わたくしの日常

奥村盛人監督「月の下まで」を見て

 リア充というネット上から使われるようになった言葉がある。現実世界でリアルな充実した実感ということなのだろう。つまり、アニメなどの二次元にしか充実を感じられない人たちが実は現実世界でも充実したい、という願望が言葉になっているのだが、そもそもその現実世界でリアルなことを実感する、ということが希薄になっているのが今、である。逆説的に言えば、だからこそ現実世界に愛想をつかし二次元に充足感を求める若者たちがいる、ということも言える。

 人間がリアルな充足感を得るためにもっとも原初的で手っ取り早い方法は狩猟である。自分の手で獲物と格闘し、そして捕らえる。手を使い、手から伝わる充足感、これに勝るリア充はないのだ。だからこそ現代社会の中でリア充な職業は、漁師が一番ではないか、と思う。日々、魚を取る、ということで満たされる何か、生きている、という実感、そのむき出しの欲望が満たされるのなら男たちは何かを失っても海へ出て行く。

 奥村盛人監督の「月の下まで」という映画は、そんな男の話、だ。土佐の漁師である彼を取り巻く陸での現実はとても厳しい。嫁に出て行かれ、知的障害者の息子と母親との決して裕福ではない暮らし。さらに追い討ちをかける不幸な出来事、現実はこれでもかと辛くのしかかる。

 なにも変わらない日常、閉塞感のある小さな港町、逃げたくても逃げられない状況が美しい海の風景と対照的に描かれる。ある意味、主人公の男にとってリアルな現実が陸にはあり、そこから逃げるように出て行く場所が海である。海には陸で満たされないもの、リア充が男にはある。手から伝わる生きている実感。しかし、海に出るたびに男は陸でのリアルな現実に引き戻され帰るしかない。そして苛立ち、常に不機嫌な男、その横で常に無邪気に笑っている知的障害者の息子。

 奥村はこんなに閉塞した状況を、ただ淡々と特別な出来事もなく見せていく。しかし、その一つ一つの小さな出来事がまさに日常であり、それをどう自分の中で対峙していくかで人生というのは大きく変わっていく、ということを問いかける。この主人公の男が終始苛立って自棄になっていくのも、この陸の現実と上手く対峙できないからに他ならない。

 この物語は最後には一つの着地点に向かうのだが、それは現実が変わって救われるということではなく、何も変わらない現実をただ男は受け入れる、ということで静かに終わる。月の下、というのはその男がすべてを受け入れた時に初めて理解し、自分の母親もこの話にでてくる少女も皆、受け入れる、ということを自覚して見える場所、なのだろう。ここではないどこか、を夢見るのではなく、ここ、を受け入れるからこそ見える場所がある、奥村が導いた結論、それが月の下、なのだ。

現実の世界をありのまま受け入れる、それは多くの傷もいっしょに背負い込むということで覚悟を決めなくてはだめだ。逆にリア充を求め、別の世界に逃げようとする、それは実は決して満たされない堂々巡りの世界であり同じことの繰り返しだ。だからこそ目の前のすべてを受け入れる、そこからしか月の光射す希望は見えてこない。

初監督作品にして、この現代社会を鋭くそして柔らかに描写した奥村監督の覚悟と知性に圧倒された作品であった。

 

2013 919

 

面白いことって(3)

 あくまでも、楽しみというのは自分が楽しめるかどうか、ということでありまして、他の人がどう楽しんでいようが知ったこっちゃない、というのが僕のスタンス。このジャンルはこう楽しむべきである、なんていうことを言われるとですね、反発したくなるものであります。

3 自分なりのオリジナリティな楽しみ方を

 2で書いたようにある程度の深さに達してから、という前提でありますが、そこまで来たら自分なりの、自分流のやり方、楽しみ方、でやったほうがよい、と僕は思っています。それは何故か、というとですね、あくまでも自分にとっての面白いこと、だからなんです。本格的にアスリートになろう、とか、プロのジャズピアニストになろう、って訳じゃない。だったら、プロのマネしたってね、それはそれで窮屈なものなんですよ。

 たとえば、ジャズのアドリブなんてある程度やり方が解ったら、そこから先はいかに自分のやりたいことをばぁーっと、テクニックはまあ若干無視してもやっちまったほうが、絶対気持ちよしなんですな、これは僕流の体験ですけども。専門的な話にちょっとなりますが、ここはアボイドノート(アドリブ中、コード、スケール上避けたほうがいい音のこと)を弾いちゃいけない、なんて気にしてやるよりですな、もうガッツンとその音弾いちゃっても自分の気持ちのまま続けちゃうほうが、僕的にはいいと思っているのです。もうね、あれやっちゃいけない、これ弾いちゃいけない、ってなると、アドリブがこじんまりしてほんと、間違いはないけどちまちましたものになっちゃう。それだったら、もともとプロのようには弾けないのだから、気分だけでもプロっぽくガンガンやる、っていうのがいいじゃないですか。それやり続けたほうが、ぜったいオリジナリティのあるアドリブが弾けるのでは、なんて思っております。

 まあ、ジャズの話はこのあたりにして、他の例えですとまた音楽の話でありますが、クラシックの聴き方、というのかな、こんな楽しみ方もある、という一例を。今なんですけれど、だいたい土曜日の店の始まる2時間ぐらい前に僕の店で、常連さんでクラシック好きの方お二人と、クラシック音楽を聴く会、というのをやっています。それは、普通にクラシック音楽を鑑賞しましょう、というものではなく、かなりマニアックなやり方、言ってみればオタクな方法で楽しんでいるのですが、これがお好きな方にはたまらんというね(三人だけなんですが)時間になっています。

