化にない異文化としてのクラシックを聴くことで、日本のムラ社会的窮屈さから開放されて、自己を取り戻すことができる、というようなことを言っていて、ああ同じように感じている人なんだと思いました。 

 僕自身、自分の音楽遍歴は僕の精神遍歴とぴったりとリンクしている、ということが今だからよく解ります。やはり、その時、その時、何の気なしにその音楽に夢中になっていたのではないのです。

 つまり、クラシックにはまっていた中学、高校時代はまさにヨーロッパ的な個人主義的生き方に憧れていた頃です。僕は、当時、自分はまわりの同級生とは違う、考え方も感じ方もいっしょではない、ということばかりが頭を支配してました。そして、人と違うということが自分の支えでもあり元来のアマノジャクな性格もあって、集団的な中に自分を置いておくことの窮屈さや、孤独ばかり考えていたと思います。もちろん、表面上は友達とも上手くやれる処世術も身につけていったのですが、やはり、家に帰るとクラシックのレコード、特にマーラーを聴いて「生も暗く死も暗い」という大地の歌を解ったような顔をして一人ごち、ショパンを聴きながら自分で自分に涙し、センチメンタルな世界に一人でどっぷりつかっておりました。まあ、肥大化した自我であっぷあっぷだったのでしょうが、それでも、個人でありたい、集団に埋没したくない、という強い思いがクラシックに自分が向かった一つの理由であったのか、と今はよく解ります。

 その後、高校、大学へと進むに連れて、そんなことだけにこだわっていては友達もできないし、まわりはバブルへ向けてお祭り騒ぎの前夜祭的世の中。個人にもこだわりつつ、皆といっしょに楽しくもやらないとと思い、フュージョンや流行のポップスを聴き、同化することもがんばってみるわけです。ですが、やはりアマノジャクな僕は、完全に同化することができない。それで、ジャズというか、フュージョンのようなところへ落ち着いていくのです。フュージョンなら、適度に一般から距離があり、適度に大衆的なのであり、つまりは個人主義的生き方も捨てられないけど、みんなとも遊ぶからねーという中途半端な自己の表れでもあったようです。

 そして日本でサラリーマンをやりながら個人の自分と集団の中での自分にもがき苦しみ、その頃、ジャズへ傾倒していきまして、現実で実現できない個を、新宿ゴールデン街でかろうじて再確認するという毎日。集団の中で戦う個というイメージでありまして、ジャズがその時の精神状況にぴったりきたのでしょう。そして完全に閉塞した組織の中での自分に我慢ができなくなる寸前、神の救いか香港駐在となり、日本を脱出。

 香港では、まさに一度失いかけた自己を取り戻して、再び生き返ったような感じすらいたしました。そのころはジャズも聴きましたが、ボサノバにはまったのがまさにこの頃。そのほかの音楽も、今日が楽しくなる音楽ならなんでも聴くぜ、とオールマイティになっておりました。つまり、個人を意識しなくても個人でいられる世界、異文化の中での自分がとても居心地がよく、そういう状況ではなにかに執着しようという気がなかったようです。だから、耳障りがいい音楽というか、今思えばBGM的な音楽をたくさん聴いていたのかも。当時はクラシックもそういう聴きかたをしていたように思います。

 そして7年ぶりに日本に帰ってくると、やはり骨の髄まで日本人だったのを痛感。離れてみるとよくわかる、日本のゆるいまったりした社会の居心地の良さ。でも、やはりその中でも個人で生きていくのを選択した僕は、自分で店をやることになり、そこではジャズがまた自分の気持ちにぴったりきたのです。ジャズというのは、僕の中では己を再確認する道具というより、むしろ自己をどう表現しアピールするのか、というための音楽に思います。自分というのがちゃんとあるのは前提で、ただそれが世の中に受け入れられずもがき苦しみ、それでも俺はここにいるんだと主張する音楽。僕にとって、そういう音楽なんですね。

 ですので、また居心地はいいのだけれど、この日本で一人の個として生きていくためには、自己を保ちつつ、またその日本的な状況も受け入れつつ、でも集団から切り離された、店という自分の世界を保ち続けていかなければならない、僕にとってはまさにジャズが必要だったのだろうと思うのです。

