« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

カツ丼について考える

Katsu_2   最初に言ってしまうが、僕はカツ丼が好きである。嫌いではないから、あえて言いたいことがある。

 ご存知、カツ丼とはとんかつを割りしたと卵でとじたものでどんぶりものの定番で、日本人で知らない人はまずいないのではないだろうか。今回は当然、このカツ丼のことで、ソースカツ丼や、デミグラカツ丼などの話ではない。まあ、多少はそれらにも関するとも言えなくはないが。

 さて、なぜカツ丼の話、かというと最近あるチェーン店のカツ丼490円を食べてふと思ったのだ。カツ丼は490円のこれでいいのだ、と。

 いきなりなにを言うのか、と思う方もいると思うが、結局カツ丼という食べ物は490円にすべて集約されている、と言っても過言ではないと今、僕は考えている。カツ丼が好きだからこそ、所詮カツ丼はそんなものだ、と言い切ってしまおう。

 では、その理由なのだが、その前にそう考える一つのある僕個人の出来事があった。それは某中華屋が出しているカツ丼を食べてのことだ。

 その中華屋はどこにでもある普通の町の中華屋だが、なぜかカツ丼が一番人気で、それは某有名評論家が絶賛したから、ということらしい。実際にその店に言ってみると、ほとんどの人がカツ丼を注文している、中華屋なのに。実際、別の日に僕は敢えてカレーライスを頼んだら、満員の店内でカツ丼以外を食べているのは僕だけであった。

 さて、そのカツ丼であるが、値段もリーズナブルでカツ丼も美味しかった。普通に。そう、昔ながらの普通のカツ丼である。甘じょっぱい割りしたに卵がとじてある、グリーンピースがのった普通にうまいカツ丼、なのだ。

 だから、このカツ丼に文句はない。いいじゃない、と思う。ただし、だ。なぜ、これを某有名評論家は絶賛するのか。それが理解できなかった。だって、この美味いカツ丼の味はそんなにとびぬけているのか、どこの店のカツ丼だって似た様なものじゃないか。

 さて、ここでカツ丼は490円でいい、という最初の結論に戻る。カツ丼とはなにか。それを考えると、それはカツであってカツではない、ということだ。

 美味いとんかつとは、豚の肉がいいかどうか、ということはさておき、揚げ方が重要なのは間違いない。カラッとそして、中はジューシーに火を通しすぎず絶妙なタイミングで揚げるからこそ、職人の技が勝負になる。衣がベタベタではだめだし、黒ずんでいてはだめだし、火が通り過ぎたら肉は硬いし、もちろん火の入りがよくなければ食べられないし。

 ところが、カツ丼と言うのは、このとんかつの持ち味をある意味殺す食べ物なのだ。割りしたで泳がすのは結局カラッとあげた衣の意味を無くす(もちろんだからカツ丼の美味さがでるのだ、それは解っていてあえて書く)。そして、当然絶妙の火加減で揚げたとしても肉はだいたい均一に火が入っていく。もちろん、そこまで計算して早めに揚げて、割り下に通す火加減を計算して、なんて職人がいるのかもしれない。とはいっても、僕が食べたカツ丼はだいたい普通に火が入ってしまっているものばかりだったし、たとえ、いい火加減だとしても、もう一つ割り下という問題がある。

 これは肉の良し悪し、にも関係する話だが、甘辛いという味覚は肉の良し悪しをそれほど気にならなくする、という効果があると思っている。しかも、衣が浸っていてカツ丼というのは、とんかつと比べれば、肉の味が引き立つ食べ物というわけではない。むしろ、その甘しょっぱい割り下、卵、カツの衣とその脂、そして豚とごはん、それが渾然一体となったところを味わうものであろう。だから、とんかつ、という食べ物とカツ丼はまったく味わっている部分が違う、と考えるべきなのだ。

 だからこそ、中華屋のカツ丼が存在し、それが美味しいということなのだ。しかし、それはチェーン店のカツ丼も高級トンカツ屋のそれも、味わいという点ではさほど差はない。何度も言うが、豚の良し悪しや、使う材料に差はある。ただし、それが結果として大きな差になるとは、思えないのだ。それ故、僕は490円のカツ丼を食べていて、その某有名評論家の絶賛するカツ丼を思い出した。いっしょじゃねえか、この味は、と。

 味覚に自信があるのだったらほんと、ブラインドテストでもやってその違いが解るのかね。僕からいわせれば某有名評論家はそのチェーン店のカツ丼も絶賛して欲しいものである。いや、僕ははっきり言う。某チェーン店490円のカツ丼はリーズナブルでマジで美味い。それがカツ丼、というものだからだ。

5月に大人BBQをやりませんか!

