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震災後も日本は変わりはしないのか(1)

 店を一人でやっているわけだが、孤独というわけではない。毎日、お客さんと出会っているし、取引先の酒屋や氷屋との交流もある。昨年、長いこといっしょにやっていたバイトの女性がやめたが、それも月曜と金曜だけだったし、基本、自分は一人で仕事をすることが合っているようだ。

 まあ、サラリーマン時代も協調をしてやることはやったが、組織からちょっと離れたところに身を置きながら仕事をしていたように思う。というのも、自分が思うことを自分で納得しながら仕事をしたいのに、上司が黒といったら黒と言わなければいけないのが日本の組織。もちろん、自分が間違っていればしょうがないが、明らかに上司が間違っていようと自分の白が通らないのが日本的会社の一般的姿か。(もちろん例外もあるだろうが、一般的な前提として)

 じゃあ、その上司はというと周りの顔色ばかり伺っていて、自分の考えを話しているのではなく会社の決定だとか、本部長が決済しているから、とか常に自分の責任において語ることはなかった。そのくせ、会議ばかりやりたがり、みんな聞いたな、といわんばかりに責任の共有化とは聞こえはいいが、責任回避の全体主義にどっぷりとつかっていた。

 僕としては、そんな組織のあり方に嫌気がさしていて、個人の扱われ方にずっと疑問を持っていた。仕事だからみんなで同じ方向へ向くのは当然だが、それをどう考えるかは人それぞれ違うだろうし、だからこそいいアイディアもその中から生まれるはずだろう。ところが、そんなものよりも全体の中で自分は突出していないかとか、周りの輪を乱していないかとか、なにか言ったら自分だけが責任をとらされるのではないかとか、とにかく皆、個というのものが全体の中で埋没しているとしか思えなかった。こうしておけば、こういう言い方をしておけば、まあ悪くは言われないだろう、責任を押し付けられないだろう、そんなことばかりに気を使う、それが日本の組織なのか、と。

 毎日そのようなことばかり20代後半に考えながら生きていたのだが、そんな自分は当然組織ではいびつな存在で、たぶんそのせいで28歳で香港駐在ということになり、こっちとしては渡りに船といった感じで喜んで日本を離れた。

 さて、ここまで長々と書いたのには訳がある。最近、震災以降の日本を見ていてその事後の官僚や政府の動きや対応、そして原発問題や復興への日本人の意識、さらに僕らは今後どういう生き方をこれからすべきか、そんなことをもろもろ考えていたら、これは根深い問題があるなあ、と思ったのである。

 解っているといえばそんなこと前からずっとそうだ、ということなのだが、震災という危機的状況に対するとその問題は鮮明に浮き出てきたようだ。回りくどい言い方をしているが、この問題とは日本における個とは、個人とは、ということだ。これは公という概念に対する個という意味も含んでいる。

 個人主義、西洋の社会では一般的なことではあるが、ここ日本ではこの概念はまったく理解されていないだろう。言葉は解っても体感で解っている人は少ない。なぜなら個人主義だと生活し辛い場所が日本だからだ。僕は先にも書いたようにこのことを日本の組織にいる時に散々考えさせられ、悩んだ。そして日本を離れて個人主義とはなにか、ということを体感でやっと理解したという実感がある。個が受け持つ責任と、個が引き受ける公の中の自分、ということを。

 不思議なことに、そのことを理解したとたんに逆に香港での生活が精神的に楽になり、そして充実した実感を得ることとなった。だからこそ、2年半の駐在期間がおわり帰国命令がでたのだが、日本に帰りたくないばかりに香港で日本の企業を辞めてしまったのだ。それは、せっかく掴んだ個の在り様、アイデンティティ、そして自分の心の奥底の声に従って生きるということ、それを日本の企業にまた戻ることによって失いたくなかったのである。

続く

 

 

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