 ちなみに僕を含めたこの三人、それなりにクラシック音楽鑑賞歴はありまして、知識もマニアックなレベルだと思います。で、この三人ともある程度のレベルだからこそ成り立つ会であり、だからこそ面白かったりするのでして・・・。ちょっと前置きが長いですが、どういう方法かといいますと、まず、あるクラシックの名曲を一曲決めます。これがお題。そしてそのお題の曲、例えばベートーヴェンの「英雄」だったら自分の持っている「英雄」のCDを全部(または選りすぐって)土曜クラシック会に各々、持っていきます。もう、この時点で「英雄」のCDだけで何枚も、場合によっては10数枚持っている、のが普通のレベルじゃないというのが解ると思いますが、オタク力を最大に発揮して、これはほかの二人は聞いたことないんじゃねえか、と一人ほくそ笑みながら超マニアックな盤をその中に仕込んでおいたりなんかして・・・その日を待つのであります。

 当日は、もう子供がカードゲームで対戦するのと同じ感じですか、お題のCDの同じ個所、「英雄」の一楽章冒頭10分ぐらいまで、を延々三人のCDをとっかえひっかえ2時間聴いていくのです。それはですね、互いに「おお、こんな面白い演奏があったのか」という驚きもあるのですが、同じ個所を指揮者、オーケストラの違うCDを10数枚聴いていると、いかに演奏者によって曲の表現が違うのか、ということがほんとよく解りますし、巷で有名な指揮者でも「なんだよ、こいつなにも大したことやってねえじゃねえか」なんてことが、理解できたりする、のですね。これはある意味、とても勉強になるクラシック音楽の聴き方でありまして、マニアックなレベルから、さらに踏み込んだところにある楽しみなんですね。そして、この三人の会、というのが子供の秘密基地で、とっておきのカードを対決してる、ような童心に帰るような感覚すら味わえる(ほんとかい!)一石二鳥、三鳥な、スペシャルな会になっております。

 と、なにが言いたいか、と申しますと、1から3まで書いてきたことはですね、面白いことは流行に関係ないところで、マニアックな領域まで下りていき、自分なりの楽しみ方を見つけていこうじゃないか、ってことなんです。で、ここに通底している考え、とでもいいますか、意識はですね、とにかく人の目は気にしない、気にしない、あくまでも自分さえよけりゃいいもん、っていう自分勝手な世界であります。とかく、実生活じゃ自分勝手にできないじゃないですか、だったら面白がるときぐらい、徹底的に自分勝手にやろうじゃないか、諸君、ってえばるぐらいの感じ(だって、仕事でも家でもえばれないものね、ご同輩)でいいと思います、ええ。

 まあ、自分に言い聞かせてみる感じで、もっと楽しく勝手にいくぜ、と威勢よく(実生活で威勢がないので・・・)48歳中年、これからもがんばります。

 


 

面白いことって(2)

2 とにかく少し深いレベルまで突き詰める

 何度も言いますが、あくまでも僕流の面白いと思えること、の極意(えらそうですが)は、どんなことでもちょい深レベルまで無理しても降りていく、ということにあります。面白いってとびつくとですね、よく簡単に解るレベルっていうのが最初にあります。おっ、面白そうじゃん、というのは先ずここから始まるのであります。ただ、このレベルは割と飽きが早く来る、そしてもう少し面白くなるのか、と次の深いレベルに入っていく、ここまでは誰でもやる、はずなんです。

 ところが、この最初の面白そう、というレベルからちょい突っ込むとそこには簡単に理解できない壁が大体出てくる。これはスポーツなんかでもそうですよね。たとえば卓球なんて、温泉にいくとピンポンという感じで誰でも手に取って遊ぶじゃないですか。でも、これがラリーとかになると、経験者じゃないとなかなか難しい。スリッパからラケットに持ち換えるといきなりハードルが高くなるのです。で、ここで止めるか、ここから頑張って最初の壁を乗り越えていくか、で面白さの幅が広がるかどうかという展開になるのです。

 これスポーツだと解りやすいですが、もっと身近なことでもそこから突っ込んでいくと世界が広がっていくのでして、たとえば料理なんかも誰でも簡単にできる何チャラ、とかいうレシピ本からスタートして、そこから一歩踏み出して「基礎のフレンチ」とか「最初のイタリアン」なんてレシピ本にいくとほんと深ーい世界が待っております。もちろん、技術レベルが上がるので最初は無理無理、って思うものですが、そう怖がらずにとにかくやってみる。そうこうするうちにああ、こういうことなのか、ということが少なからず見えてくるというもの。そうなると、シメタものなんですね。

 そして、そして、僕が本当に言いたいのはここから。このミッドレベル(いいのか、こんな英語で)からさらにもう一歩踏み込む、プロレベルというところにちょい足を踏み入れるぐらいまでは行ってみよう、というある意味無謀な提案なんです。というかね、プロレベルになる、ということではなくて、プロレベルとはなんだ、ということが解るまでいこう、そうすると、明らかにそのレベルからしか見えないものが見えるから、ということ、それが面白いのであります。

 料理で言えば、「なになにシェフの本格イタリアンレシピ」だとか「フレンチフルコースのレシピ大全」とか先ず読んで解るようになると、これが実に楽しいのです。こんなハーブを使うのか、とか、オリーブオイルはこんな産地のものがあるのか、とか、低温の油で長時間調理する方法があるのか、とか目から鱗がいろいろでてくる。ここまでくると本当に深い面白さが身にしみて理解できるのです。

 もう一つ例えをだすと、僕は昔からジャズが好きでピアノもクラシックは弾いていたのでいつかはジャズでアドリブが自由にとれれば、ということが夢でありました。そして、学生時代からジャズの理論書を買っては最初の数ページで挫折し、いろいろな理論書だけがどんどんたまる、という悪循環。どうしても、理解するために乗り越えなければいけない壁を、ずっと乗り越えられないままでありました。

