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2014年5月

ジャズ50バカその9

9. スタンダードジャズ(それも彼らが勝手にスタンダードだと思っている曲)以外はジャズとして認めないバカ

 ジャズスタンダードとは、簡単に言ってしまえば、何十年も前から現在に至るまで、多くのジャズミュージシャンが演奏している曲である。つまり、ジャズというのはアドリブ、即興演奏を聴く音楽であり、それを行うための曲があり、特にビバップというモダンジャズを演奏する様式において繰り返し演奏された曲たちのことである。

  50年代60年代のシャンソンやポップスなどの曲を媒体としそれでアドリブをとったジャズにおいて、枯葉やいつか王子様が、のような曲をいろいろなミュージシャンがそれぞれのアプローチで演奏し、またその違いをリスナーは聞き分けることをよしとしたという歴史があり、その中でジャズはスタンダードを聴くことだ、という認識を持った人々を多く生み出した。

 だが、それはあくまでもジャズの中のひとつの世界に過ぎず、ジャズにはもっと様々な音楽世界がある。自分たちで曲を書きあらたなジャズの地平を切り開こうとする人、スタンダードにはなっていないロックや民謡などでアドリブをとる人、またはコード進行もないフリージャズを行う人など。

 それまであったスタンダードを演奏するだけではなく、実はエバンスだってミンガスだって自分で曲を書いて演奏している。しかし、スタンダードだけがジャズだ、と思っている偏った考えの人はどうも、厳密な意味でのスタンダード、というより60年代ぐらいまでの、まあジャズが一番盛んだった時代までのミュージシャンが演奏している曲がスタンダードだ、みたいな認識らしい。

 というのも、エバンスぐらいしか当時弾いていない本人の曲を、今のプレーヤーが演奏することに関してはスタンダードを演奏している、という感じなのだ。だから、そのスタンダード以外はジャズではないと言う人たちのスタンダードとは僕がさらに解釈すると、要は60年代ぐらいに自分たちがよく聴いていたモダンジャズの曲、というのに過ぎないのだ。

 それでだ、結局、自分たちが知っている当時の曲を今演奏してくれると喜んで、現代の知らない曲だと「なんだよ、スタンダードじゃないのかちぇっ」と舌打ちしちまうというあくまでも個人の問題なんだよ。それを、まえの項でも書いた「スタンダードを演奏しないっていうのは、スタンダードをやると自分の技量がバレちゃうからね、だからオリジナルなんてやってるのさ」とくだらねえ理由つけて、ちっぽけな自我を守っているということなんだよ。

 挙げ句の果てに、若手のミュージシャンに手書きのスタンダードリストを渡して、これを勉強しなさい、とマジで講釈たれたバカオヤジとか本当にいるのだから始末に悪い。

 さらに、そのスタンダードの解釈でもバカオヤジどもは自分たちが聴いていたバップのスタイルなら納得するのだが、これが現代的な様々なスケールでアプローチした解釈だと、これはぜんぜんなっちゃないね、と馬鹿にしきった言い方を平気でしている。これも、つまりはそう言うジャズのアプローチを本人たちが知らない、楽しみ方が解らないという個人の問題を、ミュージシャン側がなっちゃいない、下手だと、悪口を言う、まあ責任転嫁なわけ。ジャズ聴かない人から見たら簡単に解る話だと思うけど、こんなバカバカしいことが普通にジャズの世界でははびこっているのよ、この現在も。

 というのも、ジャズなんて今や一部の人たちの小さなマーケットで、そんなバカオヤジがマーケットの中心を占めているというのが現状なんだな。そして、それをまた無批判に持ち上げ、やはりこれぞジャズだ、なんていうバカ評論家とともにスタンダード万歳ということになっているのだ。ああ、やだやだ。これだから、ジャズは死臭の漂う陰気臭い音楽だと思われるんだよ。

 もちろん、枯葉だって凄いアプローチで現代のジャズとして素晴らしい演奏を僕はいくつも知っている。だからスタンダードを媒体にすればアプローチしだいで今のジャズは成立する。それもあり、そして新しいまだ誰も聴いたことのないジャズを目指す、というのもまた一つのジャズのあり方であろう。だから、スタンダードか、どうか、ということではなく、要はそこに熱を、今を、新しい何かをどう聴き手に伝えるかということがジャズであり、歌舞伎のように伝統芸能継承者がジャズミュージシャンではない、と僕は思っている。

