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震災後も日本は変わりはしないのか(4)

 では、絆とはいったいどういうことなのだろうか。巷では皆で繋がろうとか、日本は一つだとか、いつも僕らはいっしょさ、というような抽象的なムードだけで語られているような気が僕にはする。繋がる、といってもどのような方法でなにを繋げていくのか、いっしょの気持ち、とは何がいっしょで何が違うのか、どうもいい加減で曖昧だ。同じ日本人だから語らなくても解るのが絆だ、という声も聞こえてきそうだが、それこそが日本人が曖昧なままに自己決定から目を背けている原因なのだが。

 なぜなら、絆を結ぶと言うことは、自覚した個と個がなんらかの共通点で繋がっていく(それは裏を返せばお互いの差異を認め合った上でということでもある)、ということだと僕は理解している。自覚した個、それは何度も同じようなことを書いているが、集団的総意から離れたところで自己の責任において自己決定ができ、その上で主張をもっている、個人主義的意識が確立しているということである。となると、この日本でそんな人間がどれだけいるのであろうか。そして、個が曖昧なまま集団的全体主義が未だにはびこる現状で、絆だなんて、たんなる感傷的なムードでしかないのだ。

 さらに自覚した個というのを考えると、それは回りがどう考え自分をどう見ているのか、そして自己が主張した時に自分はどれだけの人に承認が得られるのか、そんなことばかり考えていてそれが優先される意識では、自己決定できる、ということとは程遠い。そしてそれはいたるところで未だに若い人から年寄りまで日本においてはそんな意識の人ばかりだ。

 フェイスブックというソーシャルネットワークをを見てみると、日本人はみんないい人だらけだ。ツィッターやネットでの掲示板があれだけ誹謗、中傷も含め言いたい放題なのに、実名でということになると、とたんにおとなしく誰からも突っ込まれないように当たり障りのないことばかりしか誰も言わない。そして、確かにそう思って書いているのだと言う人が大半だろうが、花が綺麗でしたとか、夕日が美しかったですとか、これが美味しかったとか、ほんとうに言いたいことはそういうことだけなのだろうか、そしてそれを本当に伝え合いたいのだろうか。

 ここにも明らかに日本人的な自己よりも集団的生き方を優先する意識が見え隠れする。こんなこと書いたらこれを見ているだろうあの人はどう思うだろう、そして、今後そういうことを言う人なのかという目で見られやしないか、それが無意識のうちに支配していてすべてそういうフィルターを通して語られている。だから、イイネというボタンをお互いに押し合い過剰なまでの承認を必要とする。そこまでの承認がないと不安でしょうがないのだろうが、そこにもはや自覚した個などという意識はないのだ。

 はっきり言うが、人がどう思うか、そんなことばかりが優先されて自己がないがしろにされていく、それが無意識のうちにいたるところに顔を出すのが日本というところだ。もちろん、それでいいじゃないか、というならそれでいい。ただ、それなら震災での国の対応がどうとか、政治がどうとか、これからの日本がとか、会社が嫌だとか、この国は暮らしにくいとか、言うことはできないはずだ。自覚した個がなければ、そこには責任を持って公に対する、という市民的発想も生まれない。そこにあるのは、集団の意思決定をただ待ってそれにアジャストするだけの愚民でしかない、21世紀の今となっては、だ。

続く

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コメント

良くないことでもイイネですからね・・・smile

まったくです。おやすみと言っただけでイイネ、自転車のライト盗まれたでイイネ、なんかへんですねえ。

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