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震災後も日本は変わりはしないのか(2)

 日本における組織と個人という問題であるが、僕は日本的組織にすべて問題があり、組織改革をしなければ、と言っているのではない。なぜなら、まず組織ありきではなく個人の集合体が組織であるのであって、その組織を構成する個人在り方が変われば自ずと組織は変わるはずだからだ。つまり、日本の組織の問題と言うのは、個人に問題があるから、と僕は考える。

 もちろん、日本が戦後高度成長を成し遂げバブルで終焉を迎える過程には、日本的組織というのが有効に働いたというのは間違いない。短期間で経済成長を引き上げ、また戦後天皇無き(誤解ないようにいうが戦前、戦時中の精神的支柱に天皇があったのが戦後象徴としてなったことにによる精神的支柱の喪失という意味で)穴を埋めるべく、経済至上主義に盲進できたのは、個人主義ではない全体主義的な日本人が役に立ったのは言うまでもないだろう。

 さて、現在21世紀になり高度成長もバブルで終焉して20年余り。ここで問題になるのが、その日本を押し上げてきた日本的組織形態、そしてそれを構成している日本人個人の在り様はこの20年で変わってきているのだろうか、ということである。それまで、個人であるということよりも全体、つまり組織のシステムが常に優先されていく社会であった訳だが、それが成長が止まり、逆に経済が停滞から下降していくこの20年の間に、有効に作用していた日本的組織のシステム自体が形骸化してまったく機能していないのではないか、と僕は見ている。

 そのいい例が、今回の震災による福島の原発問題での、官邸と東電そして役人たちの動きだ。ここ最近、その時のやり取りが徐々に明らかになり、官邸も東電も役人も互いに責任を擦り付け合っているが、そもそも緊急時に組織としてのシステムがまったく機能しなかったというのは誰の目にも明らかであろう。東電内部の個人個人では人命を優先するにはこうすればいい、と考えていた人は確実に存在しただろうが、組織としてはどうなんだ、というのが常に優先された結果ああいうことになっていく。官僚は官僚で、まず自分たちが敷いたレールをはずすことは絶対に許されず、緊急時にすらそれを守ることに固執する。その中で、官邸はどこをどう動かせばベストなのかがまったく解らないから右往左往して醜態をさらす。これは、今思えば起こる前からこうなるのは自明なことなのだ。

 日本的な個人を埋没させて組織ありきで動くシステムは、物事がうまく右肩上がりで進んでいるときは問題なく有効なのであろうが、それが停滞して下降しているときには逆に悪い方向へさらに突き進む可能性があり、しかもみんなもいっしょならいいか、という全体主義の悪いところがもろにでる。今回の原発での対応も人命とか早急な対応とかよりも、お互いにまわりを見渡し、これでいいのかと確認をとってしまうような、日本的組織の弱点が露呈してしまったのではないか。つまりこれは、ビートたけしが何十年も前にいった「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という象徴的言葉に集約されている。この感覚が、骨の髄まで染み付いてしまっている日本人ゆえの原発対応となっていた、というのが僕の推論だ。そして、それは組織のトップクラスの問題だけではなく我々一般庶民にもそれがネックになって、この21世紀を生き辛くして、自殺者を年々増やしている。もはや日本的全体主義ではどうにもならないのだ。赤信号をみんなで渡っているところに大型トラックがつっこんできて、それで死んでもしょうがないや、といって皆で笑っている社会、僕はそんな日本がつくづく嫌なのだ。じゃあ、どうしたらいいのか。

続く

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