ジャズ50バカその8

8. オリジナルのジャズをやっている奴はスタンダードをやるとボロが出るからあんなことやってるんだと本気で言っているバカ

 

 日本のジャズ界を知らない人は、ほんとにこんなこと言っている人いるの?と思うかもしれないが、これが一人や二人じゃなくいるのよ、かなりの数のバカオヤジどもが。僕も実際にこういうこと言っているオヤジにあったことあるし、僕の店のお客様もあるライブハウスでとなりに座った60ぐらいのオヤジがしたり顔で「スタンダードまともに弾けないからオリジナルやってるんだ」と言われたらしい。

 そいつらは、枯葉とかいつか王子様が、とかやっていれば満足し、それどころか、普通じゃなかなか知らないバップ時代の曲をわざとリクエストして、さすがに普通のスタンダードじゃないから弾けないとミュージシャンが言うと、次回まで勉強してこい、みたいな上から目線で言ったりする。

 はあ、もうあまりにバカすぎてお話にならないのだが、ある世代のジャズファンってこの手合いがほんと多いのだ。

 じゃあ、言うけどさ、オリジナルをやっているミュージシャンがスタンダードやるとボロが出るって、どういう意味でいってるんだよ。つまりね、こいつらは4ビートのドスタンダードな弾き方でやりゃあ満足で、これはいいねえ、なんて言うのよ。現代的な、バップじゃないスタイルで演奏するとこういうのはダメだね、と馬鹿にする。

 頭が悪すぎるのだが、当然だがそんなミュージシャンたちがスタンードをやらないでオリジナルをやる理由はそんなことでは決してない。だいたい、テクニック的にみたって今のミュージシャンがスタンダードをやったところで本当にボロが出るわけないだろうが。むしろ、オリジナルで勝負している人たちは、新しいジャズを模索してそれこそがジャズやる姿勢だ、と思っているのであって、あえてスタンダードではない曲にチャレンジしてるのだ。それを、なんて失礼なこと言うのだろう。

 僕が今回、ジャズ50バカを書こうと思った理由はこういうことがあまりに多く、ふざけんな、という思いが積もりに積もったからだ。自分がある時代に熱心に聴いたある部分のジャズだけを認め、それ以外を認めるどころか、なにもわかっちゃあいないのに上から目線で馬鹿にする。まあ、実はそいつらは裸の王様で、客観的に見たら無様で無知でどうしようもない醜態なのだから、どうでもいいかもしれない。でもね、こいつらがジャズの未来をじつは閉ざし、首を締めていると僕は思っている。なぜなら、ジャズは常に今の今を表現する音楽だ、と思っているから。 

 当然のことだがスタンダードはそれは素晴らしい曲が多いのは僕もそう思っている。だが、いまから50年も前の曲をやるだけがジャズなのか。マイルスはずっとスタンダードだけをやり続けたのか。ハービーは、チックは、マイケルブレッカーは、メセニーは、メルドーは、言わずもがな、だ。それは彼らは生きた今のジャズをやっているから、スタンダードだけではないオリジナルをやるのだ。そして、僕もまだ聴いたことがない新しいジャズを常に聴きたいと思っている。

 このスタンダード偏重主義とも言える悪しき考えは、次回も別の事例で書く。そのぐらい頭にきているのだ、僕は。

 

ジャズ50バカその7

7. ポップス歌手や演歌歌手もしくは落ち目のアイドルが、マンネリ打破のためにジャズでも、と歌うバカ

 

 先に言っておくが、極まれに例外があってそこいらのジャズ歌手よりよっぽど上手いと思う人もいる。僕が思う一人を例としてあげれば、UAが菊地成孔と作ったアルバムは、はっきり言って普通のジャズ歌手では絶対に作れないオリジナリティと、斬新さのある素晴らしいものだ。

 ただ、これは例外中の例外。今まで、どれだけポップス歌手や演歌歌手、アイドルがジャズでございと、くだらないアルバムを作ったことか。というか、ジャズをといってアルバムを作ったあと、その後もジャズを歌い続けているのがいるのかね。だいたい、一枚出して終わりじゃないか。

 ジャズもなめられたものだ。そんな軽いノリでジャズっぽく歌ったから、ジャズアルバムですっていうのは普段ジャズを聴かない人に対してだって失礼極まりない。まあ、そのジャズっぽく、という形を作っているのは実はジャズ界側に問題もあるのだが。