Gargery  ザジで大変好評をいただいています、ガージェリービールでありますが、5月におこなわれる第三回GARGERYバーベキューに、野方のホルモン焼き「和ん スタイル」さん、神楽坂の「和飲和ん」さん、といっしょにバーザジも参加することに決定しました。

このバーベキューは樽のガージェリービールをサーバーを持ち込んで100リットル(飲み放題!)でおこなう、普通じゃ考えられない贅沢な催しです。仲良くしていただいているホルモン焼きの、和んスタイルさんが肉関係を焼く予定なのでこれも楽しみ!ザジとしても得意のイベリコねたで勝負しようか、と思っております。

日時

2012年5月13日(日)11:00~夕方 (雨天延期)

雨天時の予備日:
2012年5月27日(日)11:00~夕方 (雨天中止)

園内は大変広いです。時間に余裕を持ってお越しください。受付後(会費支払い後)は出入り自由です。

雨天延期、中止の場合、前日の15時までにお申込みの皆さんへメールで連絡します。

場所(アクセス)

野川公園バーベキュー広場
(東京都調布市野水一・二丁目、小金井市東町一丁目、三鷹市大沢二・三・六丁目)
» 野川公園 / 園内マップ
» 地図(Google Map)

電車でお越しの場合:
西武多摩川線「多磨」下車 徒歩10~15分
武蔵境駅から、10時50分発の西武多摩川線(是政行)に乗るとピッタリです。

バスでお越しの場合:
京王バス(調布-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車
小田急バス(三鷹-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車
小田急バス(三鷹-朝日町・朝日町三丁目・車返団地)「野川公園一之橋」下車

▼ 会費:お一人様 4,000円

ガージェリー飲み放題&BBQの基本的な食材、調味料、プラコップ、紙皿、割り箸はこちらで用意します。レジャーシートさえご持参いただければ、あとは手ぶらでも大丈夫です。
なお、ソフトドリンクのご用意はありません。

▼ 必要な持ち物:

  • ご自分用のレジャーシート

▼ オススメの持ち物:

  • 酒、料理、BBQの焼き物、お持ち込み大歓迎!
  • マイ・ビアカップ
  • ソフトドリンク
  • 日焼け止め、日差し対策(熱中症にくれぐれもご注意を)
  • 虫除け

▼ 調理器具やキャンプ用品を持ち込まれる場合:

  • 事前に内容をご連絡ください。
  • 園内の水場では洗浄ができませんので、汚れたまま持ち帰っていただきます。
  • 火気を使用される場合、直火での使用は禁止です。
  • テント、タープ類は使用できません。

留意事項

  • 会場は貸切ではありません。一般の来園者、近隣にお住いの方への迷惑にならないよう、お願いいたします。
  • 泥酔厳禁です。紳士淑女たるもの、節度のある酒量を心がけましょう。
  • 体調管理、安全管理、お持ち物や貴重品の管理は各自の判断と責任であることをご了解の上、ご参加ください。
  • 会場内外で発生した事故、盗難等は一切責任を負いません。
  • 会場へのアクセスは公共交通機関をご利用ください。
  • やむを得ず車で来場される場合は、飲酒は厳禁です。お帰りまで時間があっても、当日運転される場合は飲酒はお断りします。
  • 未成年の方の飲酒、喫煙を禁じます。
  • 喫煙される方は携帯灰皿をご用意ください。周りの方へのご配慮をお忘れなく。
  • 危険物の持ち込み、ごみの投棄を禁じます。
  • 主催者の指示に従われない方、他の参加者に迷惑となる行為を行う方は強制的に退場していただきます。
  • 会費の払い戻しはいたしません。

当日の流れ

  • 11時00~15分に受付、会費と引き替えに「首下げチケット」をお渡しします。
  • スムースな企画運営の為、可能な限り受付時間に遅れないよう、ご協力をお願いいたします。最寄りの駅から会場までは徒歩10~15分ほどです。
  • その後は飲んで食べて、ご一緒にゆっくり楽しみましょう。
  • 終了時刻は特に設定しておりません。途中の出入り、お帰りはご自由に。BBQグリルは16時までに撤収します。

ザジとしては20名で参加しますので、参加希望の方はお早めにわたくし伊藤までご予約くださいませ。今回は合同での催しですので、20名以上の参加はできません。ですので、先着順といたしますのでご了承願います。

では、みんなで楽しいバーベキューをやりましょう!

