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シティポップスについて(3)

Hamada_2  シティポップスの特徴として、そこで歌われる詞の世界もあの時代の、とくに80年代の一面を如実にあらわしていると思います。前にも書きましたが、日本におけるバブル前夜、高度成長時代の終焉手前の若者の気分、というものがふんだんに歌われており、そこから80年代とは、バブル前夜とは、ということが理解できる、それもシティポップスです。

 確かに、シティポップスと言っても千差万別、すべてが同じことを歌っているわけではないですが、それでもはっきりしていることは、70年代的若者に見られる旧世界との決別(大人社会への反抗)のような世界観を完全に捨てて、まず今の時代を享受して楽しんだ方が勝ち、のような気分、そう、この気分というのがキーワードになっている、と思います。

 それはベトナム戦争や学生運動というような社会的関心が薄れ、日本もアメリカ的裕福さ(当時はそう感じていたはず)をついに獲得した、というようなある意味幻想でもあり、真実でもあったのですが、そういう幸福感がただよっていた時代。そこで歌われることは、もう重い人生でもないし、社会に対する生き方の証でもない、ましてや、自分探しなんてあとでいい、とりあえず今の感心は目の前の綺麗なあの娘と、どう綺麗なかっこいい恋をするのか。また、どう、かっこよく、あの娘と別れて、素敵に感傷に浸るのか。もう、ここまで自分で書いて、ああ、21世紀にこういうこと書くと辛いね、と思っているのですが、とにかく、そういう気分が蔓延していたわけであります。

 さて、今回も前置きが長くなりましたが、シティポップスでハードボイルドな恋愛感を歌われたら安部恭弘か濱田金吾、この二人が双璧だと僕は思います。もちろん、そのハードボイルドな詩の世界をしっかりとした曲、アレンジ、サウンドがフォローしているのは言うまでもありません。濱田金吾のMUGSHOT(1983)は、前述した時代の空気がすべてを支配しており、また松下誠とのサウンドも実にかっこよく、そして半分以上の曲のアレンジをしている佐藤博も緻密でやはりハードボイルドタッチなアレンジが最高です。

 レイニーハートという曲はまさにこのハードボイルドな別れの曲。いやあ、別れの時にここまでカッコつけると今となっては茶番も茶番ですが、あの時代はね、こういう気分なの、気分。曲と佐藤博のアレンジが絶妙でありまして、その世界をカッコよく演出しております。まあ、詞の世界はどうしても今の時代とは合わない部分もありましょうが、それでも、彼の作るメロディー、サウンドは今聴いても素晴らしい。時間をかけて丁寧に作られていた、当時の音楽状況もよく解るのであります。そう、それはまさにハードボイルドのシネマを音楽で作っていたかのよう。

 当時、僕は高校から大学生だったのですが、背伸びをして早く大人になりたかった。まだ、あの頃は大人の世界がカッコよく見えるなにかがあった、そう思っています。ハードボイルドな映画をみて(カサブランカのボギーにほんと憧れていました)、ハードボイルドなシティポップスに浸る。それは大人の世界に憧れ、大人の世界を演出して、子供の世界から決別しようという表れでもあったかもしれません。それが、時代の気分としてのシティポップス、安部恭弘、浜田金吾の世界がぴったりと合ったということなのでしょう。

 時というのは、過ぎてしまえば空しい思い出、でも、やはりそこには何か光輝いていたものがあったわけで、それをたまに取り出して確認をする、そういうことも21世紀だからこそ、大事かもしれません。(まあ親父の戯言でしょうけど)

 

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コメント

懐かしいね。たまたま立ち寄ったら懐かしいミュージシャンの名前をたくさん見つけました。彩さんのアルバムは今でも欲しいね。

mibenさんって!いやー久しぶり。というか、僕のミスであなたの連絡先無くしてしまってずっと気にかけていました。ほんとうにごめんなさい。また連絡とりたいのでzazie@dg8.so-net.ne.jpにメールくださいませ。よろしくお願いします。

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