 それは、ジャズボーカルってこんな感じで、というステレオタイプが実はあってね、それをまた超有名ジャズボーカル教室が金太郎飴のような歌い方を世間一般に流布してるのよ。だから、日本のジャズボーカルってどれもこれも判を押したようにみんなおんなじ(これも一部例外を除く)。この件は、再度また書こうかと思うのだが、だからこそジャズの外側からみると、あんな感じで歌えばいいのか、と思われているのだよ。

 つまりだ、ジャズボーカルってこんな感じ、というありきたりのスタイル、まあ雰囲気ね、それだけでジャズだ、ジャズだとアルバムを作るわけ。

 そんなもん、面白い訳ないだろうが。なのにね、それを持ち上げる輩がいてさ、そしてやはり買っちゃうバカオヤジがいるってことだね。結局、そのオヤジどもってそんな雰囲気だけでジャズボーカルを普段も聴いているってことなのよ。ちょっと、可愛い子がてきとうなムードつくって歌えばジャズです、ああ、そりゃよかったねえ。

 だから、未だに、演歌の大御所やアイドルがジャズやりました、とアルバムを作るのだよ。でも、何度も言うようにそのあとジャズを歌い続ける人っているの?そんな覚悟もないある意味いい加減なものをね、ジャズだとは僕は思えんね。

 そして、これも別の項でちゃんと書くけど、ジャズボーカルってステレオタイプのね、教科書どおりの歌なんて、なんの魅力も僕には感じない。ヘレン・メリルだってサラ・ヴォーンだって、ましてやカサンドラ・ウィルソンだって彼女じゃなければだせないオリジナリティで勝負しているじゃない。それを、こんな雰囲気でやればジャズボーカルっていうことが横行している日本のジャズ界だからこそ、こういうポップスや演歌歌手、アイドルたちのなめたジャズアルバムが作られる原因になっているのよ。

 まあ、その雰囲気だけのジャズをもてはやしているバカオヤジどもが一番の元凶なんだろうけどね。ジャズの側もさ、ここらでなめられないように、本来のジャズを歌うということはどういうことなのか、真剣に考える頃なんじゃないかね。

ジャズ50バカその6

6. ジャズは酒と煙草、女にドラッグ、退廃的な奴じゃなきゃいいジャズはできないとマジで力説するバカ

 こういうこと言っている奴が、実はぜんぜん関係ないところで、自分は高見の見物みたいな立場なんだよなあ。21世紀にもなってさ、まだこんな無責任な前近代的なこというバカがいるんだよ。

 そりゃ、そういう時代があったのは事実ですよ。時代の必然みたいなところで、有名ミュージシャンがみんなドラッグにはまったというのと、ジャズがね、だからいいものだった、みたいのはあまりにひどい短絡的な説明だと思う。でも、これ、かなり有名な評論家が言っているから始末に悪い。それをそのまま鵜呑みにしたバカ、増殖させちまっているのだから。

ふざけんなと思うのはさ、それなら今の世で、ドラッグやらないで、酒、煙草吸わず、家族を大事にしているミュージシャンは、それだけでまともなジャズできないってことなのかい。もう、子供だって解ることじゃないか。こんなくだらない論理。

 ほんと、朝早く起きてサプリメント飲んで健康的な生活送ってる奴にジャズができるか、って言った評論家がいるからちょっと常軌を逸しているとしか思えんね。バカ百回言ってもいいと僕は思うぜ、こんな奴。

 じゃあなにかい、みんな覚せい剤打って、警察に捕まるかどうかみたいな生活しろっていうのかよ、ジャズやるなら。

 そういうてめえこそ、健康に気つかって生活してるんだろうが。もう、そういう時代じゃないし、でも今の時代はそうじゃなくてももっと違う精神的にプレッシャーがあってさ、だからこそ表現しようというエネルギーがあるのにさ。そういうことをいうのってくだらなすぎるったらありゃしないね。

 本質はなんなのか、人の胸を打つ音楽をやるか、やらないか、であって、ドラッグ、酒、煙草、女にはまるかどうかじゃない。当たり前すぎて説明するのも馬鹿らしいけど、そういうことです。それなのに、こんな戯言を言い続ける馬鹿オヤジどもがいるのは、ちゃんと音楽に向き合っているミュージシャンに失礼極まりないと思うね。

