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震災後も日本は変わりはしないのか(5)

 では、なぜ今の日本では、あれほどまでに戦後から高度成長終焉まで機能していたシステムが形骸化し、組織優先で自己を組織内の総意に委ねる生き方、が裏目にでるようになってしまったのだろうか。それは戦後日本での社会環境が劇的に変化したからである。

 暮らしが豊かになるにつれいたるところが都市化していき、また地方は若者が都市へ流出することにより過疎化が進む。それは経済が成長すればするほど加速度的に進み、都市も地方もそれまでの環境とは一変する。それが意味すること、つまりムラ社会が必要とされない世の中になっていったということである。

 ここで言うムラ社会とは、その昔どこにでもあった、その土地、土地に互助システムでなりたっている村のような単位の集団のことで、長老がいて誰もが顔見知りの土地で、人の子どもも自分の子どものように互いに面倒を見合い、生きていくための基盤をその集団の中で作っている、そしてそれを形成している家族もまたおじいさんおばあさん、父、母、息子、娘、孫、そしてさらに息子の家族というように下部構造も連鎖しているという密接した人間関係の社会システム、のことだ。

 この環境で自己決定して生きるということは逆に、野に一人で放たれ死ぬ、ということになり(もしくは江戸時代なら浪人なのだが)、がっちりと集団で固まっていないと生きていけない。ここでは詳しくは書かないが日本の歴史において、長い間農業が中心でそれを収める長がいて、さらにそれを束ねる首長がいて、それをさらに束ねていき、一つの国を形成いくには必然のことである。

 ところが、だ、なぜ未だにそのシステムを引きずって日本はいかなければいけないのか。ここが問題なのだ。

 ここも簡単に言ってしまえば、西洋のように日本では市民革命ということがまったくなされないままに江戸から明治へと以降してしまい、トップのエリートだけが意識改革したうえで文明化していく道をつくり、民衆はそれにただ追従しただけにすぎない、からである。

 そして、戦前から戦後へとこのムラ社会システムを民衆の基盤にして、先ずは戦争へと向かい、そしてその後は高度成長を達成するということに成功したのではないか。このムラ社会的システムは戦争までは天皇制が精神的側面を支え、戦後は会社などの組織でのピラミッド型構造を上へあがっていくということが、天皇制に変わり人々の意識を支えるのであるが、とにかく国民一人一人が自己決定しなければ生きていけない、という必然がまったくないまま、日本は大国になっていった、ということが今となっては大きな問題なのである。

 話を元にもどすと、自己決定を必要としないから民衆はある意味暮らしやすかった、ともいえるのがこの日本だ。だから、ここへきてやたらと昭和を懐かしみ、映画や音楽などノスタルジーに浸る。それは裏を返せば、もう今となってはもうムラ社会は存在せず(まあ、一部沖縄などには残っているのだが、だから沖縄沖縄といって住みたがる人も多いわけで・・・ただそれもかなり昔とは違い崩壊してきているだが)、甘い感傷の中にしかそれは存在はしないからだ。

 となり近所がみんな仲良しで子どもの面倒も集団が見てくれて、つねに集団が守ってくれて互いに助け合って、といいことばかりに今となっては見えるムラ社会システムだが、それはそれ、何度も言うがその世の中の環境がそうであれば、なのだ(沖縄の一部の島などはそういう閉鎖環境だから残っているわけだ)。環境が変わったのにもかかわらず、ムラ社会システムだけが残った悲劇、そのほうがたくさんの人間を不幸にし、生き辛い世の中にしてしまう。

 当たり前だ、守ってくれる集団が今の僕らにあるのか。家族は核家族化が進みおじいちゃんやおばあちゃんは地方で、子どもたちは都市に暮らしバラバラで、家族と言う単位がそれを形成する個人一人一人を支えあう力とはなっていない(お父さんもお母さんも、思春期以降の子どもも、みんな家族のルールを優先で生きるなんてもはやないはず)。会社組織も右肩上がりの業績の時はだまってついて行けば恩恵に与れたが、今はいつ首を切られるか解らず、びくびくしていきるしかない。地域コミュニティだって住居環境のせいで同じ場所に長く住む人とたちのほうが少ないぐらいで、なかなか形成しずらいし、都市ではマンション暮らしの人も多く、まったく無縁の人も多い。もはや、ムラ社会的なことを望むなら宗教しかない、とすら言えるのが今の日本なのである。

 もちろん、人それぞれ自由なので宗教を否定するつもりはない。ただ、21世紀を生きる人間として、精神的支柱を僕は宗教ではないところに探す。ムラ社会的なものでもない、そして宗教的生き方でもない、日本における新しい生き方を模索していかなければいけない。それはあくまでも自分、個人という集団から切り離したところで考えるしかない。もう曖昧なまま生きるのは止めにして自己と正直に向き合っていく、その勇気を持つということ、それしかないのではないか。

続く

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