 ところが、最近になって自己について、どうもぬるま湯にすっかりつかってしまい、これでいいのかという思いが強くなってきたようなのです。この10年、ジャズとともに店を維持し、そして結婚、子供も生まれ、人並みの生活を送るようになってきたのですが、だんだんと弛緩している精神に我慢がならなくなってきたというか、いや、ここらで、もう一度、自分について再確認しておいた方がいいのではないか、という欲求がつよくなってきたようです。

 そういうときに、無意識にクラシックを聴きだしていたのでありまして、なるほど、意識せずともそういうことをするのか、僕は。もともと、まったく知らない世界や異文化にいきなり自分を投げ込む、ということが僕は好きなのですが(ですので、海外や地方で一人で生活するのはまったく苦ではないのです)、なにか、迷ったり、吹っ切る時はこういう方法が僕には有効なんです。

 今、マーラーなどをあらためて聴きだしてますが、その個人主義が徹底された上での観念的世界が生む芸術は、日本的な優しさや暖かさとはまったく異質なものだということがよく解ります。個と個が完全に切り離されているからこそ、なんとか繋がろうという強い意志、そして主張。だからそこに強大な理想があり、誇大妄想のような夢の世界がある。それを観念で作り上げなければ生きていけなかったのだろう、という現実があるにせよ。もちろん、こういうヨーロッパの世の中や社会がいい、といっているのではありません。日本のほうが平和でいいなあ、と思う部分もたくさんある、でも、日本がかけている部分をマーラーのシンフォニーからたくさん読み取ることもできる。僕はまた、そういう厳しさや合理性みたいなもの、そしてその上に成り立つ個というものを、もう一度考えてみよう、と思っている、だからクラシックを聴きだしているようです。

真央ちゃんとチャールズミンガス!?

Mingus  変なフュージョンとか、クラシックとか、本当にここはジャズ屋のマスターのブログか、と思われている方もいると思うので、久しぶりに正当ジャズのおはなし。

 バンクーバーオリンピックも終ってしまいましたが、やはりフィギュアスケートをご覧になった方は多かったようですね。キム・ヨナ選手と真央ちゃんのスケートがどうだったかというのはともかく、印象的だったのは真央ちゃんのフリーに使われていた曲。

 ラフマニノフの幻想小曲集の二曲目、前奏曲「鐘」という曲なんですが、ロシア的な暗さのある耳に残る曲でありました。なんだ、またクラシックネタか、と思われるでしょうが、いいえ、今回はちゃんとジャズ。なんと、この「鐘」をチャールズミンガスがジャズのスタンダード「オールザシングスユーアー」のイントロに使っているのです。これは知っている人は少ないだろうなあ。

 曲名は「ALL THE THINGS YOU C#」に変えてありまして、あの印象的な独特の「鐘」の出だしから、オールザシングスの有名な出だしをかぶせるという荒業。ミンガスというベーシストはこういう変なアレンジをよくするのですが、まさか、ラフマニノフの曲をこういう風に使うとは。しかも、超マイナーな「鐘」を使うのですから、相当な変人でありますなあ。

 でも、このアレンジのオールザシングス、なかなかいいんですよ。よほど、ミンガスはこの「鐘」の出だしが気に入っていたのか、曲の後半エンディングに戻るところでも、わざわざ再度使用。マルウォルドロンの実に黒いピアノが、ラフマニノフの暗さとばっちり合って絶妙であります。これぞ情念のジャズ、といった感じになっており、ゴリゴリした感じがたまりません。

 今、まさに旬なラフマニノフの「鐘」ですが、まさかのミンガスのライブアルバムで聴くことができるなんて、面白いですねー。いや、僕もこの「ライブアットザボヘミア」は随分前から持っていたのですが、実は、オールザシングスのイントロがラフマニノフの「鐘」だったとは知らなかったのよ。たまたま、一昨日めったに聴かないこのアルバムを取り出して、聴いていたら「あれ?」これって真央ちゃんの使っていた曲だよなあ!と思い調べてみたら、その通りだったのです。まあ、偶然なんだけど、真央ちゃんのフリー見ていて確かにこの曲は耳に残ったし、CDラックの中から呼ばれたのかも。

 とにかく「鐘」を使った奇妙なミンガスサウンドを聴くことができるので、興味のある方はぜひ聴いてみて下さいませ。

(もちろん、お店にあるのでリクエストしてくだされば、お聴かせいたします)

 

ちょっと変な、これぞ迷盤フュージョンミュージック(2)