 はっきり言わせてもらう、もうこの時代に、素晴らしいと思うジャズはそんな理由じゃ絶対にできない。いかに、今僕らがかかえている問題、時代のどうしようもない深い穴に首をつっこみ全身全霊で考え、それをどう具現化するか、それを知的にやったものが今のジャズをできると僕は考える。異論はあるかもしれない。でも、じゃあダメ人間がこの時代に果たして、素晴らしいジャズをやったのが一度でもあるのか。そんなものは聴いたこともない。今の時代は今やるべきことがある。それがジャズだ。

ジャズ50バカその5

5. これはジャズ、これはジャズじゃないと線引きしないと気がすまないバカ

 

 ほんとジャズファンって妙な事こだわる人が多い気がするのよ、ロックファンとかポップスファンにはあまりいないんじゃないかね、これはロックじゃない、ポップスじゃないと線引きしたがる人。

 ジャズファンって、前の項で書いたフュージョンの問題ともリンクするのだが、これはジャズじゃなくてフュージョンじゃん、といって軽蔑的な言い方するのがけっこういるのだ。このジャズかジャズじゃないか、というのもね、僕から言わせるとくだらん自我を守るための言い方に過ぎないと思うね。

 なぜか、ジャズ(彼らが言うところの)はフュージョンみたいな軽いムードミュージックと違ってもっと高尚で精神性が高い、と思い込んいる。というかね、ジャズという範疇も実はかなり曖昧で、その人その人で考えている範疇が違うので、さらにやっかいな問題なんだが、簡単に分けるとスィングジャーナル系がジャズで、アドリブ系がフュージョンという雑誌の違いが解りやすいのか。

 とはいってもね、ウェザーリポートはジャズだっていう人もいるし、いやフュージョンだっていう人もいるし、上原ひろみはフュージョンという人もけっこういるのよ。だから、ほんと線引きなんてくだらんなあ、と僕は思う。パットメセニーなんて、そんなとこは超越しちゃってね、自分の音楽やっているに過ぎないと思うし。

 だけど、話を戻すが、その線引きしないと気がすまない人たちがまだたくさんいるんだわ、ジャズファンには。

 もう一つ、言わせてもらうとモダンジャズを聴くときとフュージョンを聴くときの楽しみ方って、ぜんぜん違うのにさ、モダンジャズを聴く土俵にわざわざフュージョン上げてね、あんな決まりきったフレーズしか弾けないのかとか、パターン化されててくだらん、みたいなこと言うのってとてもナンセンスだと僕は思うね。

 フュージョンの楽しみ方って、16ビートの疾走感にのる爽快さだったり、ギミックの連続にグッときたりさ、畳み込むような展開に熱くなったりと、モダンジャズを聴く作法とはぜんぜん違うんだって。それを解らないからといって、あんなものと馬鹿にする。いや、面白くないと思うのはけっこう、だって人それぞれ志向があるのだし自分の好き嫌いはいいのよ。ただ、ほかの項でも何度も書いているけど、なぜ否定しちゃうのかね。

 僕の店にはフュージョン好きな人も結構来るけど、フュージョン好きの人はジャズを否定したりする人はまずいないね。しかも、ジャズファンに軽蔑されるのが嫌なのか、けっこう控えめに「この店ではかけてくれるんだ」と喜んでくれたりする。ところが、ジャズファンと称する人には「なんだ、フュージョンかよ」という顔するオヤジはたくさんいて、しかも否定するのよ、今まで書いてきたような感じで。 

だから、僕の店ではもうジャズの看板おろしちゃって音楽バーってことに最近はしている。そして、店の外にスピーカーがあって店内の音楽が外にも流れているのだが、フュージョンやファンク、また山下達郎なんかをかけることが今は多くなった。なぜなら、その手のジャズオヤジが「なんだ、ジャズって書いてあるのにこんなもんかけているのか」って店の前で帰ってくれるから。そんな奴に来て欲しくないね、僕の店には。音楽に線引きはいらないんだ。

ジャズ50バカその4

4. ジャズフュージョンは商業音楽だ、と常に上から目線で馬鹿にするバカ

 