 でも、十数年も悪戦苦闘して結局なにもアドリブについてわからない。楽譜どおりに弾くことはできてもぜんぜん自由にできない。そして、37歳ぐらいかな、お店はじめてちょっと余裕ができたころに、プロのジャズピアニストの方に師事しまして、本格的にジャズを勉強しだしたのであります。

 これも、最初三か月はなにがなんだかさっぱりわからない。ただ、今までと違ったのは習っているということもあって、あきらめないで石にかじりつくように毎日毎日午前中から店に出てピアノの前に座り、ひたすら先生に言われたとおりにジャズのコードを繰り返し繰り返し弾いておりました。するとすると、あるところから、パァーと光がさすように、氷が解けるように今まで解らないことが体感的にわかったのですよ。もう、感動しました、ほんと。なんだ、こういうことなのか、アドリブって、と。

 ここでちょい説明しますと、これ解ったからといってプロのようにすごいアドリブが弾けるということではありません。この解ったところから、大変な練習によりスラスラと弾けるアドリブというものが身に付くのであって、要はここに立つのがジャズアドリブのスタートなんですね。でも、大概の人が僕と同じようにこのスタートに立てずに挫折していくのだと、思います。そう、なんです。この壁を乗り越えると、弾ける弾けないはともかくアドリブがどういうことか、ということは理解できる。そうなると、今まで聴いてきたジャズも全然違うように聴こえてくるのです。

 みんな神様だと思ったジャズピアニストが、ああ、あの人はこの程度のことしかやってないのか、とか、あの人は天才というが本当に凄まじい大天才なんだ、とか、すごーく深いレベルのことが解るようになる。そして、自分もすごい端っこですが、やっとアドリブっぽいことができるようになってくる。もうね、めちゃくちゃ楽しいのですよ、ここに到達すると。

 つまり、ちょい深レベルに到達すると、そのこと自体の面白さもありますが、それを取り巻く環境や、その世界がどう成り立っているか、というようなことまで解ってきたりするので、さらにいろいろな興味が湧いてくる、という相乗効果もあるのです。

 実際、今はジャズピアノを弾く余裕がなくて、ぜんぜん練習しておりません。だから、今はアドリブも上手くできないと思います。ただ、ここまでのレベルで理解だけはしているので、どうやってまた練習再開すればいいのか、ということは解っているつもりです。ですので、一度そこに到達すると、まったく解らなかった頃に逆戻り、ということはない。それは、ジャズピアノでも料理でも同じ、だと僕は思います。だからこそ、その壁を我慢して乗り越える、ということが大事なんであります。

 面白いこと、それが一生の付き合いになるかもしれない、そしてそれは一つの壁を乗り越えることから始まるような気がします。だからこそ僕は、何でもあるところまでは突き詰めてみよう、と思ってしまうのかもしれません。

続く

 

面白いことって(1)

 世の中、経済はあいかわらず庶民に厳しいのでお金をバンバン使ってレジャーというわけもいかないですし、娯楽を提供する既存のしかけも一通りわかるとさほど面白いものではありません。送り手がこういう風に楽しんでね、というやり方だけで楽しんでいてもそれだけじゃ飽きがくるというもの。なにかしら、自分流というもので自分なりの楽しみ方を見つけてこそ、本当に面白い、と思えるものではないでしょうか。そう、面白いことってどういうことなんだろう、どんなことが今自分は面白いと思えるのか、それについてこれから少し考えていこうと思っています。あくまでも僕が面白い、と思うことではありますが。

1 面白いことは流行していないことから探す

 よく、楽しいことないかなあ、と考えるとき今なにが流行しているか、それが気になりそこに面白そうなことないかと探す人がいますよね。当然、大勢の人が楽しんでいるのだから間違いないだろう、、または共通の話が多くの人とできるから楽しいだろう、というのは確かにそうなんですが、僕はそれあまり好きじゃないのです。

 僕が楽しいと思うことって、まず人があまりやってないこと、そこにあることが多いのです。元来、根が天邪鬼ということもありますが、自分が楽しいと思うこと、それが一番であって、周りが楽しそうだから、という日本人的意識とでもいいましょうか、趣味とか娯楽のところまで人の目を気にしてというのがとても嫌なんですね。ただでさえ、日本の社会って人の目を多かれ少なかれ気にして生きなければいけないでしょ、それを自分の娯楽まで持ち込みたくない、っていうのがそういう天邪鬼な方向に向く、というのは僕、あくまでも僕個人にはあるのです。

 これね、一つ困ったことは、最初あまり人気がなくて自分が楽しみだしたあとに、世の中が流行ってくるというパターン。この時、僕は急に熱が冷めたりする(困ったものですが・・・)。あまりに人がやらないこと、というところに主眼を常においているためにみんながそれを楽しみだした途端につまらなくなっちゃう、ということが多々あるのですよ。そのこと自体は面白いと思って始めたことなので、周りが流行ろうが関係ないはずなんですが、心の中で「ちぇ、みんな気づいちまったかこの密かな楽しみを、けっ」なんて思ってたりするのです(やな奴っちゃやな奴ですな)。

 それと、すべてのことじゃないですが、だいたい巷で流行するとそれまで安く楽しめていたことが、急に高くなったりする。たとえば、フュージョンというそうとう前(80年代)にちょっとだけ流行したジャンルがあるのですがこの中古CDなんて10数年前だと、だれもこんなものゴミみたいにあつかってワゴンセールで数百円でなんでも買えたのです。ところが、ここ最近はネットオークションができちゃってマニア用にかなり高値で取引されるようになっちゃってます。僕は10数年前は「しめしめ、僕にとっちゃすごいお宝なんだよなあ」と優越感に浸って買い漁っていたのですが、今じゃ中古屋でさがしてもめったにお宝ゲットすることはできません。だから、流行していないことから面白いこと探すほうが、だいたい経済的には楽なんですね。