(詳細はこちらのガージェリーのブログでもご覧いただけます)

http://blog.gargery.com/event/1838.html

今日は恒例ジャズライブ!

今日は恒例、早川由紀子(ピアノ)&慧莉(ヴォーカル)、ジャズライブをおこないます。ミュージックチャージなし、(演奏後よければ500円以上のチップをお願いします)通常のドリンクチャージのみでライブをお楽しみいただけます。

8時半頃から2セットです。毎回いろいろな曲、アレンジで楽しませてくれる今までとは一味も二味もちがった個性溢れるジャズヴォーカルスタイルを聞かせてくれるお二人。今回もとても楽しみです。皆様、お待ちしております。

第二木曜は

第二木曜は
本日、ザジはガージェリーの日!エステラ、スタンバイしてまーす。

音楽を聴く、ということ

Leonard  音楽評論を時々見ていると、音楽を聴いて魂を揺さぶられた、とか感動で打ちひしがれた、とか大げさな表現を見ることがあるが、正直、ずいぶん大仰な書き方をして、と常々思っていた。もちろん、自分も音楽を聴いて感動した、といえるような状況は何度も経験しているし、心に染み渡るような思いをしたことも幾度となくある。

 しかし、本当のところ、その感動とは自分のその時の精神状況や、おかれている環境、疲労度など、その音楽以外の自分自身が多少なりとも影響しているのではないか、と懐疑的になることもある。つまり、音楽を聴いて泣く、なんて自分の感傷性とシンクロしたからなんじゃないか、と思っていたのだ。(もちろん感傷性にシンクロさせる音楽の力、というのの凄さも解っているが)

 思えば、僕がクラシックを聴き始めた中学、高校時代は曲を聴きながら涙する、ということがちょくちょくあった。思春期で多感な頃の自分は、どうしようもない不安や、届かぬ思い、漠然とした未来への恐れ、などぐちゃぐちゃな思春期特有の自我を聴く曲、聴く曲にあてはめ、そのずぶずぶのセンチメンタルな気持ちにぴったりのものを探して泣いていたように思う。

 言ってみれば、その演奏が良かろうが悪かろうがどうでもいいわけで、ショパンの感傷性に泣き、ドヴュッシーのクリスタルな響に泣き、マーラーの深刻でドラマティックな展開に泣いた。

 そう、あの当時、演奏の良し悪しなんてほんとうはなにも解っていなかった。解っていると思い込んでいただけで、評論で気に入ったものをさも自分の評のようにえらそうな口をたたいていただけだった。だから、バーンスタインのマーラーがどれほど凄かったのか、中学時代に親にせがんで連れて行ってもらったニューヨークフィルとの演奏会も、もの凄く感動したのは事実だが、どれだけのことを理解していたのかは、今となっては怪しいものだ。

 前置きが長くなったが、今朝、僕はそんな感傷性や、昔のノスタルジックな思い出とは無縁のもの凄い体験をした。これが芸術の力なのか、というような。

 大仰に書いてもいい、そう言いきれるちょっと稀有な体験である。それは、バーンスタインがイスラエルフィルと1985年に演奏したマーラーの9番を聴いていてのこと、だ。

 マーラーの9番はここ2年ぐらい集中的に聴いてきた曲だ。CDでかなりいろいろな演奏を聴いてきた。人からも借りて様々な指揮者、楽団の演奏を吟味してきた。ラトル、カラヤン、クーベリック、ジュリーニ、アバド、ベルティーニ、テンシュテット、それにバーンスタインETC。バーンスタインはスタジオ録音のコンセルトヘボウとのと、ベルインフィルとのライブも両方聴いた。そして、この曲はある程度自分が納得できるぐらいに理解したつもりだった。

 もちろん、好きな演奏あれば、嫌いな演奏もあるし、素晴らしいと思えるものもあれば、アホかといってしまうほどくだらないと思った演奏もある。しかし、そこには昔の僕が聴いていたような自分の感傷性に照らし合わせて聴く、というような行為や、ノスタルジーで聴くというようなことは徹底的に排除してきたつもりだ。あくまでも、曲を冷静に聴き、そこから曲本来の、いや指揮者とオーケストラがマーラーをどう引きだすのか、という点を集中して聴いてきた。

