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2012年6月

震災後も日本は変わりはしないのか(5)

 では、なぜ今の日本では、あれほどまでに戦後から高度成長終焉まで機能していたシステムが形骸化し、組織優先で自己を組織内の総意に委ねる生き方、が裏目にでるようになってしまったのだろうか。それは戦後日本での社会環境が劇的に変化したからである。

 暮らしが豊かになるにつれいたるところが都市化していき、また地方は若者が都市へ流出することにより過疎化が進む。それは経済が成長すればするほど加速度的に進み、都市も地方もそれまでの環境とは一変する。それが意味すること、つまりムラ社会が必要とされない世の中になっていったということである。

 ここで言うムラ社会とは、その昔どこにでもあった、その土地、土地に互助システムでなりたっている村のような単位の集団のことで、長老がいて誰もが顔見知りの土地で、人の子どもも自分の子どものように互いに面倒を見合い、生きていくための基盤をその集団の中で作っている、そしてそれを形成している家族もまたおじいさんおばあさん、父、母、息子、娘、孫、そしてさらに息子の家族というように下部構造も連鎖しているという密接した人間関係の社会システム、のことだ。

 この環境で自己決定して生きるということは逆に、野に一人で放たれ死ぬ、ということになり(もしくは江戸時代なら浪人なのだが)、がっちりと集団で固まっていないと生きていけない。ここでは詳しくは書かないが日本の歴史において、長い間農業が中心でそれを収める長がいて、さらにそれを束ねる首長がいて、それをさらに束ねていき、一つの国を形成いくには必然のことである。

 ところが、だ、なぜ未だにそのシステムを引きずって日本はいかなければいけないのか。ここが問題なのだ。

 ここも簡単に言ってしまえば、西洋のように日本では市民革命ということがまったくなされないままに江戸から明治へと以降してしまい、トップのエリートだけが意識改革したうえで文明化していく道をつくり、民衆はそれにただ追従しただけにすぎない、からである。

 そして、戦前から戦後へとこのムラ社会システムを民衆の基盤にして、先ずは戦争へと向かい、そしてその後は高度成長を達成するということに成功したのではないか。このムラ社会的システムは戦争までは天皇制が精神的側面を支え、戦後は会社などの組織でのピラミッド型構造を上へあがっていくということが、天皇制に変わり人々の意識を支えるのであるが、とにかく国民一人一人が自己決定しなければ生きていけない、という必然がまったくないまま、日本は大国になっていった、ということが今となっては大きな問題なのである。

 話を元にもどすと、自己決定を必要としないから民衆はある意味暮らしやすかった、ともいえるのがこの日本だ。だから、ここへきてやたらと昭和を懐かしみ、映画や音楽などノスタルジーに浸る。それは裏を返せば、もう今となってはもうムラ社会は存在せず(まあ、一部沖縄などには残っているのだが、だから沖縄沖縄といって住みたがる人も多いわけで・・・ただそれもかなり昔とは違い崩壊してきているだが)、甘い感傷の中にしかそれは存在はしないからだ。

 となり近所がみんな仲良しで子どもの面倒も集団が見てくれて、つねに集団が守ってくれて互いに助け合って、といいことばかりに今となっては見えるムラ社会システムだが、それはそれ、何度も言うがその世の中の環境がそうであれば、なのだ(沖縄の一部の島などはそういう閉鎖環境だから残っているわけだ)。環境が変わったのにもかかわらず、ムラ社会システムだけが残った悲劇、そのほうがたくさんの人間を不幸にし、生き辛い世の中にしてしまう。

 当たり前だ、守ってくれる集団が今の僕らにあるのか。家族は核家族化が進みおじいちゃんやおばあちゃんは地方で、子どもたちは都市に暮らしバラバラで、家族と言う単位がそれを形成する個人一人一人を支えあう力とはなっていない(お父さんもお母さんも、思春期以降の子どもも、みんな家族のルールを優先で生きるなんてもはやないはず)。会社組織も右肩上がりの業績の時はだまってついて行けば恩恵に与れたが、今はいつ首を切られるか解らず、びくびくしていきるしかない。地域コミュニティだって住居環境のせいで同じ場所に長く住む人とたちのほうが少ないぐらいで、なかなか形成しずらいし、都市ではマンション暮らしの人も多く、まったく無縁の人も多い。もはや、ムラ社会的なことを望むなら宗教しかない、とすら言えるのが今の日本なのである。