 あと流行していないと情報があまりなくてどこから楽しんでいいかわからない、と思う方もいると思います。いやいや、その情報の少なさをですね、かき分けながら自分で探究する、そこに流行していないことをやる楽しみがあるのです。たとえば、僕の知り合いにヨーロッパでは凄い人気ですが日本ではほとんど知られていない自転車のレースにハマっている人がいるのですが、日本では流行っていないのでまずネットなどを駆使していろいろな情報を集める、というところからその探究が始まるわけして、自分だけ(ほんとは違うのですが、マイノリティとしてのね)がその情報にたどり着いた、という自負がその楽しみに一つになっていく、ということもあります。また、僕なんかだと、一度流行していまは下火、というジャンルに手をだしたりもします。これだと、流行った時に情報が山のように出ているので、それを吟味しつつ、自分なりの楽しみ方をみつける、ということもできる。つまり、情報があるなしではなくて、探究する楽しみ、これもセットでやらないと面白くない、のであります。

 つまりです、人に背中を押されるのではなく、自分で探し自分のためだけに自分で面白がる(おおっ、なにか演説のようじゃないですか)、そこが流行していないことから面白いことをさがす意義なんですね。

 手前味噌なんですが10数年前にお店をやろうか、と考えていた時に僕はあるお酒にハマっておりました。それは、焼酎、なんですが、今じゃ誰もが当たり前のお酒じゃないですか。女性だって普通に飲むでしょ。でもね、10数年前って芋焼酎なんて九州以外じゃだれも飲んでいなくて、東京でも一部専門店ぐらいしか本格焼酎は扱っていなかったのですよ。それで、これは面白いぞ、アンテナが動きましてすぐ友人と都内の焼酎おいている店を回って飲みましたよ、あれこれ。これは面白いなあって、いろいろ調べてから開店した店にも今じゃプレミア級の焼酎ばんばんおいていたわけです。ね、この話だけでも分かると思うのですが、巷でそのあと爆発的に焼酎ブームがくるとプレミアム級の焼酎はのきなみ高くなっちゃって入手困難。それに情報だって知る人ぞ知るだったのに、みんなが共有できるようになってしまってもう新鮮さはないし、探究する楽しみもない。こうなると、急につまらなくなるのよね、平準化ってやだやだ・・・。

 ご存知の通り、それ以降は焼酎は限られたもの数本しか店には置かなくなりまして、僕が飽きちゃうのよ、その状況に。そして、また流行っていないことから何かを探す、という繰り返しですね(もちろん、永遠に大流行しない、しそうもないので十数年楽しんでいることもありますがね)

続く

 

震災後も日本は変わりはしないのか(6) 完

 確かに今の日本で、未だにはびこっているムラ社会的システムの組織で、そこから抜け出す、ということは大変な勇気がいるとは思う。なぜなら、ムラ社会的な共同体を支えてきたシステムの根幹、それは相互監視ということだからだ。

 この相互監視というのは小さいムラ社会だから有効なシステムで、だからこそ成り立っている。田舎の町や村、というのは今でもそれが顕著で思い当たるふしがあるだろう。ところが、その必然性のないところでこの相互監視だけが生きている、これが今の日本なのだ。そして、その相互監視ということに常に無意識のうちにプレッシャーを受け、そこに絡めとられてしまっているのが大半の日本人である。

 ここまで書いてきたことを思い出して欲しい。日本における会社という組織ででの自己決定が難しいこと、津波の時ですら集団で行動してしまい、てんでんこにならない意識、福島での東電の対応、それにたいする官邸の動き、フェイスブックでの他人の目を異常なまで気にしながらの書き込みと承認、またはそのムラ社会的な生き方に必然のあった昭和へのノスタルジー、沖縄への憧憬、これらのことすべては相互監視ということが常に日本人の意識下に深く存在してのことだ。最近でも小沢グループが離党する土壇場で離党を止めた議員が何人かいたが、これも優先されたのは自己決定とは程遠い、意識下の相互監視に怯えるが故の行動であり、土壇場でマジョリティにつけば不安がなくなるということだろう。(そこには自己の責任回避ということも含まれる)

 でも、よく考えて欲しい。必然なき現在でそれになぜ怯えて生きなければいけないのか。前にも書いたが、お互いに他者を気遣って、先ず相手の気持ちになって、譲り合いの精神で、ほんとにそんな状況が目の前にあるだろうか。これは道徳の問題なのか。違う。すべてのことは必然か、否か、なのだ。

 なぜ、その美しい精神の日本が今そうでなくなっているのか。これは美しい精神が今必然ではない、と言いたいのだはない。ムラ社会が存在した時はそこで相互監視することで、互いを意識し(人の振り見てわが身を直せという言葉もあるとおり)いい方向に共同体をまとめ、自己決定しなくとも集団尊重ゆえに人を気遣い、相手の気持ちになり、ということが自然にできるのだ。まえにも書いたが宗教団体とはそれが有効に作用する。

 ところが、相互監視システムのデメリットは、その集団に属さないものには徹底的に排他的だ。村八分という言葉があるように、自己決定するなんてその中ではありえないのだ。ましや、共同体自体が個を守ることもできず(というかその共同体は幻想なのだが)ただ異物を排除する村八分だけが残っていたらそれはとてつもなく厳しい人間関係だけが存在することに他ならない。会社ですぐ派閥をつくり互いに牽制しあう、そんなことは日常茶飯事であろう。

 結論に入っていこう。もうお解りのように今のこの日本にはムラ社会はほぼ存在しない。存在しないのに形骸化されたシステムだけが残っており、それが今の日本人を未だに思考停止にし、そして苦しめている。そして、そこから抜け出る勇気すら、無意識にはびこっている相互監視への怯えに持つことができない。そして、震災の危機的状況にすら、自己決定もできずただオロオロするしかない。