 これもいつまでも言い続けている奴がいるのだが、訳がわからないとても変な現象だ。フュージョンという80年代に流行したインストゥルメンタルミュージックをなぜかジャズファンと称するオヤジたちは、唾棄するように「これって商業音楽じゃない」と馬鹿にし続ける。

 これがロックやポップス、ラテンには絶対に言わないのよ、こういうこと。どういう訳か、フュージョンだけ目の敵にして軽蔑の眼差しなのだ。

 なぜフュージョンだけある世代が目の敵にするのか、僕が考えるに、70年代にチックコリアががリターントゥフォーエバーを、ハービーハンコックがヘッドハンターズを、と今まで違った強烈な印象を与えたアルバムがでて、その影響でフュージョンに妙な感情が残ってしまったとは言えまいか。

 もう少し詳しく説明すると、前に書いたマイルスがジャズにエレクトリックなサウンドとロックテイスト、またはファンクテイストを融合させて、あらたなジャズの局面を開いていくのだが、それに追従するかたちで、マイルスがやったことをさらにポップにある意味一般的に聴きやすい形で世にだしたのが、リターントゥフォーエバーでありヘッドハンターズであったと僕は思う。

 そのチックとハービーのアルバムがそれまでのジャズファンだけじゃないロックファンやほかの人たちも巻き込んで大ブームになり、それがコアなジャズファンには当時許しがたい思いがあったのであろう。なんだ、ミーハーな奴らが、という思いが未だに(あれから40年ぐらいたっているのに!)まだ認めたくない、らしい。

 さらに時代はフュージョン全盛にむかい80年代にボブジェームス、デイブグルーシン、スタッフ、クルセイダースなどなど、それまでのドジャズ聴いていた人たちの肩身が狭い世の中になっていく。

 それでなんだが、その時コアなジャズファンが実はだいぶジャズを聴かなくなっていくのよ、実際。もちろん一部はマニアとして残ったけど、ほとんど青春時代が終わり就職して音楽聴かなくなったんだよ。それが今いいオヤジになってまた音楽でも聴くかとなりその当時の思いだけでまだそんなことを言っているんだな。

 

 それは別の言い方をすると、当時の若者のライフスタイルが急激に変わっていく状況とリンクしていて、ドジャズで硬派気取っていたのに、フュージョンで急にナンパな(彼らからするとある意味ね)世界に変わっていくことについていけない自分、というのもあったに違いない。それが生き方にまで影響しそうで、という感じだったのではないか。それはまさに60年代70年代から80年へ移行する時代の空気であったのも否めまい。そこにとどまろうとする者、新しい風に吹かれようとする者。その葛藤が、今に至るまでジャズとフュージョンという形で残っているのではないだろうか。

 だからこそ、もう少し正直に自分に向き合ってつまらん自意識に捕われず、もうあれはジャズじゃない、とか、なんだここはジャズバーなのにフュージョンなんてかけるの?とか、商業的音楽は中身がないねえ、とか、いい加減にやめたらどうです、その言い方。

 だってね、じゃあ商業的じゃない音楽って実際あるのか。あるわけないでしょ、資本主義の世で。無償でCD配って、音楽ではお金いただきませんってジャズミュージシャン見たことないんですが。

 もう一つ言いたいこと、それはジャズとフュージョンってまったく聴きどころというか、楽しむ観点が違う音楽だということ。この点はまた話が長くなりそうなので次で書く事にする。

 

 

ジャズ50バカその3

3. 女性ジャズボーカリストをホステスだと思っているバカ、そしてホステス的接客を当たり前だと思っているバカ

 日本のジャズ界で女性ジャズボーカルの世界は、世界的にみても僕は異様だと思う。すべての女性ボーカリストとは言わないが、ジャズクラブ、ライブハウスでの彼女たちの立ち振る舞いは明らかに変だ。

   知らない人に説明するが、彼女らはミュージシャンとして出演しているはずなのに、なぜか演奏の休憩時間や終わったあとの時間に客のテーブル、席をまわり、 場合によってはお酒をもらい隣に座り「次回もぜひ来てくださいね」などとにっこり笑いながら営業している。それがエスカレートして、誕生日に電話、メール を知り合いの客にしまくって、花束を持ってこさせてそれをどれだけ集めたかを競うがごとくしている女もいる。挙げ句の果てに、ライブハウスに行く前に客と 待ち合わせて食事をする奴、または演奏後、別の店にいっしょにいって酒を飲むというのが当たり前になってるのだ。