 もちろん、人それぞれ自由なので宗教を否定するつもりはない。ただ、21世紀を生きる人間として、精神的支柱を僕は宗教ではないところに探す。ムラ社会的なものでもない、そして宗教的生き方でもない、日本における新しい生き方を模索していかなければいけない。それはあくまでも自分、個人という集団から切り離したところで考えるしかない。もう曖昧なまま生きるのは止めにして自己と正直に向き合っていく、その勇気を持つということ、それしかないのではないか。

続く

本日はガージェリー&ライブ!!

Estella 第四木曜日の本日はガージェリーの日でありますが、なんとなんと投げ銭ライブもいっしょにあるスペシャルDAY!ザジ、初登場のマキさん(ボーカル)と高島真悟さん(ピアノ)でボサノヴァ&ジャズを!梅雨のジメッとした気分を爽やかにガージェリーエステラとボサノヴァで過ごしてはいかがでしょう。ライブはミュージックチャージなしでお楽しみいただけますので、お気軽にどうぞ!

マキ&高島真悟、ボサノヴァ・ジャズナイト

8時半から2セット チャージなし

(演奏が気に入りましたらチップを演奏者にお願いします)

(ガージェリーエステラ入荷!飲みたい方は今日いらしてくださいませ。明日29日(金曜日)は貸切になりますので、ご注意くださいませ)

震災後も日本は変わりはしないのか(4)

 では、絆とはいったいどういうことなのだろうか。巷では皆で繋がろうとか、日本は一つだとか、いつも僕らはいっしょさ、というような抽象的なムードだけで語られているような気が僕にはする。繋がる、といってもどのような方法でなにを繋げていくのか、いっしょの気持ち、とは何がいっしょで何が違うのか、どうもいい加減で曖昧だ。同じ日本人だから語らなくても解るのが絆だ、という声も聞こえてきそうだが、それこそが日本人が曖昧なままに自己決定から目を背けている原因なのだが。

 なぜなら、絆を結ぶと言うことは、自覚した個と個がなんらかの共通点で繋がっていく(それは裏を返せばお互いの差異を認め合った上でということでもある)、ということだと僕は理解している。自覚した個、それは何度も同じようなことを書いているが、集団的総意から離れたところで自己の責任において自己決定ができ、その上で主張をもっている、個人主義的意識が確立しているということである。となると、この日本でそんな人間がどれだけいるのであろうか。そして、個が曖昧なまま集団的全体主義が未だにはびこる現状で、絆だなんて、たんなる感傷的なムードでしかないのだ。

 さらに自覚した個というのを考えると、それは回りがどう考え自分をどう見ているのか、そして自己が主張した時に自分はどれだけの人に承認が得られるのか、そんなことばかり考えていてそれが優先される意識では、自己決定できる、ということとは程遠い。そしてそれはいたるところで未だに若い人から年寄りまで日本においてはそんな意識の人ばかりだ。

 フェイスブックというソーシャルネットワークをを見てみると、日本人はみんないい人だらけだ。ツィッターやネットでの掲示板があれだけ誹謗、中傷も含め言いたい放題なのに、実名でということになると、とたんにおとなしく誰からも突っ込まれないように当たり障りのないことばかりしか誰も言わない。そして、確かにそう思って書いているのだと言う人が大半だろうが、花が綺麗でしたとか、夕日が美しかったですとか、これが美味しかったとか、ほんとうに言いたいことはそういうことだけなのだろうか、そしてそれを本当に伝え合いたいのだろうか。

 ここにも明らかに日本人的な自己よりも集団的生き方を優先する意識が見え隠れする。こんなこと書いたらこれを見ているだろうあの人はどう思うだろう、そして、今後そういうことを言う人なのかという目で見られやしないか、それが無意識のうちに支配していてすべてそういうフィルターを通して語られている。だから、イイネというボタンをお互いに押し合い過剰なまでの承認を必要とする。そこまでの承認がないと不安でしょうがないのだろうが、そこにもはや自覚した個などという意識はないのだ。