 あれほどの日本における歴史的出来事、東日本大震災を経験したにもかからず、日本人はここまで書いてきたことに対し未だに無自覚だ。むしろ、この期におよんでもムラ社会が存在したあの時代に思いを馳せ、感傷に浸る。それはまるで幼児の時に肌身離さず持っていた古いぬいぐるみが捨てられないアダルトチルドレンのようだ。何度も何度も言うのだが、もはや必然なきところにその美しき共同体は存在しないのだ。もういいかげんに目を覚ましてほしい。

 では、一人一人はバラバラに切り離され、そこで自己決定して生きていけば好き勝手にやればいいのだろうか。そうではないだろう。日本における社会状況はいくらみんな仲良しといっても実はもうバラバラに個人は切り離されている。ムラ社会共同体がなければ当然だ。都会で一人暮らしして孤独になっている若者なんて今にはじまったことじゃないだろう。家族がいたって部屋に閉じこもってでてこない、なんてもはや当たり前だろう。家に帰っても居場所のない父親。死をまつしかない孤独な老人。バラバラに切り離されて、なんてもうとっくにそうなのだ。だから、それに無自覚ではいけない。自覚的になるからこそ自己決定の必然、それがでてくるのである。そして、自己決定した人間だからこそ、本当の意味での絆を必要とする。そこに生きているという証を互いに認め合う絆が生まれる。この真の絆が生まれるからこそ、そこに新たな人に対する気遣いや思いやりがまた意味をもって立ち現れてくる、というものだ。こういうことでしか、この21世紀の日本が再生していく道はない。

 必然なき、ということについて散々書いたが、最後に、ではこの現在の日本における必然とは、ということを考えたい。前述したが今、日本人が共同体のなかで生かされる自分を探すのではなく、バラバラに切り離された個から自己を決定していく、これこそが必然だ。社会が現状のようになった今、ありもしない共同体幻想を捨てるしか、日本人が目覚めることはできない。そして長い時間の中でこびり付いてしまった相互監視システムへのおびえを自覚的に乗り越えなければいけない。一人一人が、自覚的になって自己決定できるようになれば、僕は組織も変わるし、日本も変わると信じている。そしてそれは個人主義という生き方に息詰まっている西欧社会にもない、新しい個人主義、絆の重要性を腹の底で解っているが故の個、その自覚的個が自覚的にまとまって一つの動きをし、また己に戻り、ということができる人たちの集まり。そんな日本になっていかなければ。

 長々と今回は書いてしまったが、震災から一年以上経った現在、日本は表向きはまた平穏な日常を取り戻したか、のように見える。そして、そこで暮らす人々も徐々に震災でのことを忘れることによって、またなにも変わらないように見える日々に埋没していっているようだ。ただ、実は社会の状況は自明のことが自明でなくなるほど、ここ20年あまりで大きく変わっている。それなのに日本人はそれにあまりにも無自覚だ。無自覚故に、この国では本来進むべく道を誤っていても修正もできず、ただ諦観だけが蔓延している。震災はそんな日本に目を覚まさせる契機にしなくていいのか。それはあの時以来、僕が僕自身に常に投げかけている問題でもある。それを、自分として一度まとめておきたかった、というのが今回のこの文章だ。だから、一個人である先ず自分がそのことをはっきり自覚し、次を考え、そして発言をする、それがこの地に生まれ生きるものとしてやるべきことだと、あらためて思うからである。それが僕にとっての必然、だからでもある。

 21世紀、震災以降、僕らが在るべき姿、その必然とは何か。このことをさらに考えていくしかこの国、僕らの未来はない。思考停止した先にはくるべき未来などない、からだ。

 

震災後も日本は変わりはしないのか(5)

 では、なぜ今の日本では、あれほどまでに戦後から高度成長終焉まで機能していたシステムが形骸化し、組織優先で自己を組織内の総意に委ねる生き方、が裏目にでるようになってしまったのだろうか。それは戦後日本での社会環境が劇的に変化したからである。

 暮らしが豊かになるにつれいたるところが都市化していき、また地方は若者が都市へ流出することにより過疎化が進む。それは経済が成長すればするほど加速度的に進み、都市も地方もそれまでの環境とは一変する。それが意味すること、つまりムラ社会が必要とされない世の中になっていったということである。

 ここで言うムラ社会とは、その昔どこにでもあった、その土地、土地に互助システムでなりたっている村のような単位の集団のことで、長老がいて誰もが顔見知りの土地で、人の子どもも自分の子どものように互いに面倒を見合い、生きていくための基盤をその集団の中で作っている、そしてそれを形成している家族もまたおじいさんおばあさん、父、母、息子、娘、孫、そしてさらに息子の家族というように下部構造も連鎖しているという密接した人間関係の社会システム、のことだ。

 この環境で自己決定して生きるということは逆に、野に一人で放たれ死ぬ、ということになり(もしくは江戸時代なら浪人なのだが)、がっちりと集団で固まっていないと生きていけない。ここでは詳しくは書かないが日本の歴史において、長い間農業が中心でそれを収める長がいて、さらにそれを束ねる首長がいて、それをさらに束ねていき、一つの国を形成いくには必然のことである。

 ところが、だ、なぜ未だにそのシステムを引きずって日本はいかなければいけないのか。ここが問題なのだ。

 ここも簡単に言ってしまえば、西洋のように日本では市民革命ということがまったくなされないままに江戸から明治へと以降してしまい、トップのエリートだけが意識改革したうえで文明化していく道をつくり、民衆はそれにただ追従しただけにすぎない、からである。

