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子を持つ親として

 正直、この話は書きたくない、というかふれたくなかったのですが、今朝、某学者(評論家)のツイッターを読んでいて、まさにそうだと思ったので少しだけ。

 例の、大阪の二児監禁遺棄事件ですが、報道や論調が母親にたいして扇情的な意見が多くなってきている、ということに対し、某学者はこれは明らかに殺人であって、社会問題とは切り離して考えるべきとの主張があり、僕も同じ考えであります。

 確かに母親の育った環境や、離婚してシングルマザーで二人の子を育てるというのは大変なことで、その中で精神的におかしくなっていった、だから同情的になるというのもわからんではないですが、とはいえ、この連日の猛暑の中、ドアにガムテープをはり、それで部屋に監禁し、育児放棄というのは、もはや放棄ではなく殺そうという意志でおこなったと言うべきでありましょう。

 なにかから逃げ出したくなる、そういうことは誰でもある、という甘っちょろい認識、考えでこういう問題を見てはいけないのでして、この母親には同情する余地は僕にはまったくないです。

 子供を育てる、これは正直、ほんと真剣勝負で大変なこと。だから、僕としても全力で我が子をどうやって守っていくか、育てていくかを考えて生きている。自分にとって都合のいいところだけで、その子をかわいがり、面倒な時はその子を邪険にして、育児を放棄、そんなことは親であるなら絶対に許されないのであり、ましてや、その子を自分の実家に置き去りにするとか、施設に預けっぱなし、というわけでもなく、考えただけでもおぞましく、卑劣な方法で二人の子を死に追いやった母親、これを殺人と呼ばずして何と言うのか。

 先ほどの某学者も言っていますが、こういう母親から子供を守る環境を作るという社会としての整備は必要なのは当然で、そういう点とこの親が犯した事は、やはり切り離して考えないとわけが解らなくなってしまうと思います。なぜなら、他の殺人だって、みんななにかしらの問題がバックにあって、親に邪険に扱われて育てられたとか、愛情が薄い人生を送ってきたとか、そういう人が犯した殺人をみんな扇情的に考えるのか、と。そして、同じような状況で子供を育てている人はみんなそんな形で、子供を死に追いやるわけではなく、そこから逃げないでがんばっている人達もたくさんいる、ということ。何度も言いますが、その人たちをもっといい環境にする、という社会問題は、今回の問題とは別の次元で考えないといけない。あの母親をだから同情するということにはならない、ということです。

 連日の暑さは確かに人を狂わすのかも知れません。でも、だからといって絶対に許されないことはある。子を持つ親として、断固、この卑劣な殺人を許すわけにはいかないのです。

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コメント

子育てに限らず認識の格差がかなり広がっていると思いませんか?

例えばウチの会社にいる遅刻常習の人。

私は単純に「規定時間にはキチッと業務を開始できる状態にいなければいけない。ただそれだけの話でそこにいろいろとおのおのの事情だのそれぞれ解釈の違いだとかなんとかかんとか…なんてものはない」と思っているのですが、そうでない人にはそちらの言い分や論理や解釈方法等がい〜〜〜〜〜ぱい出てくる。

自分は体質的に午前中は体調が不安定なんです(どうみても元気な人です)…なんて真面目な顔して言うんですよ!

最近は会社側も面倒なのであまりその手の問題にはもはや口出ししないようです。終いにはフレックスの検討なんか始めたりしています。

ただ私にいわせれば単純に低い意識の現れです。

例が下らなかったかもしれませんが「とにかく駄目!!」が通用しない世の中になっていませんか?

「人殺しちゃだめ」を全体の共通認識にするため、またその防止に細かい検討や話し合いを繰り返さないといけないのでしょうかね?

そんな事いちいちやっている間にどんどん人が殺されていってしまうではないか…。そしてその度に新しい原因だの異なる解釈だの…なんてのが出てきたりして。

でも現実これだけ統一の規範が薄れて通用しない社会になっている以上は広がる認識の相違を全て許容し救済する社会を模索しないと、悲劇が繰り返される。

実際今回の犯人に自らの責任を安易に放逐したなりの罪を着せ償わせる事で社会は納得するかもしれないけれどそれは解決ではないかもしれない…。

共通認識の変化や、自明であるものが自明でなくなっている現実はあり、それを受け入れていかなければならない時代に入っているとは思います。ただ、絶対に認識の違いですましてはいけないこと、それは人が人を傷つける、そして命を奪ってしまうということでして、これを曖昧にしてしまうと、もう社会として成り立たないことになります。ですから、今回のことで扇情的な解釈に僕はどうしても意見しないわけにはいかないのです。それ以外のことは、再度、規範なりルールの見直しが必要なこともあるとは思います。

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