 はっきり言うが、人がどう思うか、そんなことばかりが優先されて自己がないがしろにされていく、それが無意識のうちにいたるところに顔を出すのが日本というところだ。もちろん、それでいいじゃないか、というならそれでいい。ただ、それなら震災での国の対応がどうとか、政治がどうとか、これからの日本がとか、会社が嫌だとか、この国は暮らしにくいとか、言うことはできないはずだ。自覚した個がなければ、そこには責任を持って公に対する、という市民的発想も生まれない。そこにあるのは、集団の意思決定をただ待ってそれにアジャストするだけの愚民でしかない、21世紀の今となっては、だ。

続く

震災後も日本は変わりはしないのか(3)

 危機的状況にいかに日本的全体主義が弱いか、ということがはっきり出た象徴的な話が震災時に津波に襲われたときの話だ。また逆に全体主義的な行動を否定して生き残ることができた人々がとった行動とはというと、それが津波てんでんこである。

 これは実に今の日本を象徴的に表している。逃げ遅れた人すべてではないと思うが,津波に襲われた地域の人々で地震発生後、近所の人々が集まりどうしようか話し合っているうちにやられた、という人々は少なくはあるまい。それは自分で決める、という前に先ず人の話を聞いてから、という行動が徹底的に染み付いてしまっている日本人ならではという感じがしてならない。一人で勝手やって後でなにかを言われるより(地域コミュニティならではの)その属する人々が合意でどうするかばかりを優先してきたからではないのか。

 これを、真っ向から否定したのが津波てんでんこであり、これは地震が起きたらまわりの人にかまわず各々勝手に逃げろ、という日本的発想とは間逆な行動であるのが興味深い。そして、ご存知のとおり危機的な津波に襲われるという状況を打開できるのは、この津波てんでんこのほうが全体主義的な方法よりも明らかに有効なのである。

 これは、地域コミュニティすら機能しない危機的状況を経験したから会得した、日本において特殊な場所の方法なのだが、ここに僕は震災以降、日本人が見つけなければいけないヒントがあると思う。つまり、社会的同調圧力からいかにして自己を切り離し、その上で自己決定できるかどうか、ということである。

 この社会的同調圧力、これはかなりやっかいだ。なぜなら大半の人が自分のことは自分で決めているさ、決定しているのは俺だ、と思っている。ところが実は決めていると思っていることはこの日本において、社会における属する集合体(会社であったり、その会社のある部署であったり、地域コミュであったり、同好する人々の集まりであったりなど)の総意に従っていることがほとんどなのだ。

 話を振り返ってもらいたい。この話の最初で、僕は自分が勤めていたサラリーマン時代の話を書いた。それはなぜか。組織の悪口を書こうと思ったのではない。日本の会社はこの同調圧力に屈することなく自己決定することがとても難しいのだ。自己決定ができないということは、責任の所在があいまいだということである。その決定に個人が責任を負わず何か起きたときはその属する集合体の全体責任で済ます。それは実に日本的調和の表れで、みんなで手をつないで、一人が悪いわけじゃないさ、悪いのは僕らみんなさ、という美しき世界観だ。それは外国からミサイルが飛んでこようと、津波に襲われようと、原発が爆発しようと。みんなでいれば安心だし、いっしょならなんとかなるさ、とりあえず相談しよう、そうしよう。しかし本当にこれでいいと思うのか、これが21世紀の日本の姿でいいのか。

 だからこそ、震災後にでた復興へのキーワードである絆という言葉、これに僕はとても胡散臭さを感じてしまう。もちろん、絆という本来持つ言葉の意味にではない。この絆という言葉の使われ方が、津波てんでんこではない、今までとなにも変わらない日本の状況、そうみんなで渡れば怖くない、という悪しき全体主義的意味に浸りきって涙するような感傷性、そしてなにかあるとそこに安心感を求めてしまう安易性、そのぬるま湯的な世界がこの期に及んでもいいと言うのか、と思えてしまうのである。というか、こういう概念というのは、安易に使うと本当に考えなければいけないことを覆い隠し都合のいい部分だけデフォルメして美化してしまう。特に震災のような危機的状況から何かを得て次に生かしていかなければいけないというのに、絆という言葉だけで満足してしまっていいのか。たしかにこの言葉で皆でがんばっていこうと思っているのに水を差し天邪鬼なやつだ、と思う人たちもいるだろうが、こういう状況だからこそ甘んじてはいけないし、ここを乗り越えていかなければ日本は変わることはできない、とまで僕は考えている。