 そして、戦前から戦後へとこのムラ社会システムを民衆の基盤にして、先ずは戦争へと向かい、そしてその後は高度成長を達成するということに成功したのではないか。このムラ社会的システムは戦争までは天皇制が精神的側面を支え、戦後は会社などの組織でのピラミッド型構造を上へあがっていくということが、天皇制に変わり人々の意識を支えるのであるが、とにかく国民一人一人が自己決定しなければ生きていけない、という必然がまったくないまま、日本は大国になっていった、ということが今となっては大きな問題なのである。

 話を元にもどすと、自己決定を必要としないから民衆はある意味暮らしやすかった、ともいえるのがこの日本だ。だから、ここへきてやたらと昭和を懐かしみ、映画や音楽などノスタルジーに浸る。それは裏を返せば、もう今となってはもうムラ社会は存在せず(まあ、一部沖縄などには残っているのだが、だから沖縄沖縄といって住みたがる人も多いわけで・・・ただそれもかなり昔とは違い崩壊してきているだが)、甘い感傷の中にしかそれは存在はしないからだ。

 となり近所がみんな仲良しで子どもの面倒も集団が見てくれて、つねに集団が守ってくれて互いに助け合って、といいことばかりに今となっては見えるムラ社会システムだが、それはそれ、何度も言うがその世の中の環境がそうであれば、なのだ(沖縄の一部の島などはそういう閉鎖環境だから残っているわけだ)。環境が変わったのにもかかわらず、ムラ社会システムだけが残った悲劇、そのほうがたくさんの人間を不幸にし、生き辛い世の中にしてしまう。

 当たり前だ、守ってくれる集団が今の僕らにあるのか。家族は核家族化が進みおじいちゃんやおばあちゃんは地方で、子どもたちは都市に暮らしバラバラで、家族と言う単位がそれを形成する個人一人一人を支えあう力とはなっていない(お父さんもお母さんも、思春期以降の子どもも、みんな家族のルールを優先で生きるなんてもはやないはず)。会社組織も右肩上がりの業績の時はだまってついて行けば恩恵に与れたが、今はいつ首を切られるか解らず、びくびくしていきるしかない。地域コミュニティだって住居環境のせいで同じ場所に長く住む人とたちのほうが少ないぐらいで、なかなか形成しずらいし、都市ではマンション暮らしの人も多く、まったく無縁の人も多い。もはや、ムラ社会的なことを望むなら宗教しかない、とすら言えるのが今の日本なのである。

 もちろん、人それぞれ自由なので宗教を否定するつもりはない。ただ、21世紀を生きる人間として、精神的支柱を僕は宗教ではないところに探す。ムラ社会的なものでもない、そして宗教的生き方でもない、日本における新しい生き方を模索していかなければいけない。それはあくまでも自分、個人という集団から切り離したところで考えるしかない。もう曖昧なまま生きるのは止めにして自己と正直に向き合っていく、その勇気を持つということ、それしかないのではないか。

続く

震災後も日本は変わりはしないのか(4)

 では、絆とはいったいどういうことなのだろうか。巷では皆で繋がろうとか、日本は一つだとか、いつも僕らはいっしょさ、というような抽象的なムードだけで語られているような気が僕にはする。繋がる、といってもどのような方法でなにを繋げていくのか、いっしょの気持ち、とは何がいっしょで何が違うのか、どうもいい加減で曖昧だ。同じ日本人だから語らなくても解るのが絆だ、という声も聞こえてきそうだが、それこそが日本人が曖昧なままに自己決定から目を背けている原因なのだが。

 なぜなら、絆を結ぶと言うことは、自覚した個と個がなんらかの共通点で繋がっていく(それは裏を返せばお互いの差異を認め合った上でということでもある)、ということだと僕は理解している。自覚した個、それは何度も同じようなことを書いているが、集団的総意から離れたところで自己の責任において自己決定ができ、その上で主張をもっている、個人主義的意識が確立しているということである。となると、この日本でそんな人間がどれだけいるのであろうか。そして、個が曖昧なまま集団的全体主義が未だにはびこる現状で、絆だなんて、たんなる感傷的なムードでしかないのだ。

 さらに自覚した個というのを考えると、それは回りがどう考え自分をどう見ているのか、そして自己が主張した時に自分はどれだけの人に承認が得られるのか、そんなことばかり考えていてそれが優先される意識では、自己決定できる、ということとは程遠い。そしてそれはいたるところで未だに若い人から年寄りまで日本においてはそんな意識の人ばかりだ。

 フェイスブックというソーシャルネットワークをを見てみると、日本人はみんないい人だらけだ。ツィッターやネットでの掲示板があれだけ誹謗、中傷も含め言いたい放題なのに、実名でということになると、とたんにおとなしく誰からも突っ込まれないように当たり障りのないことばかりしか誰も言わない。そして、確かにそう思って書いているのだと言う人が大半だろうが、花が綺麗でしたとか、夕日が美しかったですとか、これが美味しかったとか、ほんとうに言いたいことはそういうことだけなのだろうか、そしてそれを本当に伝え合いたいのだろうか。

 ここにも明らかに日本人的な自己よりも集団的生き方を優先する意識が見え隠れする。こんなこと書いたらこれを見ているだろうあの人はどう思うだろう、そして、今後そういうことを言う人なのかという目で見られやしないか、それが無意識のうちに支配していてすべてそういうフィルターを通して語られている。だから、イイネというボタンをお互いに押し合い過剰なまでの承認を必要とする。そこまでの承認がないと不安でしょうがないのだろうが、そこにもはや自覚した個などという意識はないのだ。

 はっきり言うが、人がどう思うか、そんなことばかりが優先されて自己がないがしろにされていく、それが無意識のうちにいたるところに顔を出すのが日本というところだ。もちろん、それでいいじゃないか、というならそれでいい。ただ、それなら震災での国の対応がどうとか、政治がどうとか、これからの日本がとか、会社が嫌だとか、この国は暮らしにくいとか、言うことはできないはずだ。自覚した個がなければ、そこには責任を持って公に対する、という市民的発想も生まれない。そこにあるのは、集団の意思決定をただ待ってそれにアジャストするだけの愚民でしかない、21世紀の今となっては、だ。