  これって、キャバクラとかのホステスそのものじゃないか。当然、客のおやじどもはそれを普通に思っていて、彼女の歌を聴きにいっているのか、それともただ会いたいからいっているのかわからない状況なのである。だから、勘違いしたオヤジが言い寄ったり、ライバルの客同士でもめたり、それはバカバカな世界が実は繰り広げられている。

 こんなことほんとうにミュージシャンがしなきゃいけないことなのか。勘違いしているオヤジも問題だが、それを釣ろうとして本来の音楽とは関係ないところでがんばっている女性ボーカリストたちも大問題だ。


 そりゃあ、彼女たちも食っていくためにはしょうがないことかもしれない。だけどね、胸のあいたドレスをセレクトして、オヤジどもか気に入りそうなスタンダードを選曲して、最後に手を握ってまた来てね、って、あんたたちの矜持はどこにいってしまったのか。

   ジャズとはいえエンターテイメントな部分もあるので、それもいいじゃないか、と思うところもある。ただ、そうじゃないところで頑張っている女性ボーカリス トがいるのも僕は知っている。その人たちは本来の自分の歌で勝負していて、そんなことをしなきゃいけないとは思っていない。それなのに、そういう人たちま でホステス接客しないといけないような感じなのだ。


 僕はそれが許せない。その世界で完結している女性と客はどうでもいいのだ、むしろ迷惑してい るのはそんなことじゃないところで勝負している女性たちなのだ。だから、そんな異様は状況はやはり間違っている、と言うしかない。特に若い人たちに言いた い。もう、そんなオヤジ達の真似をしてはだめだ。ちゃんと女性ジャズボーカルに向き合って欲しい。そして、歌っている君たちも、もうやめなよ、そんなホス テスみたいなことは。それよりも自分の歌を磨け!

ジャズ50バカその2

2. スイングしなけりゃ意味がない、いやジャズじゃないと言い続けるバカ

 

 スイングしている、していない、これもよくジャズ好きオヤジがしょっちゅう言いたがることなのだが、バップ系ミュージシャンを指して言うのなら解らないこともない。でも、これがなぜか「ハービーとかチック、あれはスイングしてないよねえ」とか「最近のブラッド・メルドーってぜんぜんスイングしていなくてダメだね、あれはジャズじゃないわ」とかのたまう。

 バカじゃなかろうか。ウィントンケリーとかピーターソンとか演奏している4ビートのリズムと、ハービーやチック、メルドーが演奏しているリズムは根本から違うじゃないか。というか、あえてスイングしないジャズをやっているわけで、それをチーチキ、チーチキといったリズムに乗るスイングだけを、それこそがジャズだ、みたいにいうオヤジが多すぎるのだ。

きっと60年代、70年代に頭に刷り込まれてしまったのだろう、すぐスイングしてる、してないとそればかり言っている。確かにね、それも一つのジャズだろうけどさ、もう時代はスイングジャズじゃないところで勝負しているミュージシャンばかりなんだよ。それを、偉そうになにがスイングしてない、だ。メルドーがチーチキ、チーチキやっていたら超カッコ悪いじゃないか。あのスイングしないでヒタヒタとクールにいくアドリブの良さは解らんのだろうなあ。

 ほんと、謙虚にさ、「俺はスイングしないジャズは好きじゃないんだ」とか「いまのリズムのジャズは楽しめないんだよな」と言うのだったら、まあ、しょうがないわな、と思うのだが、これをスイングしてないジャズはジャズじゃない、とおっしゃるのだから、なんとかにつける薬はないと思うしかないのだ。

 

 ましてや、この21世紀のジャズって8ビートあり、16ビートあり、ラテンあり、ファンクありでどう考えてもそのオヤジどもが言うスイングを、しようがないジャズなんだけどね。そのリズムの多様性やグルーヴの違いがね、面白いし、刺激的で斬新なジャズになっているのだよ。

 それなのにマジで、スイングしないピアニストは下手だ、と言いきったオヤジもいたしね、とほほ、だよ。だから逆説的に今は、スイングしてたら意味がない、って理解したほうがいいと思うんだがね、僕は。