 絆とてんでんこ、なんとも皮肉な相反する言葉なのだが、しかし実はこの二つを別々に考えずその互いの本質を理解して生きる術にすること、ここにこそこれからの日本のあるべき姿があるのではと僕は考え、そのことをさらに掘り下げて書こうと思う。

続く

 

 

震災後も日本は変わりはしないのか(2)

 日本における組織と個人という問題であるが、僕は日本的組織にすべて問題があり、組織改革をしなければ、と言っているのではない。なぜなら、まず組織ありきではなく個人の集合体が組織であるのであって、その組織を構成する個人在り方が変われば自ずと組織は変わるはずだからだ。つまり、日本の組織の問題と言うのは、個人に問題があるから、と僕は考える。

 もちろん、日本が戦後高度成長を成し遂げバブルで終焉を迎える過程には、日本的組織というのが有効に働いたというのは間違いない。短期間で経済成長を引き上げ、また戦後天皇無き(誤解ないようにいうが戦前、戦時中の精神的支柱に天皇があったのが戦後象徴としてなったことにによる精神的支柱の喪失という意味で)穴を埋めるべく、経済至上主義に盲進できたのは、個人主義ではない全体主義的な日本人が役に立ったのは言うまでもないだろう。

 さて、現在21世紀になり高度成長もバブルで終焉して20年余り。ここで問題になるのが、その日本を押し上げてきた日本的組織形態、そしてそれを構成している日本人個人の在り様はこの20年で変わってきているのだろうか、ということである。それまで、個人であるということよりも全体、つまり組織のシステムが常に優先されていく社会であった訳だが、それが成長が止まり、逆に経済が停滞から下降していくこの20年の間に、有効に作用していた日本的組織のシステム自体が形骸化してまったく機能していないのではないか、と僕は見ている。

 そのいい例が、今回の震災による福島の原発問題での、官邸と東電そして役人たちの動きだ。ここ最近、その時のやり取りが徐々に明らかになり、官邸も東電も役人も互いに責任を擦り付け合っているが、そもそも緊急時に組織としてのシステムがまったく機能しなかったというのは誰の目にも明らかであろう。東電内部の個人個人では人命を優先するにはこうすればいい、と考えていた人は確実に存在しただろうが、組織としてはどうなんだ、というのが常に優先された結果ああいうことになっていく。官僚は官僚で、まず自分たちが敷いたレールをはずすことは絶対に許されず、緊急時にすらそれを守ることに固執する。その中で、官邸はどこをどう動かせばベストなのかがまったく解らないから右往左往して醜態をさらす。これは、今思えば起こる前からこうなるのは自明なことなのだ。

 日本的な個人を埋没させて組織ありきで動くシステムは、物事がうまく右肩上がりで進んでいるときは問題なく有効なのであろうが、それが停滞して下降しているときには逆に悪い方向へさらに突き進む可能性があり、しかもみんなもいっしょならいいか、という全体主義の悪いところがもろにでる。今回の原発での対応も人命とか早急な対応とかよりも、お互いにまわりを見渡し、これでいいのかと確認をとってしまうような、日本的組織の弱点が露呈してしまったのではないか。つまりこれは、ビートたけしが何十年も前にいった「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という象徴的言葉に集約されている。この感覚が、骨の髄まで染み付いてしまっている日本人ゆえの原発対応となっていた、というのが僕の推論だ。そして、それは組織のトップクラスの問題だけではなく我々一般庶民にもそれがネックになって、この21世紀を生き辛くして、自殺者を年々増やしている。もはや日本的全体主義ではどうにもならないのだ。赤信号をみんなで渡っているところに大型トラックがつっこんできて、それで死んでもしょうがないや、といって皆で笑っている社会、僕はそんな日本がつくづく嫌なのだ。じゃあ、どうしたらいいのか。

続く

本日はガージェリーの日!