続く

震災後も日本は変わりはしないのか(3)

 危機的状況にいかに日本的全体主義が弱いか、ということがはっきり出た象徴的な話が震災時に津波に襲われたときの話だ。また逆に全体主義的な行動を否定して生き残ることができた人々がとった行動とはというと、それが津波てんでんこである。

 これは実に今の日本を象徴的に表している。逃げ遅れた人すべてではないと思うが,津波に襲われた地域の人々で地震発生後、近所の人々が集まりどうしようか話し合っているうちにやられた、という人々は少なくはあるまい。それは自分で決める、という前に先ず人の話を聞いてから、という行動が徹底的に染み付いてしまっている日本人ならではという感じがしてならない。一人で勝手やって後でなにかを言われるより(地域コミュニティならではの)その属する人々が合意でどうするかばかりを優先してきたからではないのか。

 これを、真っ向から否定したのが津波てんでんこであり、これは地震が起きたらまわりの人にかまわず各々勝手に逃げろ、という日本的発想とは間逆な行動であるのが興味深い。そして、ご存知のとおり危機的な津波に襲われるという状況を打開できるのは、この津波てんでんこのほうが全体主義的な方法よりも明らかに有効なのである。

 これは、地域コミュニティすら機能しない危機的状況を経験したから会得した、日本において特殊な場所の方法なのだが、ここに僕は震災以降、日本人が見つけなければいけないヒントがあると思う。つまり、社会的同調圧力からいかにして自己を切り離し、その上で自己決定できるかどうか、ということである。

 この社会的同調圧力、これはかなりやっかいだ。なぜなら大半の人が自分のことは自分で決めているさ、決定しているのは俺だ、と思っている。ところが実は決めていると思っていることはこの日本において、社会における属する集合体(会社であったり、その会社のある部署であったり、地域コミュであったり、同好する人々の集まりであったりなど)の総意に従っていることがほとんどなのだ。

 話を振り返ってもらいたい。この話の最初で、僕は自分が勤めていたサラリーマン時代の話を書いた。それはなぜか。組織の悪口を書こうと思ったのではない。日本の会社はこの同調圧力に屈することなく自己決定することがとても難しいのだ。自己決定ができないということは、責任の所在があいまいだということである。その決定に個人が責任を負わず何か起きたときはその属する集合体の全体責任で済ます。それは実に日本的調和の表れで、みんなで手をつないで、一人が悪いわけじゃないさ、悪いのは僕らみんなさ、という美しき世界観だ。それは外国からミサイルが飛んでこようと、津波に襲われようと、原発が爆発しようと。みんなでいれば安心だし、いっしょならなんとかなるさ、とりあえず相談しよう、そうしよう。しかし本当にこれでいいと思うのか、これが21世紀の日本の姿でいいのか。

 だからこそ、震災後にでた復興へのキーワードである絆という言葉、これに僕はとても胡散臭さを感じてしまう。もちろん、絆という本来持つ言葉の意味にではない。この絆という言葉の使われ方が、津波てんでんこではない、今までとなにも変わらない日本の状況、そうみんなで渡れば怖くない、という悪しき全体主義的意味に浸りきって涙するような感傷性、そしてなにかあるとそこに安心感を求めてしまう安易性、そのぬるま湯的な世界がこの期に及んでもいいと言うのか、と思えてしまうのである。というか、こういう概念というのは、安易に使うと本当に考えなければいけないことを覆い隠し都合のいい部分だけデフォルメして美化してしまう。特に震災のような危機的状況から何かを得て次に生かしていかなければいけないというのに、絆という言葉だけで満足してしまっていいのか。たしかにこの言葉で皆でがんばっていこうと思っているのに水を差し天邪鬼なやつだ、と思う人たちもいるだろうが、こういう状況だからこそ甘んじてはいけないし、ここを乗り越えていかなければ日本は変わることはできない、とまで僕は考えている。

 絆とてんでんこ、なんとも皮肉な相反する言葉なのだが、しかし実はこの二つを別々に考えずその互いの本質を理解して生きる術にすること、ここにこそこれからの日本のあるべき姿があるのではと僕は考え、そのことをさらに掘り下げて書こうと思う。

続く

 

 

震災後も日本は変わりはしないのか(2)

 日本における組織と個人という問題であるが、僕は日本的組織にすべて問題があり、組織改革をしなければ、と言っているのではない。なぜなら、まず組織ありきではなく個人の集合体が組織であるのであって、その組織を構成する個人在り方が変われば自ずと組織は変わるはずだからだ。つまり、日本の組織の問題と言うのは、個人に問題があるから、と僕は考える。

 もちろん、日本が戦後高度成長を成し遂げバブルで終焉を迎える過程には、日本的組織というのが有効に働いたというのは間違いない。短期間で経済成長を引き上げ、また戦後天皇無き(誤解ないようにいうが戦前、戦時中の精神的支柱に天皇があったのが戦後象徴としてなったことにによる精神的支柱の喪失という意味で)穴を埋めるべく、経済至上主義に盲進できたのは、個人主義ではない全体主義的な日本人が役に立ったのは言うまでもないだろう。

 さて、現在21世紀になり高度成長もバブルで終焉して20年余り。ここで問題になるのが、その日本を押し上げてきた日本的組織形態、そしてそれを構成している日本人個人の在り様はこの20年で変わってきているのだろうか、ということである。それまで、個人であるということよりも全体、つまり組織のシステムが常に優先されていく社会であった訳だが、それが成長が止まり、逆に経済が停滞から下降していくこの20年の間に、有効に作用していた日本的組織のシステム自体が形骸化してまったく機能していないのではないか、と僕は見ている。