ジャズ50バカ(もし書けるようだったら100バカ)その1

これは「クラシック100バカ」という平林直哉氏の書に触発され、そして僕がジャズを聴いて今に至るまでに、もういいかげんに自分の中から出さないといかん、と思った積もり積もった思いのすべてを、もう書いちまうかというヤケのヤンパチでのこと。だから、たぶんいろいろなところに喧嘩を売っちまうだろうし、でもバカだと思うやつに一発かます、もっとバカな奴がひとりぐらいジャズ界にいてもいいだろうと(まあ、僕はジャズ界の人間だとは思ってないけど)開き直って良い歳だろ、49って、ね。

 

 当然、既存のご立派で有名な評論家とは違う視点で言おうと思っているし、そこに、ふざけんな、という溜まりに溜まった思いが爆発すること間違いなし、なんである。だから、そりゃあ批判、激怒、罵詈雑言、いっぱいでてくることでしょう、安穏とした保守的な人たちから。そんな人たちを、わざと刺激したい、そして、ジャズ、というもはや過去の遺物になりそうな音楽をそうじゃないんだ、と声を大にして言いたいのである。

 

 このジャズとはなにか、という僕の考えは今は書かない。というか、これから書いていく中で何度もふれていくことになろう。そして、その思いはもしかして、保守的ではない、と思っている人すら敵に回すことになるかもしれない。まあ、それでもいい、この日本ですべてを巻き込んでジャズをもっと議論して、もう一度生きた音楽にしたい、ただでさえ生きるのに窮屈な世界で音楽まで狭い枠にとらわれた聴き方をしてどうするんだ、老人の音楽なのか、ジャズは?と問いかけていきたいのだ。

 

 まあ、偉そうに言ってみましたが、これからかなりバカバカな笑いありな感じで書きますので、そう構えずにお付き合いを。

 

 

1. マイルスが死んでジャズが死んだというバカ(同じくビッチェズブリューからジャズは終わったというバカ、電気マイルスはジャズではないというバカ)

誰でもマイルスがジャズの功労者というか、ジャズを牽引した最大の一人だというのには異論はあるまい。それは僕とて同じである。そして、マイルスが死んだことがジャズ界のかなりの損失だった、というのも間違いあるまい。

しかし、である。ほんと、ジャズが好きだというオヤジどもの一部(いやかなりの人たちが)マイルス以降ジャズは死んだね、としたり顔でいうのは、僕は我慢がならない。

 何を根拠にそんなことを言うのか。というか、あんたら、そう言えばジャズの硬派気取れると思ってるだけだろ。じゃあ言うが、マイルスってなんなんだ。

ここで、マイルスとはなんだったのかということを考えてみる。これを一言でいっちゃああまりにも失礼なのだが、あえて言えば、壊して進む、ということに尽きる。つまり、これは芸術の芸術たる当然の姿勢なのだが、ピカソもまったく同じである。常に今のスタイルを打ち破って新しいものへ挑戦していく。だから、マイルスは偉大なのだ。つまり、今の次を演奏するからジャズなのだ。だったら、マイルスの死後、さらに新しい場所でやっている人たちがいる限りジャズは死んではいないのだ。

ジャズが死んだ、と言いたい人たちは要は自分たちが熱心に聴いたその時間、時代に留まっていたいだけなんだよ。言ってみれば、古い毛布が捨てられない子供といっしょ。そんなセンチメンタルな自我を理解できずに、マイルスが死んでジャズは死んだ、とカッコつけているんじゃないかね。

それをさらに突っ込むと、ビッチェズブリューからジャズは終わった、電気マイルスはジャズではない、と言いたかる人たちがまさにそう。マイルスが、壊して進むのについていけないだけなのに、こういうことを言って自分を守っているだけじゃないのか。オンザコーナー、ジャックジョンソン、これらはファンク、ロックなどを融合させた新しいジャズへのマイルスの挑戦なのだが、それをジャズではない、と言ってしまうというのはね、そういうことなんだよ。

そのマイルスのスタイルは趣味じゃない、好きじゃない、というのは解る。しかし、死んだとか、終わった、っていうのは否定だからね、それは自分は間違っていない、間違っているのはマイルスだ、と言っていることなのだが、本当は失笑ものだと思うがね。

で、僕はマイルスが死んでジャズは死んだ、とは思っていないという立場を当然とっている。そして、だからこそこのことを最初に、ジャズについての僕が思うバカを一つ一つ取り上げていこう、と思うのだ。

 


 

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