Estella_2  お待たせいたしました。本日は6月第2木曜日ですので、ガージェリー樽入荷いたします。今回はエールタイプのエステラです。じっくりと味わうには最高のビールでありまして、梅雨のじめっとした気持ちもエステラですっきりさっぱりと美味しく味わってくださいませ。

 最近、ガージェリー樽の日は大変好評で、2日もたないぐらいにあっという間に売れますので、ぜひ本日おいでくださいませ。(まあ、たぶん明日も早い時間は大丈夫だと思いますが・・・・)

 皆様、お待ちしておりまーす。

震災後も日本は変わりはしないのか(1)

 店を一人でやっているわけだが、孤独というわけではない。毎日、お客さんと出会っているし、取引先の酒屋や氷屋との交流もある。昨年、長いこといっしょにやっていたバイトの女性がやめたが、それも月曜と金曜だけだったし、基本、自分は一人で仕事をすることが合っているようだ。

 まあ、サラリーマン時代も協調をしてやることはやったが、組織からちょっと離れたところに身を置きながら仕事をしていたように思う。というのも、自分が思うことを自分で納得しながら仕事をしたいのに、上司が黒といったら黒と言わなければいけないのが日本の組織。もちろん、自分が間違っていればしょうがないが、明らかに上司が間違っていようと自分の白が通らないのが日本的会社の一般的姿か。(もちろん例外もあるだろうが、一般的な前提として)

 じゃあ、その上司はというと周りの顔色ばかり伺っていて、自分の考えを話しているのではなく会社の決定だとか、本部長が決済しているから、とか常に自分の責任において語ることはなかった。そのくせ、会議ばかりやりたがり、みんな聞いたな、といわんばかりに責任の共有化とは聞こえはいいが、責任回避の全体主義にどっぷりとつかっていた。

 僕としては、そんな組織のあり方に嫌気がさしていて、個人の扱われ方にずっと疑問を持っていた。仕事だからみんなで同じ方向へ向くのは当然だが、それをどう考えるかは人それぞれ違うだろうし、だからこそいいアイディアもその中から生まれるはずだろう。ところが、そんなものよりも全体の中で自分は突出していないかとか、周りの輪を乱していないかとか、なにか言ったら自分だけが責任をとらされるのではないかとか、とにかく皆、個というのものが全体の中で埋没しているとしか思えなかった。こうしておけば、こういう言い方をしておけば、まあ悪くは言われないだろう、責任を押し付けられないだろう、そんなことばかりに気を使う、それが日本の組織なのか、と。

 毎日そのようなことばかり20代後半に考えながら生きていたのだが、そんな自分は当然組織ではいびつな存在で、たぶんそのせいで28歳で香港駐在ということになり、こっちとしては渡りに船といった感じで喜んで日本を離れた。

 さて、ここまで長々と書いたのには訳がある。最近、震災以降の日本を見ていてその事後の官僚や政府の動きや対応、そして原発問題や復興への日本人の意識、さらに僕らは今後どういう生き方をこれからすべきか、そんなことをもろもろ考えていたら、これは根深い問題があるなあ、と思ったのである。

 解っているといえばそんなこと前からずっとそうだ、ということなのだが、震災という危機的状況に対するとその問題は鮮明に浮き出てきたようだ。回りくどい言い方をしているが、この問題とは日本における個とは、個人とは、ということだ。これは公という概念に対する個という意味も含んでいる。

 個人主義、西洋の社会では一般的なことではあるが、ここ日本ではこの概念はまったく理解されていないだろう。言葉は解っても体感で解っている人は少ない。なぜなら個人主義だと生活し辛い場所が日本だからだ。僕は先にも書いたようにこのことを日本の組織にいる時に散々考えさせられ、悩んだ。そして日本を離れて個人主義とはなにか、ということを体感でやっと理解したという実感がある。個が受け持つ責任と、個が引き受ける公の中の自分、ということを。

 不思議なことに、そのことを理解したとたんに逆に香港での生活が精神的に楽になり、そして充実した実感を得ることとなった。だからこそ、2年半の駐在期間がおわり帰国命令がでたのだが、日本に帰りたくないばかりに香港で日本の企業を辞めてしまったのだ。それは、せっかく掴んだ個の在り様、アイデンティティ、そして自分の心の奥底の声に従って生きるということ、それを日本の企業にまた戻ることによって失いたくなかったのである。

続く

 

 

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