 そのいい例が、今回の震災による福島の原発問題での、官邸と東電そして役人たちの動きだ。ここ最近、その時のやり取りが徐々に明らかになり、官邸も東電も役人も互いに責任を擦り付け合っているが、そもそも緊急時に組織としてのシステムがまったく機能しなかったというのは誰の目にも明らかであろう。東電内部の個人個人では人命を優先するにはこうすればいい、と考えていた人は確実に存在しただろうが、組織としてはどうなんだ、というのが常に優先された結果ああいうことになっていく。官僚は官僚で、まず自分たちが敷いたレールをはずすことは絶対に許されず、緊急時にすらそれを守ることに固執する。その中で、官邸はどこをどう動かせばベストなのかがまったく解らないから右往左往して醜態をさらす。これは、今思えば起こる前からこうなるのは自明なことなのだ。

 日本的な個人を埋没させて組織ありきで動くシステムは、物事がうまく右肩上がりで進んでいるときは問題なく有効なのであろうが、それが停滞して下降しているときには逆に悪い方向へさらに突き進む可能性があり、しかもみんなもいっしょならいいか、という全体主義の悪いところがもろにでる。今回の原発での対応も人命とか早急な対応とかよりも、お互いにまわりを見渡し、これでいいのかと確認をとってしまうような、日本的組織の弱点が露呈してしまったのではないか。つまりこれは、ビートたけしが何十年も前にいった「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という象徴的言葉に集約されている。この感覚が、骨の髄まで染み付いてしまっている日本人ゆえの原発対応となっていた、というのが僕の推論だ。そして、それは組織のトップクラスの問題だけではなく我々一般庶民にもそれがネックになって、この21世紀を生き辛くして、自殺者を年々増やしている。もはや日本的全体主義ではどうにもならないのだ。赤信号をみんなで渡っているところに大型トラックがつっこんできて、それで死んでもしょうがないや、といって皆で笑っている社会、僕はそんな日本がつくづく嫌なのだ。じゃあ、どうしたらいいのか。

続く

震災後も日本は変わりはしないのか(1)

 店を一人でやっているわけだが、孤独というわけではない。毎日、お客さんと出会っているし、取引先の酒屋や氷屋との交流もある。昨年、長いこといっしょにやっていたバイトの女性がやめたが、それも月曜と金曜だけだったし、基本、自分は一人で仕事をすることが合っているようだ。

 まあ、サラリーマン時代も協調をしてやることはやったが、組織からちょっと離れたところに身を置きながら仕事をしていたように思う。というのも、自分が思うことを自分で納得しながら仕事をしたいのに、上司が黒といったら黒と言わなければいけないのが日本の組織。もちろん、自分が間違っていればしょうがないが、明らかに上司が間違っていようと自分の白が通らないのが日本的会社の一般的姿か。(もちろん例外もあるだろうが、一般的な前提として)

 じゃあ、その上司はというと周りの顔色ばかり伺っていて、自分の考えを話しているのではなく会社の決定だとか、本部長が決済しているから、とか常に自分の責任において語ることはなかった。そのくせ、会議ばかりやりたがり、みんな聞いたな、といわんばかりに責任の共有化とは聞こえはいいが、責任回避の全体主義にどっぷりとつかっていた。

 僕としては、そんな組織のあり方に嫌気がさしていて、個人の扱われ方にずっと疑問を持っていた。仕事だからみんなで同じ方向へ向くのは当然だが、それをどう考えるかは人それぞれ違うだろうし、だからこそいいアイディアもその中から生まれるはずだろう。ところが、そんなものよりも全体の中で自分は突出していないかとか、周りの輪を乱していないかとか、なにか言ったら自分だけが責任をとらされるのではないかとか、とにかく皆、個というのものが全体の中で埋没しているとしか思えなかった。こうしておけば、こういう言い方をしておけば、まあ悪くは言われないだろう、責任を押し付けられないだろう、そんなことばかりに気を使う、それが日本の組織なのか、と。

 毎日そのようなことばかり20代後半に考えながら生きていたのだが、そんな自分は当然組織ではいびつな存在で、たぶんそのせいで28歳で香港駐在ということになり、こっちとしては渡りに船といった感じで喜んで日本を離れた。

 さて、ここまで長々と書いたのには訳がある。最近、震災以降の日本を見ていてその事後の官僚や政府の動きや対応、そして原発問題や復興への日本人の意識、さらに僕らは今後どういう生き方をこれからすべきか、そんなことをもろもろ考えていたら、これは根深い問題があるなあ、と思ったのである。

 解っているといえばそんなこと前からずっとそうだ、ということなのだが、震災という危機的状況に対するとその問題は鮮明に浮き出てきたようだ。回りくどい言い方をしているが、この問題とは日本における個とは、個人とは、ということだ。これは公という概念に対する個という意味も含んでいる。

 個人主義、西洋の社会では一般的なことではあるが、ここ日本ではこの概念はまったく理解されていないだろう。言葉は解っても体感で解っている人は少ない。なぜなら個人主義だと生活し辛い場所が日本だからだ。僕は先にも書いたようにこのことを日本の組織にいる時に散々考えさせられ、悩んだ。そして日本を離れて個人主義とはなにか、ということを体感でやっと理解したという実感がある。個が受け持つ責任と、個が引き受ける公の中の自分、ということを。

 不思議なことに、そのことを理解したとたんに逆に香港での生活が精神的に楽になり、そして充実した実感を得ることとなった。だからこそ、2年半の駐在期間がおわり帰国命令がでたのだが、日本に帰りたくないばかりに香港で日本の企業を辞めてしまったのだ。それは、せっかく掴んだ個の在り様、アイデンティティ、そして自分の心の奥底の声に従って生きるということ、それを日本の企業にまた戻ることによって失いたくなかったのである。

続く

 

 

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