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シティポップスについて(2)

Sai  前回、阿部恭弘を取り上げ、シティポップスについての考えを書いたのでありますが、あくまで、僕個人の趣味の中で、当時、そして最近になってはまった人達を紹介しようと思います。ですので、シティポップスならこの人だろう、というような人でも、僕として思い入れがないものはあまり積極的に書かないつもりです。あしからず。

 さて、シティポップスは都会的な香りのする、フォークとは180度違う音楽ということを前回書きましたが、それはある意味、土着性のないさらっとした肌触りの表面的な音楽、として捉えられやすいかもしれません。言い換えれば、軽くて、耳障りはいいけど、心に残らない、そんな言い方をされることもしばしば。

 ですが、その軽さがポップスのある一面でもあるはずで、僕が当時シティポップスにはまった一つの理由は、その湿度のないカラッとした感覚、いうなれば日本的湿度(演歌やフォークにあるような)がまるでないところが気に入っていたのであります。

 これはラテン的ともいえるのでしょうが、日本のシティポップスにおける湿度の無さは、ラテン系というよりむしろ無国籍的といえるのではないか。もちろん、無国籍的なのにしっかり当時のプラスティックなジャパンを代表していますが、汗臭くなく、さらっとして、いい香りのする心地よさはそれまでの日本になかった空気を音楽に取り込んでいる、という点でやはり世界に唯一無二の音楽ではないか、と思っています。

 前振りが長くなりましたが、その湿度がまったくなく、さらっとしてとにかく気持ちよい透明感のある声(クリスタルボイスと言われておりました)の女性ボーカル、彩恵津子が僕の20代の頃のお気に入りでありました。これまた、大ヒット曲があるわけでないので、知らない人がほとんどでありましょうが、80年代NHKの朝ドラ「澪つくし」の主題歌も歌っていたのでして、実はこの人の独特の声を聴いていた人は少なくないはず。

 クリスタルボイスと言われるだけあって、ほんと透明感のある声だなあ、と今でも思います。その透明感とは、80年代の空気そのもの。べったりした色気よりも、純粋で爽やかなでイノセントな世界、恋愛も当時はそんな妄想、幻想に遊んでいた時代だったと思います。もちろん、人間ってそんな奇麗事ですむわけはなく、人は生きていれば汚いこと、だらしないこと、えげつないことを経験していくものですが、それでも、この当時の空気ね、綺麗に素敵に生きていこうよ、という戦後の中でも妙にポジティブで(裏返せば超ノーテンキでもありますが)なにかを信じ続けようという願いすら聴こえるのが、この彩恵津子のアルバムです。

 このPASSIO(1986)は鳥山雄司がアレンジ、プロデュースをおこなっており、これが当時のフュージョンサウンドそのもの。阿部恭弘の清水信之に匹敵する完成度の高さだと思います。また、この80年代フュージョン風サウンドに彩恵津子のクリスタルボイスがばっちりと合って実に気持ちがいい。久保田利伸との知る人ぞ知るデュエット曲「永遠のモーニングムーン」もいいですが、「悲しくないのに」は本当に当時ぐっときた曲。ボサノヴァアレンジにのせた別れの歌が彼女のさらっとした歌い方で歌われると、逆に胸にくるのは僕だけでしょうか。曲とアレンジのカッコよさなら、「天使のタキシード」。マリーンのアレンジでも有名な鳥山雄司ならではのタイトできらびやかなサウンドが楽しめます。これぞシティポップスというサウンドでありましょう。こんなにいいアルバムなのに・・・・それほど売れなかったのはなぜ?!

 

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