 流行と言うのは、過ぎてみればかなり恥ずかしいということがよくある。80年代から90年代のトレンディドラマ(この言葉自体、今使うのが恥ずかしい・・・)を今たまに再放送をやっていることがあるが、あれなんか、もう赤面もので見ているのも辛い。髪型にしてもメイクにしても、あの時代、あんなにいけていたはずなのに、時は残酷だ。つまり、どんな時代もはしゃぎすぎると、流行が去ってしまえば後悔が大きいのであり、派手な結婚式でスモークをたいた中をゴンドラに乗って登場した当時のカップルたちは、今になるとよく解ることであろう。やはり流行というのはあまりのめりこまず適度な距離を置いて、眺めているのがいいようだ。そう、今10代、20代の君たち、腰パンもいずれそういう運命かもしれないのだよ。

 さて、今回ご紹介するのは、その流行に恥ずかしいほど乗ってみたのだか、うまく乗れずやめときゃよかったのに・・・・と思ってしまうアルバムだ。

Shanbara_2

シャンバラ「SHAMBARA」 

1989年

 このフュージョンバンドは女性ボーカル二人を配した6人組である。当時、超人気フュージョンバンドのカシオペアが個々のソロ活動のために休止した時、ドラムの神保とベースの桜井が中心に結成したのであるが、この活動がもとで、カシオペアを二人は脱退することになったという曰くつきのグループ。

 このバンド、あきらかに広告代理店のちゃらい企画にのせられたもので、MZA有明という山本コテツ(空間プロデューサーというわけのわからん肩書きの人)デザインのバブル感バリバリのイベント施設のプロジェクトとしてスタート。なにしろ、ヴィジュアルプロデューサーに山本寛斎を起用、ステージから衣装までを手がけ、お洒落だよーというのを前面にアピールなのだ。もう、MZAに集う当時の人々というだけで、映画「バブルへGO!!」そのもの、つまり21世紀になるとかなり恥ずかしいスポットだ。

 であるので、この企画バンド今聴いてみるとかなり変。確かに、テクニシャンの神保のドラムと桜井のベース、そしてスタジオ系ミュージシャンでかためたハイテクバンドなのだが、とにかく日本語で歌っている歌と、そのフュージョン系サウンドが実にバブル的で奇妙なのだ。

 つまり、これだけの腕のある人たちなのに、なにか新しいサウンドをしなきゃ、と思うあまりに16ビート主体のへんなりズムや、フュージョンによくみられるギミック(仕掛け)を多用している曲に無理に歌をのせているので、世界どこを探してもありえないジャパニーズフュージョン歌謡曲になってしまっている。カッコよくスタイリッシュにと本人達は思ってやったはずなのだが、なぜか、演歌のような泥臭さまででている有様だ。

 うーん、骨の髄まで日本人なのよ、結局。だって、メロディーがもう、歌謡曲的で、しかも歌っている歌詞がお洒落、お洒落にしなきゃだわ、とこれでもかという、中身なにもなしのプラスチック感だらけ。いやあ、キラキラして綺麗だわーゴージャスだわー安物のスパンコールだらけのキャバ嬢のドレスみたいで。しかも、その歌詞を二人のスタジオ系の女性ボーカルが思いっきりポジティブに歌い上げるので、その虚無感がたまらん(悟りがひらけそうだ)。そう、これこそがバブルという世の中であり、シャンバラは後世にその世界観を刻み込んで残すために結成されたのではないか、と思うぐらいだ。衣装もステージも金はかけました、テクニックだってありまっせ、でも意味はありません、だって楽しきゃいいじゃん、いまや日本は世界の頂点でジャパニーズスタイルおおいにけっこう!!イエーい!

 とのりまくってみたのだが・・・結局アルバム一枚だしてこの企画終了、バンドも解散すらなくおしまい。そして、数年後、バブルも終了。なにもなかったかのように、あとはただ風がふいているだけ~。

 CDのジャケットの裏表紙で流行の髪形、寛斎の衣装で満面の笑顔のメンバーの姿が、当時を思い出せて無性に泣けてくる。もしバブル時代を思い出し、感傷に今浸りたいなら、シャンバラ、僕の一押しなのだ。

第二回おわり

仕分け作業中

確定申告に向けて気合い入れて頑張っております。僕の行く道は果てしなく遠い。約30パーセント終了。

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