 だから、泣く、なんてもうありえないのか、ぐらいに思っていた。いや、じわっと「あっ、いいなあ」と思いちょっと涙腺が緩んだ演奏は確かにあった。あまりの優美で美しさにうっとりとして涙が少しだけでた、ということもここ最近あったのは事実だ。

 でも、今朝は違っていたのだ。このバーンスタイン、イスラエルフィルの演奏は一楽章からもの凄い気迫と緊張感が伝わってきた。これは確かに凄い、最初は細部細部の表現の濃さに圧倒されて、こんな演奏が過去にあったのかと思いながら、深く深く曲に入り込んでいった。バーンスタインの解釈に全身全霊で演奏するオーケストラ。まるで生き物のようにうねり、身もだえ、咆哮する様はこれが本当に指揮者とオーケストラのだす音なのか、とただただ圧倒されていく。

 この時点で、この演奏はただものじゃない、ということが解る。第二楽章、第三楽章とその思いはさらに強くなり、これはとんでもない記録なんだ、それを僕は今聴いているのかと。マーラーの9番はこんなに優美で、グロテスクで、コケティッシュで、野蛮で、軽やかで、深遠で、ありとあらゆる混沌とした世界観がつめこまれ、それをバーンスタインは凄まじい情報量の多さでイスラエルフィルを使って語りかけてくる。こんなことができるのか、そんなことを感じて聴いていた。第三楽章までは。

 それは突如きた。第四楽章のアダージョは、ストリングスからはじまるゆったりと流れる楽章であるが、最初はああ、なんて厚くて暖かい音で包み込むような弦なんだろう、と思いながら聴いていた。そしてその弦が上昇していく流れに身をふっとまかせた瞬間、なんということが僕はあっという間に号泣していたのだ。自分で、一瞬なにがおこったのかわからないぐらい泣いた。それは悲しいとか、嬉しいとか、そんな単純な感情じゃなかった。もう、ただただ涙が当方もなく流れ出た。

 ああ、これなのか、芸術の持つとてつもない力とは、それに自分は今ふれてしまったのだ、とはっきり思った。なにか、自分が生きているという実存がその音楽によって許してもらったといったらいいのか、なにか宗教がかっているようだが、ほんとうに自分の根源的な部分にダイレクトに刺さったというか、ちょっと言葉では説明できない異様な体験をしたのだ。

 マーラーの9番は長い曲で、このバーンスタインの演奏は1時間半ちかくあり、第四楽章は30分もある。でも、第四楽章は特に、僕はまるで金縛りにあったかのように身動きひとつできなくなってしまった。途中何度も、涙が流れた。なんで、47歳にもなった自分がこんなに泣いているのかがまったく理解できなかった。でも、一つ解ったことがある、これが魂を揺さぶられ、感動にうちひしがれた、ということなんだと。最後に、バイオリンが消えるように終わるエンディングのあとも椅子をたつことができなかった。ああ、この瞬間のために僕は、クラシックを聴いてきたのか、と心からそう思った。

 それは、紛れもない事実で、真の音楽、芸術の力、それはめったに出会うことはないが、やはりあるのだ、と。生きている意味、実存、そして芸術とはなぜあるのか、ようやく少し僕は理解した、ようである。

やはり元にもどしました・・・

Piano2  変わり続けてきたザジですが、やはりグランドピアノは36回ローンがバレて家庭不和の原因となり、泣く泣くもとのアップライトに戻しました。ですので、テープルや椅子も元通りに。ということで、4月2日の月曜日、ザジはいつものように営業いたしますので、またよろしく!ww

四月はなんと!ザジのピアノが変わりました

Piano_3  変わり続ける今年のザジでありますが、なんとなんと、お店のピアノがアップライトからグランドピアノにグレードアップであります。もう、清水の舞台から飛び降りるつもりで36回ローンで買ってしまいました。

 さすがに、アップライトよりも場所をとりますのでテープルと座席を撤去して搬入しました。まあ、やはりいい音にこだわるならいたしかたないでありましょう。それにしても、グランドピアノのあるザジ、これは凄い。ライブの時にかなりの力を発揮しそう。今から楽しみですね。

 グランドピアノのあるバーとして、これから中野でがんばっていきますので、よろしくお願いしますwww

 

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

twitter

  • twitter

最近のトラックバック

2015年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